TUWVOB会  No.30  1999.12.23
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会費振込先  第一勧銀川崎支店東北大学ワンダ-フォ-ゲルOB会  普通口座(370-1881604)
西穂高から焼岳へ <OB山行報告>
26期(昭和62年卒) 森 寿弘

 卒業以来、毎年(あきずによくやるよな)おこなっているOB山行。今年は、北アルプス、焼岳で行われた。メンバーは、荒田、伊田、平田、森+ 宴会のみの北村(奥方急病で)と今までで最も少ない陣容で、少し寂しい山行であった。

 さて、実際の内容ですが、折から台風が急接近。台風の目が北アに衝突するかもしれんと思った程の直撃弾を浴びてしまった。 初日、西穂高ロープウエイの下の駅では曇り。「とりあえず小屋まで行くか」と乗ったはいいが、上は横殴りのどしゃぶり。「こりゃやだめだ」と森、平田の2人はタウンページで宿の選別を開始していると、「行くっきゃない」と荒田、伊田の強行発言。結局、ずぶ濡れになりながら西穂高山荘へと向かった。

 翌日、「台風よ、進路を変えろ」と祈りながら天気予報を見るが、もろ直撃コースで帰りの道路が通行止めになる(通行止めされると富山経由で帰るはめになる)危険すら出てきた。しぶしぶロープウエイ駅まで下山すると、ロープウエイは運休。仕方なくスキー場を下山するはめになった。

 不完全燃焼のまま、松本の宿”深志荘”に向かった。ここの料理のうまいこと!相変わらず、伊田はいい宿を探す、と関心しきりだ。翌日、晴れ渡った空を見ながら、来年へのリベンジを皆で心に誓った。

番外編  恐るべし西穂高スキー場

 ロープウエイ運休のため、スキー場を転がるように下山開始だ。相変わらず平田の下りは早い。まるでスキーを滑るがごとくの快調な下山だ。額を流れる汗も心地よい。あっとゆうまにパーティはばらばら。森、平田組と荒田、伊田組に分かれてしまった。 何の疑いも持たず快調にゲレンデを下る。と、突然目の前にやぶが立ちふさがった。「道を間違えた。戻ろう」 と頭は判断した。が、その時、はるか昔の経験がよみがえった。「OK、ノープロブレム 突破だ」と、平田の脳天気な判断も一致した。しょせんスキー場、何の問題もないはずだった。

 一歩 藪に踏み出すとそこは別世界。「ウオー、何だこれは、北海道よりひどい」。後ろの平田の方を振り返るが、彼の巨体ですらほとんど見えないほど濃いヤブだ。「なんでゲレンデのど真ん中にこんな藪があるんだ」、怒りに燃え1本の根曲がりをなぎ倒すが、すぐに100本の根曲がりがはねかえってくる。手も足もTシャツもズボンも、あの懐かしい臭い(そう旧練の臭い)に包まれ、擦り傷で手足が血塗れになってゆく(なんと短パン、だった)。30才も半ばにさしかかったいい大人がなんでこんなことをしているんだろう。
30分後、憔悴しきった我々の前には、横倉の壁より急な上級者用斜面が静かに横たわっていた。アーメン!

平成12年のOB山行
    目的の山 : 白馬岳
    日  程 : 9月15、16、17日
    集  中 : 15日集中(集中場所は決まり次第eメール、ホームページで連絡)


                 
問い合わせ: 26期 伊田浩之
 
                (e-mail mailto:haitaka@msh.biglobe.ne.jp

 今年は26期の方しか参加できませんでしたが、世代を越えた交流を図りましょう。みなさんの参加をお待ちしています。

30周年記念 −あの憧れの− 平ヶ岳山行
9期(昭和45年卒)伊藤千代子

 平ヶ岳という目的地を決めるまでには問題があった。  登山道として選択する林道が、皇太子林道と呼ばれ、頂上まで2時間の所まで自動車道路が通り、登山道も整備されまくり、環境破壊が甚だしい、との情報があった。「こんな所は使うべきではない」という意見があった。しかし、強い想いのある平ヶ岳に2時間余で登れると聞けば、51ー52才の体力を考えて、皆が行けるのもこの方法しかないと決意した。

 この山行には8期の方々にもご参加いただいた。4期の小原さんは仕事の都合で参加いただけなかった。

  9期参加者 : 片野さん、石野さん、原田さん、桃谷さん、若佐勢ちゃん、富川さん、
          高瀬幸夫/ムっちゃん、熊谷Qちゃん、伊藤健一/千代子

  8期参加者 : 相原さん、中里さん、前田さん、水上さん、小笠原さん、三日月さん、
           濱さん/とっても素敵な娘さん、佐藤拓哉/オギャーさん

 9月4日12時、浦佐駅集合。実に30年ぶりに会う顔は、一瞬エッと思うものの、すぐに昔の面影と重なり、懐かしさに歓声をあげる。車に分乗して、一路銀山平の伝の助小屋へ。1年の夏合宿の時に荷入れに使ったパーティもあり、懐かしい名前である。伝の助小屋も湖から少し離れた所に新しく建て替えられ、実に快適な民宿という感で、食事もおいしく、小屋の水で作られるという地酒は確かにうまい。大いに飲み、話し、歌い、夜は更けていく。 しかし、朝は早い。もう寝よう。・・・・

 9月5日、3時半起床。真っ暗の中の起床も久しぶりだ。眠い目をこすりながら外に出ると、素晴らしい天気だ。4時、小屋のマイクロバスで登山口へ。暗い中をビュンビュン飛ばし、1時間程で到着。これまた久し振りの体操などして5時半頃出発。

 沢から尾根の道に変わるとかなりの急登である。「エッ、下り大丈夫かな?」と心配になる程の道で、整備されまくって・・・・いない! 濱さんを皆で交替でサポートしながら、一歩一歩登って行く。最初の1本まで夢中で歩いた。振返ると、越後駒、中、兎、荒川に朝日が当たって輝き始めている。尾根に入っても樹林帯の登りは厳しく、登り、登り、また登り。「おかしいなあ、2時間で登れるはずではなかったのか」と、皆の不満声も聞かれる頃、ポカッと空が広がり、目の前に大草原、玉子石分岐に出た。ウワーッと歓声をあげたくなる様な素晴らしさ。目の前に平ヶ岳が横たわっている。

 池塘も、草紅葉の始まった草原も天井漫歩の気分をさらに高揚させてくれる。鞍部に下り、水場で沢の水を飲む。これがまた美味い。テン場には台がしつらえてあり、直接地面にはテントは張れない(イヤだな、とチラっと思ったが、湿原にとっては、そこかしこの区別なくテントを張られては最悪だろう)。さらに1時間弱で平ヶ岳山頂へ、三角点はブッシュを切り開いた中にあった。33年ぶりに訪れた人、目前にして登れなかった人、初めて来た人 人それぞれの想いを込めて三角点に手を触れた。湿原の中の木道に腰をおろし、昼食と360度の大展望を楽しむ。越後三山、荒川、奥白根、燧、至仏、そして目の下には景鶴。空は果てしなく青い。

 時間オーバーに気をもむ桃谷さんの声も空しく、皆なかなかこの場を去ろうとしない。想いを残しながら振返り、振返り、来た道を戻る。途中前田さんの思い出の場所(41年の夏合宿で、ホエブス火災事故のため頂上を目の前にして下山)を確認したり、玉子石に寄ったりして、またあの急坂に突入していく。下りの濱さんの苦労、支える人の真剣さも登りより更に増し、必死の思いで登山口にたどり着いた。途中、足の筋が張って痛みに耐えて下った人も、膝が痛みだし 苦労した人もいたけれど、皆下りきった時の表情はとてもすがすがしく、感動的だった。バスの中に用意してくれていたビールを飲んで帰途についたのは3時近かった。伝の助小屋を4時過ぎ出発、なんとか5時の新幹線に乗ろうと車をとばしたが、目の前で取り逃がした。次は6時だ。仕方ない、再度旧交を暖めていただこう。

 こんな感じで2日間の山行は終わった。平ヶ岳に登れて本当によかったと思う。問題はなかったと思う(2時間で登れる、というのは余程の健脚でなければ無理だ、という誤算はあったが)。伝の助小屋だけが独占している林道というが、春になり、荒れた登山道を整備してくれるのであるし、林道終点は狭い。車は何台も入れないのだからマイクロバス限定になるのも仕方のないことで、特に問題はないと思う。尾瀬や上高地の車乗り入れ禁止は常識である。アルプスの山小屋の主人が登山道を切り開き、整備して自分の小屋に人を呼ぶのと大差ないと思う。

 33年前の平ヶ岳を私は知らないが、自然が壊されているとは思わず、美しさに感動して今回の山行を終えることができて、本当に幸せだと思っている。元気なうちにまた皆と山に登りたい。

鈴鹿山脈 御在所岳 <34期同期山行報告(第3回)>
34期(平成7年卒) 小澤 宏明

・期日  平成11年8月13(金)〜15(日) 2泊3日
・参加者 大澤、岡田、小澤、都築、軍司さん(都築君のフィアンセ)、米川  計6名

 私たち第34期OBは、平成9年以降毎年お盆期間に、「山うなぎの会」と称する同期山行を行っています。初年度は中央アルプス木曽駒ヶ岳、昨年は泉が岳(ただし登らず)で開催されました。そして本年はアクセスの良さ、日本の真ん中であろう等々の理由で鈴鹿山脈の御在所岳で行われました。

 初日の午後、まず近鉄湯の山温泉駅に集合し2泊3日の同期会の幕が開きました。1年ぶりの再会ではありましたが、全然久しぶりという気がしないのが不思議でした。誰も変わっていなかったということでしょう。

 この日は右翼少年も集うような山裾の一般キャンプ場にて、バンガロー宿泊となりました。夜はワンゲル時代の山行では横目で見る以外になかったバーベキューを行い、当然ながら都築カップルの話やら何やらで、とても盛り上がりました。しかし体力が衰えたためか、翌日の話になると「本当に登るの?」というような調子で、経験者か疑いたくなるような状態でした。

 2日目は不評でしたが5時起床で御在所岳に登りました。この山はロープウェーであっという間に山頂まで行けるので内心惹かれながらも、登山道を行くこととなりました。荷物が軽いせいか特に苦労せずに4時間ほどで山頂に到着しました。あいにく霧のかかるような天気で眺望は悪かったのですが、久しぶりの登山を楽しむことができました。(できたかな?)

 帰りはマイナーなルートを通ったため、ガレ場の続く予想外に本格的な山っぽい所を体験できました。下山後は湯ノ山温泉に入浴しましたが、このとき例の神奈川県のキャンプ場で大勢流されたニュースを初めて知ったのを記憶しています。

 夜はワンゲルらしくカレーというシンプルな夕食をとり、初日同様に遅くまでお酒を飲んで過ごしました。最終日は四日市で反省会を行い、皆の健康・活躍・良いニュース、来年の再会を誓って解散しました。

 年々参加者が減っていて今後継続できるか危惧しています。細々とでもよいから続けていきましょう。来年は米川君よろしく!


TUWVで検索してみたら、
偶然 http://www2.famille.ne.jp/~mikekm/camp39.html にぶつかり、
こんな記事が載っていました。ただし、写真は省略

雪の仙台・二口渓谷樋の沢
(TUWV17期(昭和53年卒)同期会)

 11月21日、8時の新幹線で仙台に向かった。仙台に近づくと家々の屋根や畑が白くなっていた。雪が降っていたらしい。駅前に出て、さっそく杜の街の散策に出た。

 かつて丸光百貨店のあったところの裏側。ほんの小さな路地がある。駅前の一等地の影のようなところに小さな飲み屋や飯屋が身を潜めている。ジャズ喫茶「アバン」はもう無かった。その路地と明るい中央通商店街をつなげるように名掛丁センター街(昔はジャンジャン横丁ともいっていたと思う)というほんのちいさな横丁があって、ここにも小さな飲み屋や一膳飯屋がひしめいている。まだ時間も早く、どの店も扉を閉めたままだった。

 中央通商店街に出て、アーケードの下を西へ進むと東一番町に出る。この小路は、北はイルミネーションで有名な定善寺通りから、南は片平までを結ぶ中心的な商店街である。広瀬通りを横切りまた横道にそれる。「カウント」は昔通りそこにあった。アルテックのボイス・オブ・テアトル(だったと思うけど)という馬鹿でかいスピーカーが小さな店内にズデンと置いてあり、ぼくはそこで暇なときには一人コルトレーンやマイルスを聞いたものだ。

 いったん東一番町に戻って、ここを横切ると稲荷小路にでる。そこいら一帯は昔ながらの小さな飲み屋がいっぱいあって、金の無いぼくらが時々立ち寄るところだった。今でもその小さな店はちゃんと残っており、ぼくはここに自分がいたことの証が残っているようで少し安心した。

 ひととおり仙台の街を歩いてから駅前のバスターミナルで秋保(あきゆ)温泉行きのバスに乗った。長町、鹿野本町、西多賀、茂庭を経由し、およそ1時間で仙台の西にある秋保温泉に着いた。旅館に入ると懐かしい面々がすでに何人か到着しており、顔をひとつひとつ確認した。変わってない。ちょっと頭が薄くなった奴もいれば、ぼくのように白くなった奴もいる。でも、面影はそのまま。言葉もそのまま。安心する。挨拶も早々にさっそくみんなで明日の偵察も兼ねて二口(ふたくち)渓谷に出かけた。

 東京を出たときは天気はとても良かったのだが、秋保から二口にかけては雪が降りつづいていた。二口渓谷は山形・宮城県境に広がる蔵王国定公園の北に広がる山塊に埋もれるようにある渓谷で、渓流や磐司(ばんじ)岩と呼ばれる奇怪な巨岩の織り成す美しい景色が魅力の場所だ。

 ぼくらは車に分乗し林道を行った。今年は季節外れの紅葉の盛りで、山々はみごとなまでに赤一色に染まっている。雪はあいかわらずチラチラと降り続いており、けぶる磐司岩は幽玄にそびえていた。ぼくらは雪の中でビールで乾杯した。

 宿にもどると残りのメンバーも順次到着しており、すっかり頭が涼しくなった主将宿崎の乾杯で宴会が始まった。総勢18名である。卒業以来20年ぶりに会う奴もいたのだが、そこは苦労して山に登った仲間だ。時の隔たりはまったく感じさせず、ぼくらは大いに酒を飲んだ。

 近況を報告した。20年の歳月はそれぞれの人生を思いもつかないほど変えてしまうことがある。でも、この仲間達はそれぞれの苦労の程は垣間みせず、それぞれが充実した歳月を送ってきているようだった。

 最後に、昔からそうしていたように円陣になって肩を組み「部歌」を唄った。山に登るってことをことさら美化していた時代。失恋の寂しさとか青春の挫折などという絵に描いたような苦悩の甘い味。その苦しみに浸ることで自分の存在を確かめていたころ。妙に理屈をこねて山に向かった。山に行けばなにかが自分を浄化してくれるような気がした。けれども、何も変わらず、何も浄化できてなどいなかった。そしてその煩悶をまた楽しんだ日々。いまだからその当時の危うくて幼い気持ちが理解できるようになった。

 部屋に戻ってまた飲んだ。今回来れなかった仲間に順次電話した。2000年にまたやろうという話になった。今度は伊豆だ。

 翌朝、7時に目を覚まし、風呂にはいり朝食。そのまま帰宅する宿崎、相川、田、木付、和雄、篠宮と別れ、残りの人間12名で予定通り二口渓谷を目指して出発した。ザックにはビールと宿で作ってもらったおにぎりが入っている。車で登山道の取り付きまで入る。今日の行程は往復で約4時間。二口渓谷の大行沢沿いの道を約2時間半ほど登っていくと樋の沢というところにでる。そこは二口渓谷の最深部にあたり、大東岳、南面白山、小東岳などへの登山道が分岐している要所にあたる。ぼくらはそこに向かうのだ。

 昨夜から降った雪は深いところでは10センチ以上積もっていた。まさかこんなに雪が降っていようとは思わなかったが、ぼくらは快調に進んだ。左手に沢を望み、右手に岩陵の起伏を眺めながら樋の沢避難小屋に到着した。避難小屋の前の空き地でラーメンを作って食べた。幹事の土合は丁寧にもチャーシューとネギを持ってきた。南と欽一とぼくがエッセン担当で雪を踏み固め、バーナーでラーメンを作った。川又も大野も洋志も勝又も嘉洋も喜んで食べた。美味かった。田沼は凍った樋の沢に踏み込んで滑ってこけていた。青木はすっかり冬山の格好をしてサンタクロースみたいに赤と白になっていた。

 一緒に行動したのは12名と大勢であったが、ぼくらの呼吸はぴたりと合っていた。歩くペースも休憩のタイミングもほとんど同じ。だからとても歩きやすい。何も考えなくて前を歩く者に着いていけばいい。彼らとなら今でも山に行って安心して歩ける。そう確信できた。一つ釜の飯を文字どおり一緒に食らいあった仲というのはやっぱりいいものだ。

 樋の沢から戻ってきたのが3時過ぎ、そのあと幹事の青木と土合の車に乗せてもらい青葉山のキャンパスに立ち寄り、理学部の研究棟の屋上から仙台市の夜景を眺め、駅に到着した。お土産のカキと萩の月を買って田沼と伸幸と一緒に再び新幹線に飛び乗った。あっというまの2日間であった。実に楽しい同期会であった。


     あ の 人 は 今・・近 況 報 告(TUWVOB会のホームページからも抜粋)

22期(昭和58年卒) 利根川 敏

 22期の 利根川 敏 です。先日(11/22) 旅行で伊豆に行きまして,浄蓮の滝観光センタ−を経営している宿崎和彦さん(S53年卒)にお会いしました。元気ハツラツ、頭ピカピカ、立派な紳士です。悪役(?)俳優のユ−ルブリンナ−の再来と思われました。

 昔、新年会で、伊豆の観光紹介を兼ねて、同人誌"天城越え"の出版本を売りに(¥4000円)に来られた方です。新年会での図書販売人の第1号者です。

 その彼が、次の方の消息を求めています。
         "S51年卒(工学部 )会場 さん"     TUWVを中途でやめたそうです。

    <宿崎和彦さんの連絡先>
             自宅  Tel 0558-85-0430   会社  Tel 0558-85-1125/Fax 0558-85-1124

探索方よろしくお願いします。

(追記) 山葵 の調理の仕方を 教えてもらいました。
           1)  葉の部分を切る
           2)  切った個所より おろす
           3)  根の回りの イボイボは絶対に落とさない (辛み の原点)  …これが大事なことです。

7期(昭和43年卒) 上田(旧姓、佐々木)俊朗

 ご無沙汰をしております。今年も後1ヶ月。毎年毎年1年がだんだん早く過ぎ去るようです。
毎年少し友達と北海道の山を登っていますが、まだ無理をしなければ大丈夫のようです。今年の山行の中のハイライトは、ニペソツ山、2012mで下。高山植物の豊富さもさることながら、なきうさぎに三十年ぶりに出会うことが出来ました。そのほかには美瑛富士、天塩岳が主なところです。新年のOB会に出られると良いが、と考えているところです。それではみなさんお元気で。

4期(昭和40年卒) 鈴木 重雄

 2年前に直腸がんの手術をし、現在多少後遺症は残るものの元気に暮らしています。したがって、山のほうはまったくご無沙汰しています。その代わりということではないのですが、現在古典芸能観賞に凝っています。特に、歌舞伎座、国立劇場にはj毎月1、2度せっせと通っています。
 歌舞伎の世界を紹介するホームページを作ってみました。アドレスにkujiraの名前が入っています。クズランコのクジラです。 http://www.nttl-net.ne.jp/kujira

初心者入門ですので興味のある方はぜひ覗いてみてください。

38期(平成10年卒) 安中さやか

 初めまして、第38期の安中と申します。OB1年目の本年でしたが、いろいろな方に山行に誘っていただいたので、予想以上に楽しむことができ、うれしく思っています。

 10月に参加した女の子フリーでは、蔵王に行きました。東京から駆けつけて下さった先輩もいて、女の子10人のにぎやかなパーティーでした。天気が思わしくなかったため、朝9時半から宴会が始まり、夜までおしゃべりの花が咲きました。次の日の屏風岳ピストンも最後には晴れ、言うことなしでした。

5期(昭和41年卒) 藤田 凱巳

 小生の家族紹介は娘3人で、27歳、25歳、23歳と続いております。小生としては嫁にくれるのも親として寂しいし、と言っていつまでも独身とも行かずの心境でしたが、長女がやっと決まりました。

 今時両親と同居、東北の田舎(八戸の近くの六戸町)へ嫁ぐ事になりました。3人とも娘であり、藤田家は今後どうなるのかと心配しております。

 中国では墓を守るため、地元に残る風習が昔はありました。【明】の時代に台湾への移住はそのような意味で嫌がられました。

 藤田家は墓も無く、愚妻とどこへ入るか悩んでいます。3人嫁に行けば、孫の代には忘れられる運命ですから、空から海へ散骨するのが一番良いかなと考えております。

まだ若い年代が多い中41年卒ですので、後残りわずかとなりました。そのわずかとプラスαを海外で生活したく職探しをしてます。

22期(昭和58年卒) 利根川 敏

 一部の皆様は既にご存知と思いますが、OBの皆様の電子メールアドレスを整理しています。2年ほどかかりましたが、現在までに159名の方々がe−mailアドレスを登録しています。第1期から38期まで、約500名のうち約1/3の方に相当します。電子メールアドレスをお持ちで、ワンゲルOB会のe−mailアドレスにご登録されていない方がいらっしゃいましたら、22期の利根川までご一報願います。
                      mailto:GWT00287@biglobe.ne.jp

 さて、私の方は本格的な山登りから縁遠くなってしまいましたが、昨年あたりから家族キャンプやら河原でのデイキャンプなど、アウトドアライフを楽しんでいます。相模川、中津川あたりに出没しています。

 長女真希(小6)とは縄跳びの競争を(最近はよく負ける...グッスン...)、長男誠(小4)とは算数の計算に頭を抱え(信じられくらい計算ができない...ガックリ)、末っ子(年長)とはお風呂にもぐって潜水かんごっこ(年齢差は6.5倍、水中待機時間は3倍ってところ....ハアハア、ゼイゼイ...)。不況のお陰で帰宅時間が早くなり、家族と楽しい時間を過しています。

 仙台で知り合ってからもうすぐ18年になる家内、好子(MGの日文科)とは、子育ての悩みを毎晩の様にぶつけ合い、ケンカあり、涙あり....苦労、苦労の連続です。(写真をご覧になって下さい。)

 仕事の方は相変わらず、NECで衛星通信地球局用マイクロ波管の研究、開発、量産化、客先不具合対応などで、世界中を飛び回っています。今年はシカゴで開発品がトラブル(期待通り?)。製品を修理して、ついでにシカゴ美術館で Modigliani をみてきました。製品トラブル =>海外へはばたく? 不思議な気持ちです。 

8期(昭和44年卒) 佐藤 拓哉

オギャーと二人のスケッチ山行日誌

2月: 安達太良へ山スキー。地吹雪きの勢至平を風に飛ばされながら「くろがね小屋」へ。即、温泉へ。翌日頂上を目指すも、強風のため峰の辻で断念。

5月: 3年連続の立山での山スキー。連日天候に恵まれ、雷鳥沢、剣沢、浄土山で豪快に滑降。夕暮れ迫る立山を眺めながら雷鳥荘の温泉・・最高! 最終日は念願の御山谷を黒部湖まで大滑降。  

9月: 9期の同期会で平が岳へ想い出登山。快晴。2年の夏合宿で、ホエブスの事故のため頂上目前で下山した前田が一番懐かしそうだった。あの時は、まだ道もない玉子石まで行って沢を登ってくるPを待っていた。

10月: 雨を覚悟の西穂高岳。予想を裏切り、翌日は快晴。立山は初雪で真っ白だが、穂高は霧氷だけ。独票の松本深志高校の遭難碑(昭和42年、落雷で数人死亡)、その時我々も塩見ですごい雷に遭遇していただけに、忘れられない出来事であった。家に着く30分前に14年一緒に暮らした愛犬が息をひきとった。

11月: 八ヶ岳。営業を終わって静かになった行者小屋にテン張り、横岳から硫黄岳への巡回コース。まだ雪はないが、寒いく、水彩は凍って描けないのでテントの中で色付け。またまた快晴。本当に静かな八ヶ岳であった。

正 月: 渋の湯から入り、30日は黒百合平にテン張り。31日は天狗岳、硫黄岳を越え、赤岳鉱泉にテン張り。元旦に硫黄岳、横岳、赤岳を回り2日に帰る予定。

少なくとも60歳まではテントを担いで登りたい。とにかく徹底した軽量化に尽きる。コッフェル、テルモス、ガスバーナーはチタン製。ピッケル、アイゼンも最軽量のものを購入、従来のものの半分という驚異的なもの(アイゼンは両足でわずか480g)。今使っているダンロップのテントも結構軽いが、更に軽い(超軽い)エスパースを買うかどうか迷っている。もちろんエッセンはフリーズドライ専門(結構食える)。昼のアンパンが重い。

3期(昭和39年卒) 後藤龍男

 10月の海外出張時、ポルトガルのリスボンに立ち寄ってきました。当地の団体と半日、形ばかりの会議をした後はお決まりの観光です。

 有名なロカ岬へ行きました。ご存じヨーロッパ大陸の最西端です。犬吠崎をもう少し荒々しくしたような感じです。バルチック艦隊もこの岬を回って南下しました。

 岬に小さな観光案内所があって、800エスクード払うと肉筆署名の「最西端到達証明書」を交付してくれます。ポルトガル語なのでまったく読めませんが、「陸尽き、ここより海始まる」と言う有名な詩が書かれているのだそうです。

 この詩人の名前はほとんどの日本人が知りませんが、ヨーロッパでは子供でも知っている、マゼランやバスコダガマなどよりずっと有名人なのだそうです。

 ポルトガルというのはつくづくおかしな国で、15世紀の大航海時代に突然変異のごとくマゼランなど幾多の英雄豪傑を輩出し、またあっという間に世界史の表舞台から消えてしまいました。その後500年、泣かず飛ばずです。リスボンの海岸にはこれら英雄の巨像が大西洋を望んで屹立しています。今の調子だと、500年後に日本も同じ事を言われるのかな。

 料理は魚です。ボーイがいろいろな魚介類を大きな盆に盛ってテーブルを回ります。名前も知らない大きな魚や海老を指さすと、特産の荒塩でくるんで炭火で焼いてくれます。これを皿にほぐして、冷えた辛口の白ワインでやるともう最高です。大吟醸があればぴったりでしょう。聞いただけでよだれが出てきませんか?

 皆さん。山へ登るばかりが能ではありません。たまには綺麗な景色を見て、美味いものを食いに行きましょう。僕も付き合います。・・・俺も年かな。


TUWVOB会のホームページ伝言板より

4期の小原です。長野の出張報告です。
 講演が終わった後、バスの終点、戸隠中社まで入り、そこからタクシーで(ちょうどタクシーの車庫があった)戸隠牧場まで。高妻の登山口の脇にテントを張って・・・・しし座流星群の端くれを眺めながら。

 翌日、高妻へ向かったが、滝をトラバスする鎖場が雪で覆われ、怖くなって退散。戻って、飯縄へ裏から・・・途中スキーコースの中間で一泊。
 足首から膝までの新雪を踏んで山頂に着くと、反対側から登ってきた登山者がいっぱい。下りはほとんど雪を踏むことなくバス停まで。
 久しぶりの革の山靴で足に大きな豆を作ってしまいました。

                                                 4期(昭和40年卒) 大東磐司こと小原佑一


 10月9〜11日の連休を利用して、ゼミの学生と共に九重にある研修所にでかけました。お目当ては勿論、久住山への日帰り登山。ほぼ毎年出かけていますが、今年は絶好の天気に恵まれ、最高の山歩きを楽しんで来ました。

 牧の戸峠の駐車場はパトカーが交通整理にあたる程の混雑で、久住山頂までは鈴なりの登山者でしたが、学生諸君と久住分かれで分かれた後は、静かな旅となりました。山中にある法華院温泉でひと風呂浴びた後は生ビールで咽を潤し、10分程先の(あの「坊がつる賛歌」の)「坊がつる」で昼寝をして、長者原に下りました。「坊がつる」は初めてでしたが、とても気持ちの良いキャンプ場です。

 朝9時から夕方5時すぎまで歩き続け、まだまだ体力は衰えていないと少し自信がついた山行でした。次は三俣山に挑戦したいと思っています(身体の節々が痛い翌12日記す)。 

                                                       14期(昭和50年卒) 直江真一


 夢が実現! 昨年はわが8期の30周年記念山行で、18年ぶりに山(安達太良)に連れていって貰ったが、今年は9期の記念山行に招待された。目的地はなんと「平ヶ岳」。安達太良よりも厳しそうなので遠慮するつもりだったが,9期の皆さんの暖かい思いやりに感謝して参加させて貰った。

 初日の伝の助小屋での団欒は、30年ぶりに会ったとは信じられないほど。二日目はいよいよ平ヶ岳に挑戦。安達太良よりも厳しいとは覚悟していたつもりだったが、想像以上。「登りは良いが、下りが大変」などと考えると、「俺をここに置いて、皆さんだけで行ってくれ」と言いたいのだが、がんばらなくては!

 足元だけを見て、歩くこと2時間?(時間を気にする余裕もなかった) ようやく木道のある湿地帯に出た。天気は良いし、空気は爽やかだしゥゥゥ。やったぜ、2141m! 一等(だったかな)三角点。去年といい、今年といい「どうしてこんなに良い天気なの」、現役時代は、雨男の呼び名を貰った奴もいるのにゥゥ・(贅沢な悩み)。昼飯、昼寝とのんびりしても、「怖い下りが待っている」。

 普段の準備というものは、やはり必要なのですね。怖れていた通り、下りにかかってじきに膝が笑い始め、今さら「やっぱり登らなければよかった」などと思っても後の祭り。入れ替わり、立ち替わりサポートしてくれる皆さんに助けられ、予定よりかなり遅れて登山口に到着。

 帰りの新幹線の時間が迫っていたため十分にお礼を言う暇もなかったけれど、とても楽しい2日間でした。皆さん、有難う。                                             
                                                    8期(昭和44年卒) 濱 聰(9月12日記)


 はじめまして。23期の松林です。名古屋で高校の教員(ワンゲル部顧問)をやっていたのですが、この4月から、情報処理教育センターに出向になりました。(そんな関係でメールを始めました)  双子(1歳半)の世話でなかなか家を空けられませんが、機会があればぜひ山に登りたいと思っています。また、よろしくお願いします。                   23期(昭和59年卒) 松林 隆幸

 初めて書きこみますが、36期の結城と申します。今年の4月から就職して山梨県の韮崎に住んでおります。南アルプス、奥秩父、八ヶ岳などに囲まれた非常に恵まれた環境で日々生活しているため、天気の良い日などは仕事など放っぽらかして山に行きたいと思うこともしばしば。まぁ、なかなかそうもいかないのが辛いところです。

 この盆休みは家族で木曾の御岳山に登ってきましたが、天気には恵まれず残念でした。またその後富山の母の実家に行った際、交通事故で亡くなった39期の戸田君の墓参りもしてきました。もう彼の元気な姿を見ることが出来ないというのは今でも信じられない気がします。

                                                        36期(平成9年卒) 結城 宏元


 7期の大釜です。昨1998年10月16日付で神戸に転勤となり、26年と1ヶ月住んだ長崎を離れ、神戸に転居しました。ところがなんと、1年もせぬうちに、本年6月16日付を以って東京転勤(関連子会社に出向)となり、只今 次の所に住まい致しております。

      277-0903 千葉県東葛飾郡沼南町緑台15-29    TEL 0471-91-1081      最寄駅:JR常磐線 柏駅

 何と言っても首都圏にはOB会の皆様が沢山居られますので、お会い出来る機会も多くなるのではないかと楽しみにしております。今までは、地理的な条件もあり、休眠会員でしたが、これからは可能な限り参加しますので、何かの折には一声かけて下さい。歓迎会など気を使って頂いても結構です。

                                                        7期(昭和43年卒) 大釜 寛修


 平成11年卒の松岡邦浩です。(OB1年です。よろしくお願いします)初めて利用させていただきます。

 鹿峰荘の事ですけども、私は去年平成十年の春に一度入荘しました。そのときに鈴木建設の会長さん(鹿峰荘の家主)にはいろいろお世話になりました。例えば、入居手続きをするために鈴木建設の事務所(川内から坂を下って行って、牛越橋の袂にあるマンションの1階)に行った時にたまたま会長さんとあって、「よしここであったのも何かの縁だ。1ヶ月分ただにしてやろう」とおっしゃっていただき1ヶ月分の家賃がただになってしまいました。度肝を抜かれました。

 (ちなみに鹿峰荘は鈴木建設という建設会社が経営しているアパートです。会長は苦学生のための慈善事業だといっておられました。確かにいまどき家賃一万円のアパートはどこにもないですね。トイレ、炊事場、風呂は共同です。合宿所のようなところです)

 またある時は、「鶏百羽買ってやるから毎日卵食え」とか、鹿峰荘の横に川が流れているのですが(川といってもものすごく小さい溝みたいな小川です)、「川に魚を放流してやるからとって食え」などと冗談か本気かわからないことをいっぱい言っておられました。(結局実現しませんでした。)

 ただ話を聞いていてとても暖かくて優しい人なんだなと思いました。結局は、部屋の壁に塗ってあるペンキの臭いに耐えられなくて、引越しはしなっかったんですけど。

どうでもいいことをいっぱい書いてしまってどうもすみません。また利用させていただきます。

                                             38期(平成11年卒) 松岡邦浩(平成11年8月記)


 皆様、ご無沙汰しております。33期(平6年卒)の若井俊洋です。最近、新しいパソコンを入手し、また環境も変わりましたので近況報告をかねてお便りします。

 さて、私こと3年10ヶ月勤めました東邦ガス株式会社をこの1月で退社いたしました。その後、3週間のネパールトレッキング旅行を経て、4月より「岐阜市役所」に勤務しております。

 こちらでは社会人山岳会に入って、今でもときどき山には行っておりますが、お近くにお住まいの方、もしくは遠方にお住まいでも「山に行きたい!」という方はぜひ一緒にいきましょう!

 新住所は下記の通りです。よろしくお願いします。
      <新住所>          岐阜市市橋6−9−22 今嶺ビル107
      <TEL/FAX>   058−275−2816

                                                        33期(平成6年卒) 若井 俊洋


 2月6,7日、オギャー(奥さん)と安達太良に山スキーに行ってきました。冬型の気圧配置が緩まず、上は晴れているものの、地吹雪状態。勢至平では風にあおられ、数回ころびながら「くろがね小屋」へようやくたどり着きました。「こんな日は温泉しかない」とばかり、さっそく温泉に飛び込み、後は何もやることなし。この日は茨城岳連が50人程合宿で来ており満員。

 2日目も強風がやまず、どうにか峰の辻までは登りましたが、強風とガスで頂上は断念。雪の上に這いつくばってシールをはずし、滑降開始。粉雪が気持ちよい。スキーはやはり早い。あっという間に奥岳温泉に到着。この2日間は強風のためスキー場のゴンドラもお休み。

 岳温泉に下り、くぬぎ平ホテルの露天風呂につかって・・・今回も楽しかった。

                                           8期(昭和44年卒) 佐藤拓哉(平成11年2月15日記)


新 年 会 の お 知 ら せ

 新年会は毎年1月の最終金曜日にいつもの所で行っています。

    平成12年1月28日(金)18:30
    新橋駅のすぐ近くにある新橋亭(しんきょうてい)(TEL 03-3580-7811)
    会費は10,000円の予定

 皆さんお誘いの上ご出席下さい。特に若い人の出席は大歓迎です。遠くの方でも東京に出張などで来るような場合には、ぜひ出席して下さい。飛び込み大歓迎です。逆に、に出席ということになっているのに、当日欠席される方も結構います。これは本当に幹事泣かせ。予定が変わった時は早めにご連絡下さい。

     問い合わせ、連絡先  佐藤拓哉  0468-41-8622 mailto:sato.takuya@jgc.co.jp

  平成11年新年会出席者 
  (S39)小俣勝男、岡好宗、後藤龍男、松木功
  (S40)小原佑一、島崎質、白井洋行、緑川学

  (S41)相沢宏保、朝倉肇、海老央一、桜洋一郎、
佐藤豊治、瀬尾勝之、谷正美、藤田凱巳、横山雄一郎
  (S42)青木祐二 
  (S43)大木芳正、金子清敏、
菊谷清 
  (S44)小笠原弘三、佐藤拓哉、濱聡、
前田吉彦、水上俊彦 
  (S45)伊藤健一・千代子、
富川正夫、原田博夫 
  (S46)浅野孝夫、菅原英行、
田中康則
  (S47)園部式正、竹内俊一、仁藤祥一
  (S48)神山文範、松井一昭
  (S49)岡部安水
  (S56)阿部亨 
  (S58)利根川敏、西川雅明
  (S62)伊田浩之、北村健太郎 
  (H1)金沢保則

  (H7)大澤真太郎                    以上46名


★★ 編集後記 ★★

◇会報30号をお届けします。毎年どこかで同期会が 開かれているようですが、事務局にはなかなか情報 が入ってきません。同期会の様子をぜひOB会報に載せたいと思います。同期会の幹事の仕事の一つとして、「同期会の様子を事務局に知らせる」ということを追加して下さい。もちろん、誰かを指名していただいても結構です。                       

 ◇年会費は1000円です。1ペ−ジ目の口座に振り振り込んで下さい。数年前から新年会で集めるのを止めました。

◇22期の西川さんのご好意でTUWVOB会のホームページを開いています。ご利用下さい。また、利根川さんにOB会員のeメールアドレス帳を作っいただいています。アドレスをお持ちの方は利根川さんまで(近況報告参照)。

平成10年1月〜12月会計報告(東京口座)
<収 入>
 繰越金 433,711
OB 会 費 34,000
利   息 371
468,082
<支 出> 
会報NO29 76,370
近況報告等 6,915
鈴木先生記念品 17,820
生駒さん花輪代 7,000
事務用品、通信 4,895
次年度繰越 355,082
468,082