TUWVOB会  No.31  2000.12.23
   会報

会費振込先  第一勧銀川崎支店東北大学ワンダ-フォ-ゲルOB会  普通口座(370-188160
幾久会 ( 第 4期 ) 35周年記念同窓会
4期 平塚 征英

 35周年記念同窓会は、10周年の泉ヶ岳、20周年の秋保温泉、25周年の宮城蔵王、30周年の作並温泉に引き続き、新緑の鎌先温泉「木村屋旅館」において、平成12年5月27日に開催した。蔵王訓練合宿の時に不忘山から下山し、硯石から長いバス道を歩いた後で、やっと着いた鎌先温泉で、八木が入湯料を値切って温泉に入った経緯があるとの理由である。 

 当日は白石駅から一緒になった八木夫妻と旅館に着くと、カウンターで及川から声を掛けられ、前日午後に蔵王温泉から地蔵・熊野と歩いて刈田避難小屋に泊まり、南蔵王縦走してきた小原を途中の道路で拾ってきたとのこと。

 次が車で来た鈴木夫妻と白井。鈴木は白石城や弥次郎のこけし工房に立ち寄り。送迎バスでは野村・緑川・久保田・平塚夫人が到着。関川夫妻は松島の方を回ってきたとか。宴会が始まる前に2部屋のビールはほぼカラッポ。

 宴会開始予定になっても竹井が到着しない。心配になって九州の家へ電話してみようとしている所にタクシーで竹井が着く。

 乾杯の音頭は前回と同様に元主将の関川に。近況報告では、第二の職場・健康に関することが多かったのは前回以上であり、今回は奥様が4名だったので、竹井提案の旦那の採点まで含まれた。

  近況報告が終わってからは、昔話に花が咲き時間を忘れる位だった。宴会はかなり時間超過で、仲居さん達がやきもきしていたが、中締めは他では考えられないような鈴木によるクズランコと一本締め。

 二次会部屋では持ち込みの山菜料理(シドケ・山ウド・ミズ)もあり、宴会場で余ったビールと焼酎の他に八木・野村から差入れの焼酎・ウィスキーなどふんだんにあった。

 二日目は大荒れの天気予報のため、蔵王お釜観光は危ぶまれたが決行、途中バスから残雪の不忘山付近は良く見えたが、刈田の有料道路入り口では完全なガスで、もう30分早ければ見えたとか。終点の駐車場では殆ど何も見えず風も強い。取りあえず馬の背へ行き、お釜を見ようとするが何も見えない。それでも写真を撮るだけは撮ってレストランへ早々に退散する。熱いソバ・おでん・玉コンニャクで昼食。昨夜あれだけ飲んだのに、ちゃんと酒とビールの注文を忘れない人が居たのはさすが。

 途中コマクサ平で下車。ガスは無いものの風はまだ強い。 次は滝見台で下車。三階滝と不動滝が良く見え、ここで記念写真。女性陣からの白い花の名の質問に対し、”森林インストラクター”緑川の回答(ど忘れで直ぐには出なかったが)マイズルソウは正解でした。ピンポン!

次回は40周年(5年後の2005年)です。長生きして集まろう!

7期同期山行
7期       菊谷 清

 同期の真尾が上京してきて、新橋で一杯やろうと電話をかけて来たのは今年の3月末の頃。唐突に彼が「平ヶ岳へ登ろう。幹事をやってくれないか」と切り出した時、とっくに忘れていたホウェーブス事故で頂上を目前に撤退した夏合宿の記憶が、突然、頭の中に浮かんできた。30年前にやり残したままの仕事を完遂するのもいいなと思い、酔った勢いで引き受けた。しかし、後で酔いが覚めた時、今の体力ではとても昔の登山が出来るわけがないことに気がつき、急に不安が高まってきた。

 前田が昨年平ヶ岳に登ったということなので早速、相談を持ちかけたところ、われわれが昔に登ったルートとは別のショートカットルートがあり、そこからなら簡単に往復可能で、さらに前田がガイド役もやってくれると聞いてようやく一安心した次第である。

 仲間に参加を募ったところ、予想以上に沢山の参加申し込みがあった。しかし送られてくるEメールの文面から、皆一様に自分の体力に自信がなく、本当に登れるのかどうか不安を持っている様子がありありとわかった。そりゃそうだよ、50歳半ばの老年だものね。

 結局、参加することになったのは、我々同期は石川、俊郎、大釜、金子、国岡夫妻、直樹、手戸、藤森、真尾、山口、私の12人、先輩は祐二さん、加藤さん夫妻、堤さんの4人、それに前田を加えた総勢17人である。 

 出発の準備も大変である。当然のことながら昔の登山道具はどこかへ逸失し、何を用意していいやら途方にくれるありさま。それでも昔の薄れた記憶を思い出しながら登山靴、ザック、固形燃料、地図などを購入した。ピカピカの新入部員の出で立ちである。

 9月15日の初日は集合日。はるか遠い北海道、青森から参加する2人を含め、浦佐駅に15人が午後1時に集合。卒業以来はじめて見る顔もあり、懐かしい。年はとったが、みんな昔のままの顔立ちである。当日は、夕方までの時間をつぶすために奥只見ダム発電所の見学を計画していたので、駅前から電発手配のマイクロバスに乗り、さらに銀山平で祐二さん、堤さんをピックアップして全員でダム見学に出かけた。

 電発社員の素人ガイド付きでの奥只見ダム・PR館および地下発電所の見学は、土木屋以外の仲間にはつまらないかも知れないと心配であった。しかし地下深くのダム発電所の見学は皆初めてのためか、熱心に質問をするものだから、ガイド(電気職)も職業意識に芽生えて案内に力がはいり、普通は見学者を入れないような所まで回った結果、予定見学時間をかなりオーバーしてしまった。

 ダムの堰堤上からは、銀山湖の上方はるか遠方に霞む平ヶ岳を望むことができた。ダムから銀山平へは、ゆっくり遊覧船で湖上遊覧しながら行く予定であったが、当日は風が強く欠航となっため、残念ながら果たせなかった。

 宿泊は銀山湖畔の湖山荘。ここで相原が飛び入りで合流してきて総勢18人となった。

夜は昔話に花の咲く楽しい懇親会となり、美味しい地酒をたらふくいただいて寝たのは?時か、記憶にない。

 翌9月16日は早朝4時出発。さすがに元ワンゲルである。寝不足でもピシッと予定通りに出発した。周りはまだ真っ暗である。中ノ股川沿いにマイクロバスで次第に高度を上げて1時間半、夜がようやく明けた頃に平ヶ岳登山口に到着。ガイドブックでは登山禁止のルートということあったので、登山者は殆どいないのではないかと思っていたら、何の事はない、銀山平の各小屋からのマイクロバス3〜4台が数珠繋ぎになって川沿いの狭い道(部分的に舗装もあり比較的整備状況はよい)を登っていくさまは、朝の登山ラッシュの様子である。

 天候は薄く雲がかかっているが、まずまず良好。久し振りのラジオ体操を元気良く掛け声上げてやったが、周りに沢山の登山者がいたのでちょっと恥ずかしい気分ではあった。

 皆の登山の格好はさまざまである。寝巻き風の上下を着て大きなビニール袋(ザックの代わりか?)を引きずって歩くホームレスのような格好をした者や、会社のネーム入りの作業服を着て頭に手拭ぐいを巻きこれから現場工事に出掛けるような格好をした者など思い思いの風体をしていて実に愉快である。俊郎や前田は、度々山に登っているというだけあってなかなか決まった格好だ。

 5時40分、われらTUWVOBパーティーはトップ前田・しんがり俊朗で、いよいよ登山開始。最初の3時間はきつい登りだよ、との前田の予言どおり苦しい登りが始った。最初の一本の声がかかるまでの時間の長かったこと。息はゼエゼエ、喉はカラカラで、もうバテ気味。最初から大休止で朝食をとる。メンバーには顔面蒼白の者もおり、本当に頂上まで辿り着けるか不安になってきた。男どもに比べると女性2人は元気一杯で、この位の年齢になると男女の体力は逆転するというのがよくわかった。それでもちょっと休憩すると体力は回復するもので、一本直後は足取りも軽く呼吸も楽だが、加速度的に苦しさが増してきて次の一本の直前はもう限界に近くなる。この繰り返しを何度か経験した後にようやく稜線に達した。しかし緩斜面の稜線は冷たい強風が吹いており、敷かれている木道を何度か踏み外しながらヨロヨロと進んで行った。

 ようやく9時頃に待望の平ヶ岳頂上に到達。この頂上の約1km手前で撤退したのは34年前であり、このわずかな距離を辿り着くのに34年もかかったかと思うと感無量であった。当時のパ−ティーメンバーだった真尾、前田とともに三角点の上に手を重ねてその喜びを分かち合った。

 計画では頂上でゆっくりと時間を過ごして昔の思い出に浸るはずであったが、三角点付近は狭いうえに登山者が続々と来て混雑していたため、早々に退却して頂上より10分位下りた風の当たらない水場で大休止とした。しかし皆さん、普段の運動不足にもかかわらずよく頂上まで登れたものだと感心した。久し振りに味わう山の雰囲気は本当に気持ちがいい。また山に登ろうという気が湧いてくる。

 下山は2時間半位である。ところが下りになって膝の耐力に普段の運動量の差が顕著に表れてきた。最後の急な下りでは膝で自分の荷重を支えきれずに、滑って何度も尻餅をつくありさまとなった。登山口まで下りて缶ビールを一気に飲んだ時は、ついにやったという満足感でいっぱいになった。

 湖山荘に戻り、いつかの再会を期して解散。車で帰る6人と別れた後、われわれ電車組みは例の銀山平プレハブ温泉に大急ぎで飛び込み、汗を流した後、浦佐駅に下山。久し振りの充実感に包まれて帰京の途についた。

30周年 第三弾  ”奥鬼怒”(8、9期同期山行)
9期 伊藤 千代子

 30周年山行で集まった8期、9期はまだ登れるという手応えと、あと何年登れるだろうかとの思いを感じ、毎年適当な山を選び、一年に一回山行を続けることとなった。条件はそこに温泉が有ること。

今年は奥鬼怒温泉郷のカニ湯に泊り、鬼怒沼まで登ることにした。9月2日、宇都宮駅12時冨川さんと伊藤で迎えに行く。根岸さん、前田さん、水上さん、桃谷さん、中里さん、・・・ム、ム一人来ない!!  原田さんだ!

家に電話を入れると、「エー、来週じゃなかったのかー」とのお言葉。何とか自力でカニ湯まで絶対来るように、と伝え、駅を出発。

 途中蕎麦屋で昼食、2時半頃夫婦淵温泉着。そこで佐藤さん夫妻、相原さん夫妻(奥様は初めての参加、何の違和感もなくすぐ打ち解けられた)、濱さん親娘と合流して宿のマイクロバスでカニ湯へ。カニ湯は一軒宿で、きれいで部屋も広く、良い宿だった。露天風呂も内湯もあり、景色にも恵まれ、紅葉の頃はさぞかし、と思われた。ここで山から下りて来た小原さん、三日月さんと合流。  原田さんも。

  楽しい夕食とおしゃべり、露天風呂に又入って・・・・

  9月3日早朝、朝ご飯をおにぎりにしてもらって出発。川沿いに歩いて日光沢温泉に着く。ここから山道に入る。背の高い鬱蒼とした林の中をジグザグと登って行く。途中オロオソロシの滝を見たつもりで通過。アキノキリン草、ウバゆりの実、色着いたゴゼンタチバナやマイズル草を眺めながら、・・・いつもの様に濱さんの手を取り交替で支えながら(?)登って行く。

9月初めなのにだんだん気温が下がってくる。朝は半袖、短パンだったのを、長袖、長ズボンを着込みヤッケを着てもまだ寒い。やがて木の丈も低くなり、ナナカマド、オオカメノキの赤い実を愛でつつかん木帯をぬけるとパっと湿原が現れた。初秋のほんの少し草紅葉が始まった湿原に木道が霧の中に浮かんでる。風はきつく、冷たい。 でも、山の上の湿原って何故こんなにウキウキするんだろう!  身をすぼめながら避難小屋へ。NHKの撮影隊が小屋の中にいたが全員入れるように空けてくれた。ラーメンを作り、おにぎりをほおばり、梨をむいて、ホっと一息。

元気を取り戻し再び外へ。でもやっぱり寒い。霧が少し晴れて青空と周りの稜線もみえてきた。シラビソの林、白い雲、草原、風、何故かなつかしい、すがすがしさ。樹林帯に入ると風は気にならなくなり、下るにつれ、歩くと少し汗ばむ位になった。それが又、さっきの湿原を別世界のような不思議な感覚で思いださせた。

昼過ぎカニ湯に戻り、温泉に入りビールを飲んで、帰途についた。一昨年の安達太良、去年の平ヶ岳、今年の奥鬼怒、来年は?

奥秩父・金峰山(26期同期山行)
26期 小松義秀

参加者  平田、伊田、荒田、北村、森、森川、小松

10月20日(金) : 7時半JR西国分寺駅に関東組集合。天気はうすぐもり。北村の車(パジェロ)に森、小松が同乗。道は予想外に空いており、9時半頃には甲府駅の駐車場に到着。関西組と合流する前に森・小松で買い出しすることにする。駅前の山交デパート開店までご近所のご婦人がたと待つ。やはり甲州では「ほうとう」だと考え、生のものと乾燥したものとを購入し味比べをしようということに。当地では「あずきほうとう」もあるそうなので、あずきの缶詰も買った。

11時 特急ふじかわで平田、アラポン(荒田君)到着。今日の合流者はこれで全員である。学生気分で昼飯をたべる。天気は小雨だが、気分は相変わらず高揚している。

12時 甲府発、今日の目的地大弛(おおだるみ)峠には、甲州側、信州側ともに車で行けるのであるが、今回は山梨県側ががけ崩れのため、一旦長野県川上村に向かう。雨が強くなるが、林道好きの北村号が行く本谷釜瀬林道は、増富温泉から先、紅葉がとても美しく楽しいドライブとなった。

信州峠を越えてすぐに大弛峠へ向かうのかと思ったが、北村号はそのまま進路を北にとり、天狗山近くの馬越峠を登る。このあたりで少し晴れ間が見え、眼下に雨上がりの鮮やかな緑色の畑と町並みが見えた。さらに峠を反対側へ下り、まだまだドライブは続くのであるが、それは省略する。

秋山の集落からいよいよ大弛峠に登り始める(もちろん、車で)。天気は再び悪くなり、ガスも出て肌寒い。川端下を過ぎ、廻目平で左へ進むと、道は極めて悪くなってくる。ゴツゴツ道を20〜30分も行っただろうか。傾斜がなくなり、急に舗装された道に出ると峠に着いた。16時ごろである。

大弛峠は激しい雨、すぐに小屋に逃げ込む。同宿者は私たちのほかは一人、あとは管理人のお兄さんのみ。こうなると二口小屋のように我が物顔に振る舞える。早速、本日のESSEN長、森の号令下でみなが動き出す。私も黒く錆付いたオピネルを出して、少しだけ手伝うふりをした。

「ほうとう」はカボチャの風味で「ほうとう」らしくなるそうだが、今回は各人の好みもあり、あえてカボチャなしで挑戦してみた。そうしてみると、味は間違いなく「芋煮うどん」であり、中身の具から考えても確かにそのものであった。これは酒の肴としておおいに受け、その後の「カレーほうとう」も好評で、ワイン2本、日本酒1本はまたたく間になくなった。外はますます寒くなり、ついに小屋の「サントリーレッド」も飲んでしまった。

小屋には、調律された(というのか表現がわからないが)ギターがあり、管理人のお兄さんから借りた北村の伴奏(上手だった)で、かつての山行のようにみなで歌った。しかし、なにを歌っても歌詞がデタラメで、改めてワンゲルらしさ、または26期らしさを感じた。

10月21日(土) : 翌朝は寒さのため、皆比較的早く起きる。天気は快晴。存在が重荷になりつつあったあずきの缶詰は朝のデザートとなり、個人的には一安心。8時すぎには出発できる。

開始3分、というと柔道かサッカーのようだが、たちまち私はみなについていけないことを悟り、列から外れることを希望。みなさんのご厚意により、逆に先頭を歩かせてもらえることになった。自分のペースで歩けるので私も心地よく、みなはさらにラクチンだったようで、にぎやかに話しながら進んだ。

一本目の休憩で、伊田と連絡をとる。携帯電話がつながるよう見晴らしのよいところで、「これだけ山深いところもそうそうあるまい」と誰かが言った。奥秩父は東京から近い割に本当に人里離れたところである。もっとも道がとてもよく踏まれているので、東北の山に比べると山の中自体に人の気配を感じるような気がした。

伊田は特急あずさで移動中。「こんな山の中から特急電車と話ができるなんて、すごい時代になったもんだ」とこれまた誰かが言った。WV現役のみなさんも、山中でトランシーバーではなくケータイを使っているのだろうか?

伊田は26期の宝である。彼がいるおかげで、26期は毎年なにも考えなくても山へ行けるのである。彼は、かなり期が離れているワンゲルの先輩、後輩の方とも面識があり、持ち前のひとなつっこさでそうした方々と仲がいい。このOB山行をとても楽しみにしていたのだが、今回初めて初日に参加できず、とても残念がっていた。しかし彼がいなかったのをもっとも残念がっているのは、文章のプロである彼に今回の山行記録を任せられなかったこの私であろう。

ゆっくりと出発。樹林帯の多い奥秩父の山々は、埼玉出身の私には懐かしい感じがした。金峰山頂近くになり、岩が露出してきたところで、各自のペースとなり、アラポンと私は景色を楽しみながらのんびりと到着。11時前だったか。

山頂からは360度の展望が楽しめた。八ヶ岳に南アルプス、はるかに北アルプス、五丈岩をはさんでおやっと思うところに富士山もあった。さらに細かく山名が言えるといいのだが、ともかくたくさん山が見えた。

紅茶をわかしてもらって、昼食も済み、ごろ寝。と、そのとき、80名くらいはいるのではないか、という中高年の大パーティがやってきた。百名山隊?。話の具合では、長崎や諫早の方から来ている人もいるようだった。お互い写真を撮って、「後でお送りしますから住所を」などと言っていたので、多分ツアーなのだろう。まあ26期のOB山行の場所選定も百名山隊と同様といえよう。

この人たちもここで昼食、やがて来た方向とは別の方へ下っていったので、瑞牆山(字がうまく出ませんでした)へ向かった様子であった。このくらいの年齢になっても山へ来られるというのはとても幸せなことだと思った。

2時間か3時間くらい、山頂に居たのではなかったか。帰りはみなに圧倒的に離されて、また自分のペースで下った。行きに伊田に電話したところでみんなが待っていてくれた。そこから先は北村が最後尾についてくれて、ゆっくり話しながら下った。

大弛峠までやっとの思いで戻り、靴を脱いで、珍しい「ほっけの燻製」を食いちぎっていると、森川と、甲府から森川号で大弛峠まで来ていた伊田が、北奥千丈岳から帰ってきた。これで全員集合である。

伊田はみなが予想していた通りのことを言った。「ここまで来て、奥秩父の最高峰(北奥千丈岳)に登ってこなくちゃ意味がねーぜ」・・・私たちの都合で伊田が初日から参加できなくなってしまったので、申し訳なさのあまり心の中で静かに合掌した。森川は優しく笑っていた。

ここから今日の宿「薮の湯 みはらし」までは信州まわりだと70〜80kmぐらいあったのではないか。南アルプスの山ふところにある。真っ暗な中ようやく宿に着き、一風呂浴びて、楽しく宴会。部屋に戻ってからも元気一杯・話題豊富な伊田に、みんなが寝たり起きたりしながら交代で話を聞き、さらに酒は進んでいった。

10月22日(日) : 朝風呂に行ってみると、正面には盆地をはさんで八ヶ岳を望み、左手には甲斐駒の尾根と谷がくっきりと見えていた。本当に見晴らしの湯だったんだな、と思った。

楽しい学生気分もまもなく終わり。アラポン・平田の関西組は小淵沢の駅で別れる。彼らは車中で楽しく酒もりをしていたそうだ。残った5人は、清里に行き、テラスでコーヒーなど飲みながら、徐々に夢から覚めていったのであった。

こうして思い出してみると、改めて楽しかったなあと感じます。帰ってからしばらくご機嫌でした。また、期をこえてゆっくり山に行きたいと思いました。

   2000.07.29(土)                  白馬大池 小蓮華山 2,769m

K2Couple (8期 相原敬)

■21:50 = 藤岡IC = 23:15更埴IC = 0:30栂池高原P6:20 - 6:35イブRW7:05 - 自然園分岐 - 8:20天狗原 - 9:45白馬乗鞍岳9:55 - 10:30白馬大池(昼食)11:00 – 12:00小蓮華山12:15 - 13:00白馬大池13:15 - 13:45白馬乗鞍岳(昼食)14:00 - 14:55天狗原 - 15:55栂池自然園16:30ロープウェイ17:00栂池高原 - 17:10栂の湯17:50 = 18:45道の駅中条(夕食)19:15 = 更埴IC = 藤岡IC = 21:20■

きのう休日出勤のため2日間の予定を変更して日帰りで白馬岳行ける所まで行く決意。明日はJUN里帰。

前夜発で思ったより空いている栂池高原パーキング(¥300)に入り、6時半のゴンドラ 「イブ」 の始発まで車中で仮眠をとる。夜半に猛烈な雨に見舞われ目を覚ました。こんなんで大丈夫かなと不安がよぎる。

10番目位のイブに乗り込むが、非情にも真っ白なガスに突っ込んで行くのでぐちゃぐちゃ愚痴るのはオレ。突然ガスを突き抜けて山上の視界が開け雲海が広がる。さっきまでの愚痴もガスと共に消えていた。

栂の森でバタバタ走って朝一の栂池RWに乗り継ぎ栂池自然園に一番乗りした。樹林帯をジグザグに登り、尾根上で振り返ると一面の雲海の上に遠く頸城山塊、浅間、八ケ岳が望める。池塘とナナカマド、ワタスゲの咲く天狗原は高谷池よりちょっと規模が小さい。大阪の大規模中年女性パーティーがとにかく賑やかでうるさいので追い越した。

大きな安山岩のごろごろした足場の悪い登りが続き、先週女性が滑落したばかりの傾斜のきつい雪渓を慎重に越えると平坦な乗鞍岳山頂のケルンに出た。白と緑の雪倉岳、朝日岳の稜線がなだらかでなつかしい。北寄りに少し下ると白馬大池と大池山荘の赤い建物が見えてくる。危ない池ポチャ雪渓をトラバースし、山荘前でお花畑を愛でながらお昼にした。テン場は若いPartyが多い。 ビールの空き缶が山のように積まれている。

なだらかに見えるが雷鳥坂の登りはハイマツ帯のザレで想像以上にきつい。ハクサンコザクラ、シナノキンバイ、コバイケイソウ、タカネツメクサ、チシマギキョウそしてチングルマの大群落だ。雷鳥も週末は休みかな、見かけなかった。あちらこちらにコマクサの株を大切そうに小石で囲ってあるのが微笑ましい。

雷鳥坂を登りきる頃にはガスが濃くなり、小蓮華、白馬三山、雪倉、朝日とにかく何も見えない真っ白闇でしかも肌寒い。 期待が大きかっただけに残念。諦めて小蓮華山で折り返す事に決め、未練がましく白馬方面のガスの流れを眺めた。

花の写真を撮りながら大池に下る途中で、例の賑やか女性Pがようやく登って来た。白馬大池に別れを告げ、乗鞍岳への安山岩のいやな登りに取り付く。乗鞍岳山頂のケルンの横で昼食をとり、雪渓を下って自然園RW駅をめざす。

残雪でアイゼンをつける人が多かったが、めんどいので結局つけずに下った。雪解水で足場がぬかるんで滑リ易い。 こんな時間にまだ登ってくる奴がいる。読売旅行の山登りツアーに追いついてしまい、悪場で大渋滞に巻き込まれてまいった。

自然園駅でRWを待っていると突然の大雨。しかし終点の高原駅は晴れていた。栂の湯の温泉とビール¥300で疲れた身体を癒し、白馬駅前に寄って帰路につく。白馬、唐松、五竜はガスっている。

途中の道の駅「中条」では、夕焼け雲にぽつんと鹿島槍のシルエットが浮かび、今日のたのしい山行のフィナーレを飾っているようだった。中条からは敬子運転。いつの間にかバク睡モードに入っていた。

蓼科山 <34期同期山行報告>
34期(平成7年卒) 米川 誠

期日:平成12年8月12日(土)〜13日(日)  参加者:大沢、小沢、関口、津田、都築、米川

 毎年恒例となりました「山うなぎの会(第34期OB山行)」,今年はアクセスのよさや私の希望もあって長野県蓼科山で開催されました.本年度の参加者もお盆の時期にもかかわらず昨年と同様6名と少ない人数となってしまいました.

 さて、初日、仕事で参加できない同期の宇和川に見送れながら東日本組4人は新宿駅を出発しました.前々から聞いていた天気予報では雨ということだったので,不安交じりのスタートとなりました.茅野駅で降りて,西日本組の小沢と津田と再開したのですが,彼ら2人ともすこし前に会っていたので,結局見なれたメンツでの山行となりました.

 茅野駅で買出しをして,初日のキャンプ地である白駒池キャンプ場付近までタクシーで行きました.やはり心配していたとおり,山の中腹をすぎたころから雲行きが怪しくなってきて,タクシーを降りたときにはすでに小雨状態でした.これが影響してか,私がタクシーをお降りる場所を間違えて30分ぐらい余計に歩くことになったときも大ブーイングが沸き起こりました.

 白駒池とその周辺は実は私も含め3人が以前にきたことがあり,晴れればとても美しいところなのですが,残念ながらこの日は雲でほとんど景色が見えませんでした。しょうがないので池で写真を1枚とってさっさとテントで宴会ということになりました.もやはこのときみんなの戦意は完全に喪失しており,翌日の話をすると,「明日は9時起きだな」といった感じでとても元ワンゲルとは思えないような状態でした.

 翌日あさ早くに起きて外を見たところ,小雨がぱらぱら降っており,行けなくもないなという天気でした.しかし,みんなは起きる気配はまったくなく,私自身も雨降る中を歩きたくなかったので,残念ながら山を下りることにしました.最後は茅野駅前の蕎麦屋で反省会を行い,1年後の再開を誓って解散ということになりました.

 今回も少ない参加者となりましたが,同期山行は続けていくことに意義があると思います.来年こそは多数の同期が参加できることを願うばかりです.


近況報告

21期の千田敏之です

 82年の夏合宿で、黒部・奥の廊下を遡行して以来、4回ほど、薬師沢出合上流の黒部源流は訪れているが、

核心部と言われる上の廊下には足を踏み入れていなかった。40歳も過ぎて、そろそろ沢登り年齢でもなくなってきたので、今のうちに行っておこう――と、ガイド山行ながら上の廊下を遡行してきました。

8/15 : 夜行・急行アルプスで大町へ。

8/16 : ダムで黒部ガイド・志水哲也氏(http://www3.nsknet.or.jp/~guriguri/)と、他のメンバー・3人と合流。何とガイドを除き私が最年少。奥黒部ヒュッテへ。ヒュッテまではかなりの距離とアップダウンがあり全員バテル。

8/16 : 奥黒部ヒュッテより遡行開始。水量はかなり少ないとのことだが、徒渉はかなり大変で右足を捻挫。だましだまし遡行。1日目核心部は口元ノタル沢出合上流ゴルジュ。泳ぐがかなり冷たい。広河原で幕営。岩魚1匹。

8/17 : 名勝・上の黒ビンガ、金作谷を経て、立石に向かう。水量少なく高巻きがないのが助かる。捻挫した右足をかばっていたら、左膝にダメージきて右足、左足ともにガタガタ。膝が上がらなくなり遡行スピードが落ちる。痛みをこらえながらも薬師沢出合に到着。

8/18 : 薬師沢小屋で解散。一人で折立に向かうが、膝が用をなさず9時間ほどかかる。

 ガイドの志水氏によれば、彼が十数回入ってる中でも水量が記録的に少なく楽勝の上の廊下だったそうだが、徒渉は(ビレイはするものの)かなりハードだった。トレーニング不足というか、1年に1回の山行なので筋力が落ちていて、膝がだめになり、後半は遡行を楽しむどころではなかったことが悔やまれる。もう1回行くか……。

第19期 小山茂典です

アメリカのシリコンバレーに暮らして10年になります。最近のこの界隈のトピックを。

ここ数年のネット・ビジネス・ブームを反映してとにかく金と人が集まり過ぎバブルの様相。エンジニアの平均給与は年収10万ドルを突破、加えてストック・オプションその他のインセンティブ付き。分野によっては経験数年の新卒に毛が生えた程度のエンジニアでも何十万ドルもの収入得るケースも多々あり。当方オフィスでも新規エンジニアの雇用がままならないどころか、今いる人間を引きとめておくために四苦八苦。一方泡沫ドット・コム・カンパニーの行き詰まりも多く人間の流動激しい。

不動産が高騰。2ベッド・ルームと言われる平均的なアパート(日本でいえば2LDK)でいいところはのきなみ月額2500ドルレベル、ここ5年で倍増。平均的住宅(建坪50坪位)は場所にもよるが築10年以上の中古でも60万ドルから100万ドル。値段以前に供給が需要に追いつかず物件そのものがなかなかない。結果として高収入なハイテク・プロフェッショナルのみ脚光を浴びかつ生き残っていくため、比較的収入の低い学校教師など公務員人気は最低で、若年人口増加しているにもかかわらず教師不足で教育の質低下が心配されている。

ホテルとゴルフ場が続々建設中だがこれまた需要が供給に追いつかず常に満員御礼の状態。ビジネス客向けのホテルは一泊200ドル、ゴルフは週末100ドルとこれも5年前に比べれば倍増の水準。

こんな状態いつまでも続くはずがないと皆口々に言い合ってはいるものの、次々に新しい形態のビジネスが生まれ野心ある人々が流入敗者は静かに去るだけ。この1年も新陳代謝は激しいが総体としてのシリコンバレー経済は依然としてさめる気配なし。

ちょっと前まではこの世界のスピードの速さを人間の寿命スピードの8倍で生きていく犬にたとえて“ドッグ・イヤー”と言われていましたが、最近はさらにスピードアップし20倍の“マウス・イヤー”と言われています。実際にこの街に暮らしているとビジネスの上ではあながち誇張とも言えないところがあり、全力疾走の気持ちよさも感じる反面、行く末そら恐ろしいところもあります。

ソフト分野の需要もありまたビジネスチャンスを求めてインド系や中国系の人の流入が多く、おかげでエスニック料理特に本場のおいしい中華料理やインド料理のレストランが増えています。

22期 利根川敏です

TUWV OBの方々のメールアドレスを整理しはじめて3年間が過ぎ、どうやら200名を超える方々のアドレスが判明いたしました。これもひとえに、お仲間のアドレスをご紹介頂いた皆様のお陰であると感じています。世の中はインターネット時代、電子メールやホームページ無しでは、多くの仕事が成立しなくなっています。メールを介してOBのネットワークが広がる事を心より期待しています。

今年の4月に、NEC本社に異動となりました。業務は15年間にわたる電子デバイスエンジニアの経験をベースに、技術マーケテイングを通した事業戦略策定、市場動向調査などを行っています。最近では、xDSLや次世代携帯電話、WDMなどの通信関連インフラの市場動向を調査しています。この分野にご関心のある方...遠慮なくご連絡下さい。

仙台を離れてもう15年が過ぎ、泉ガ岳の雪渓でゴンスケをやった事、厳しい訓練合宿、真夏のヤブこぎ、秋の二口、そして飯豊、朝日の山々を厳冬期に登った事...夢のまた夢ですね...もう信じられない様な気持ちです。

今年の4月には、長女が中学1年生になり長男は小学5年、末っ子は小学1年生で大変にぎやかな家庭です。仙台で出会った主婦暦14年の家内は子育て真っ盛り...私はお仕事バリバリ、朝帰りも多くて....TUWVで鍛えた体力勝負の日々が続いています。

NEC本社(港区、JR田町)にいます。新橋へは大変近くです。2年ぶりの新年会で皆様にお会いできる事を楽しみにしています。     E-mail : GWT00287@biglobe.ne.jp 

8期 濱聰です

今年も有難うございました。お陰様で又一つ思い出(冥土の土産)が増えました。

去年の平が岳よりもきつかったような気がします。それでも今回は去年ほどは脚が痛まなかった、多少は普段の運動の効果があったか。(運動と言っても週に2〜3回、1000mばかりプールで歩くだけだが。)

頂上では冷たい風が強く、とても夏(の終り)とは思えない気温でした。多少降られましたが、今年もまずまずの天気でよかったですね。皆様の心がけの賜物・・・(内心では俺の!)。

体調は、急激な変化はないものの、年々少しずつ悪化しているようで、躓く、転ぶなどの回数が増えており、今後いつまで歩けるかわかりませんが、歩ける間はこういう機会があったらまた参加させて頂きたいと思います。重荷でしょうがよろしく。

助けて貰えれば歩けるとわかったら欲が出てきました。ヒマラヤは無理だが、アルプスのトレッキングなら行けるのではないか。登山電車やロープウェイで頂上まで行けるところもあるようだし・・・・・・。

再来年はリフレッシュ休暇が貰えるし、丁度娘の卒業時期だから卒業式を見に行って、その帰りにスイスあたりに行ければいいな。オーストリアのケーブルカー火災の報道を聞いて、やっぱりやめた方が良いか?

7期の大木です。いつもお世話様です

最近京都に転勤になりました。こちらにきて、鞍馬に紅葉狩りに行ったら、突然「TUWVの野家ですが」と声をかけられました。イヤーびっくりしました。

こちらにある研究所の企画部門所属で、科学技術振興事業団の進めているプロジェクトの管理に出向しています。このプロジェクトのテーマは、ばい菌のべん毛の構造、機能を調べると言うことです。私のいままで手がけてきた分野とは全く違っているために、言語・習慣全てに亘って戸惑うことばかりです。

家庭の事情で単身赴任です。とは言っても、毎週木曜日には川崎で非常勤講師をしている関係上週一回は自宅に帰っています。適当に金曜日に東京近辺に仕事を作っては週末も自宅で過ごすことがあります。そのためか、出張と言うか電車に乗るのが仕事のような気がしてきます。

折角京都に来たので、山を尋ねてみようかなどと考えています。山は山でも、xx山oo寺と

いったような。京都での住処は、京都市の南、伏見です。伏見の銘酒で知られたところで、周りには黄桜他色々な酒蔵があります。酒が目当てでここに住むことにしたわけではないのですが、結果としてはいいところに住んだかと。繁華街のすぐ裏で、京都駅からも電車で10分位の便利な所です。

大木芳正のメールアドレスもE-mail:ohki@npn.jst.go.jpに変わりました。

11期(昭和47年卒) 秋田修です

 最近は山に行く機会も減り、もっぱら市民マラソンにはまっている。記録的には頭打ちだったが、去年は50歳を過ぎ、50歳以上の部のある大会を狙い打ちしていくつか入賞も果たした。しかし、その特権も1年間だけであらたな新人(50歳)が入ってきた今年は成績もぱっとしない。女房殿にはもう年を考えて下さいと言われ引退を勧められている。

 単身赴任もあり家内と出かける機会も少ないことから、今年の8月に札幌市での学会に出席した機会を利用して、二人での利尻山登山を計画した。

 土曜日の学会最終日を早めに抜け出し、東京からの家内と千歳空港で待ち合わせ、空路で利尻島へ。まずは、レンターカーで島を一周したが、利尻山の頂上はずっと雲の中で明日の天気が気にかかった。途中元巨人軍の角投手が家族連れでの北海道旅行のテレビ撮影に遭遇し、一般観光客として映った可能性があり、職場に内緒での利尻登山がばれなければと少し心配になった。

  登山基地としてくれるペンションを予約し予め登山道具一式を送っておいた。翌早朝登山口まで車で送ってもらい、6時に歩き始めた。行動時間9時間の覚悟でゆっくり歩むが、途中から登りいっぽうの急坂でガレ場も多く、家内の体力が心配になった。幸い曇りの天気で体力の消耗が少なく、スローペースながら確実に高度を稼ぐことができた。途中から雲海を抜け出し頂上も仰ぎ見ることができるようになり11時には頂上に立てた。

 頂上は夏の陽射しいっぱいで、礼文島は見えないものの眼下に雲海を眺め、久しぶりに手応えのある山の山頂に立った気分を堪能した。頂上は狭く、少し下った日陰でゆっくりと昼食をとった後、心残りながら山を下った。

家内は下りが苦手で、下りでは全ての荷物を私が担ぐことになる。それでも順調に下りきり、ペンションには予定より早く到着できた。歩いていける距離に温泉があり、のんびりと汗を流したあとの、おいしい食事とビールは格別であった。

 翌日はまた空路千歳へもどり、家内は羽田へ、私は広島へと再び離れ離れに。久しぶりの山行で家内へのポイントも稼げた。再度利尻山を登る機会はおそらくないと思われ、思い切って計画してよかった。今度は九州の山を登ってみたいと考えている。(国税庁醸造研究所 微生物研究室  室長 秋田 修)

5期の櫻です。

年齢を重ねると共に、一年の過ぎゆく時間の短さに驚いています。とは言うものの、毎日の生活はあいも変わりなく・・・・・・

 会社の話はさておいて、遊びの方は、有機農業を主に、月一回、奥多摩、奥武蔵、丹沢など、近くの山を仲間たちと歩き回ること(最近は女房も歩き出した)と、ゴルフと。土、日曜は席の温まる暇もなし。

 作物を作っていて気が付いたことですが、今年は例年になく暖かい傾向。おかげで、白菜のタネを結果的には早く播きすぎたことになり、作付けに失敗。地球温暖化問題の重要性を我が身に感じた次第。

 ともあれ、80坪の借地から穫れる作物で我が家はほぼ、自給自足(この時期、トマトは食卓に現れず)。虫食いだらけの無農薬野菜を食べて悦に入っています。

 先日、女房が久しぶりに鈴木禄弥御夫妻宅に伺いました。お二人ともすこぶるお元気。先生は各地へ講義に回られる合間、新しい著書を執筆中。ハツヨ先生はまだまだ現役で授業をもって居られるとのことでした。

8期の佐藤です

 今年の正月も八ヶ岳で迎えた。例年になく雪が少なく、横岳の通過もあっけないものであった。雪が少ないため、新しく買ったアルミ製超軽量アイゼンの爪が減ってしまいました。赤岳鉱泉ではテントを張る場所の確保に苦労。

 まだ登ってない3000m峰の木曽御岳がこの春の目標。3月は、誰もいない吹雪きの雪原にテントを張ってがんばったが、地吹雪がひどく断念。雪煙のあがる御岳が神々しく見えた。GWに再チャレンジ。天気にも恵まれ、頂上直下にスキーをデポして登頂。帰りの豪快なダウンヒルがたまらない。しかし、スキー2本を担いでの登頂はさすがにきつく、この後の乗鞍岳ハシゴは断念。

 この春から二人で鷹取山クライミングスクールに入り、ロッククライミング(フリークライミング)を始めた。以来、毎週のように鷹取山通い。他にも、三つ峠、丹沢(広沢寺)、湯河原幕岩、城山、小川山にも足をのばしている。目標はあくまでもアルパインクライミングで、城山や小川山ではマルチピッチクライミングを中心に。なかなか本チャンルートに行く機会がないが、来年の夏は剣岳の八ツ峰で数日過ごしたいと思っている。小川山は金峰山の北に伸びている尾根にある山であり、これまでは気にもとめなかったが、フリークライミングのメッカといったところである。垂直の壁がいたるところにちりばめられており、何日居ても飽きない。

鷹取スクール仲間のHPに二人の写真が載っています(三つ峠、広沢寺、幕岩(2回目の方)、鷹取山では2回程外人さんと写ってます(通訳?))。==>http://home10.highway.ne.jp/takatori/


新 年 会 の お 知 ら せ

 新年会は毎年1月の最終金曜日にいつもの所で行っています。
             平成13年1月26日(金)18:30
             新橋駅のすぐ近くにある新橋亭(しんきょうてい)(TEL 03-3580-7811)
             会費は10,000円の予定

 皆さんお誘いの上ご出席下さい。特に若い人の出席は大歓迎です。遠くの方でも東京に出張などで来るような場合には、ぜひ出席して下さい。飛び込み大歓迎です。逆に、に出席ということになっているのに、当日欠席される方も結構います。これは本当に幹事泣かせ。予定が変わった時は早めにご連絡下さい。
             問い合わせ、連絡先  佐藤拓哉  0468-41-8622 DQL05377@nifty.ne.jp

    平成11年新年会出席者 
    (S39)小俣勝男、岡好宗、後藤龍男、佐藤敦、松木功、 
    (S40)小原佑一、島崎質、関川利男

    (S41)朝倉肇、太田光二、瀬尾勝之、横山雄一郎
    (S42)恩田達也、加藤邦明、渡辺文隆
    (S43)大木芳正、大釜寛修、金子清敏、藤森英和、真尾征夫、上田俊郎 
    (S44)佐藤拓哉、濱聡、前田吉彦、水上俊彦 
    (S45)伊藤千代子、富川正夫、原田博夫、桃谷尚安 
    (S46)甲斐利春、黒田和雄、菅原英行、高木良博、田中康則、野本健二 

    (S47)池田重則
    (S48)松井一昭

    (S49)岡部安水 
    (S58)官野厚、高橋明彦 

    (S62)伊田浩之                             以上41名