− 二口峠 −

8期(昭和44年卒) 佐藤 拓哉

 山渓の “我らグリーンパトロール”(1月号)に、二口の自然破壊の現状が紹介されたのを見た人は多いと思う。いつかはこうなるだろうと思ってはいたが ---- 。聞くところによると、現役も今ではほとんど二口に入らなくなったということである。

 8月の末、三才半になる息子と二人で二口峠を越えてみた。本小屋周辺は大きな変化はないが、磐司尾根のとっつきにバンガローができ、姉妹滝の手前まで沢の右岸に遊歩道がつくられていた。

 磐司小屋は土台だけを残して消えていた。林道は、白糸の滝までは昔のコース沿いに作られているが、滝の少し上流で左岸の斜面に、ジグザグに登り始めている。サブザックの上に息子を肩車しての登りはきつい。林道から下をのぞくと二口小屋に行く昔のコースのあたりに大きな石がいくつもころがっている。林道を更に登ってゆくと目の前の斜面に幾筋にも道が作られ赤い山肌がむき出しにされているのが見える。下に目を向けると小屋の屋根が林の中にある。天気が悪く山が見えないだけ、小屋がなおさらに懐かしい。

 我々が使っていたころは植林して間もない木が、今では屋根よりも高くなり、そこだけが静寂を保っているように見えた。林道は旧道のあった辺りを中心にして右に左に大きく回りながら峠へと続いている。

 途中一部分ながら旧道を見つけることができた。川田らと二口峠にヌードの雪だるまを作った山行で撮った写真と同じ所のような気がする。峠は昔の道標がなければ、それと分からないような雰囲気である。林道は清水峠の方に更に続いている。山寺側の林道は、どうやらもう一つ瀬の原寄りの沢沿いに作られているようだ。竜ヶ峰の登りもすっかり草におおわれて道がどこにあるか分からない。本当に誰も来ないようである。

 峠からは旧道を山寺に下ったが、ここも廃道になりつつあった。特に沢床におりてからは、肩の上の息子の頭より更に高い草で道が全く隠されていた。この頃から雨も降り始め、ビショ濡れになって林道に飛び出すと、息子は安心したのか雨の中で眠り始めた。

昭和50年OB会報NO5より抜粋