秋の上越国境( OB山行 )
7期(昭和43年卒) 大木 芳正

 シュラフをかついで山に登るのは何年ぶりだったろう。会社では登山部とやらいうクラブに籍をおいてチョコチョコ出かけてはいるが、その山行たるやサブに食いものと飲みものをつめて小屋泊りでのんびり ---- といったもの、もっともこれが私にあっているんでしょうネ。  

 そこへOB山行の話があったので参加してみました。準備その他一切を拓哉氏にお願いして、私が自分でやったことと言えば歩いたことくらいでした。

 ケーブルで天神平まで登り肩の小屋に着いた頃には、初冬を思わせる冷たい風が雲を運んでいました。稜線に立つと上州側にきれいなブロッケンが見えました。左右に歩いてみたり、手を振ってみたり、カメラを向けたり。写真の出来はまずまずで、会社の写真部の連中がむやみと興味を示したものです。

 肩の小屋は満員で、後から来る登山者を断る程、結局オジカ沢の頭までということにしました。このコースは私が1年の時の夏合宿で歩いたコースです。荷入れ後の重いザックで歩いたせいか、毛渡乗越、エビス大黒の頭あたりを除いてはあまり当時の記憶が残っていませんでした。

 オジカ沢の頭で、小原(4期)中里(8期)両氏と一緒になり、電車の中で合流した雨宮氏(12期)と計5名がツェルトにもぐって山上で一泊。

 翌日、少ない水をやりくりして朝食。あまりはっきりしない天気の中を平標に向かって出発。丈の低いクマザサの中の一本道は眺めもよく、広々とした感じで気持ちがよい。爼ーの「黄葉」が印象に残っている。エビス大黒のヤセ尾根はかつての夏合宿の印象そのまま、そういえば所々にある“マツダランプ”の古い道標もあったナ。

 風が冷たく「こんな所でミゾレにでもあったら、たまらないだろうナ」などと言いながら、合宿ペースで平標に。しかし、この寒さの中で昼寝をしていて、通りがかった登山者に遭難者と間違われた人がいたそうで、石野(9期)だったかナ。

 平標小屋も連休で混雑しているので、とりあえず三日月(8期)石野両氏を待ってから、少し下った沢の出合でビバークすることにしました。4本のポールで4ヶのツェルトを張るという芸当をやってのけたのです。 

 皆多少疲れた表情、それにしても一式背負って稜線まで2回登った三日月氏のファイトにはただ驚くばかりです。タキ火をしてメシを作り-----。下山した安堵感と歩いた充実感みたいなものもあって、ちょっとした集中地ムードでした。
そこで命名して “老人訓練合宿”

昭和51年OB会報NO6より抜粋