岩魚ちゃん
5期(昭和41年卒) 舘岡 淳

 秋田の民謡の八郎物語の一節に、「岩魚をやくといいにおいがあたりいっぱいにひろがって、八郎の腹の虫がぐうぐうとなりだした。はじめは大きな鼻をぺかぺか動かしてそのにおいを胸から腹へすいこんでいた八郎も、もうとてもがまんができなくなった。やきたての岩魚を一ぴき、手にとるがはやいかぺろっとたいらげてしまった。ところがこの岩魚の味ときたら、八郎が今までくったどの魚よりうまい。腹の虫はいよいよわめきだして、頭をふったり腹をおさえたり、しまいには足をばたばたさせてこらえていたが・・・」とあります。友達の岩魚までたべた八郎は竜になってしまい、十和田湖の主になってしまったのですが、南祖坊に追われ八郎潟の主になったという話です。

 私の岩魚との逢引きは4月に始まります。いつもは4じに出発、5じ半に目的の沢の入口につく。この沢は大平山(1171m)の南側にあり、昭29年の5万分の1では銅、軌道、学校の記号があるのですが、今は細い一本道がかすかにある程度。30分くらい歩いて沢へおりる。

 釣りはじめは、まだねぼけていて、ときどきひっくりかえる。春先などキンチヂミになり、メガネを落としたときなどいっぺんに目がさめ、しばらく大変です。はじめの一匹を吊りあげるまではなかな落ちつかない。そろそろと水際に近付き、グラス竿に仕掛けを、そしてミミズをつけて「ミミズちゃん、食べられずに命をおとすのは本望ではあるまい。ピンピンはねて食べられるんだよ」という。そっと竿を出し反応をみる。二度三度流しても一向にあたりがこない。「ミミズはあたりが遅いからな。ここには必ずいる。ここにいずしてどこにいる」。

 やがてツンツン。ツー。スー。とても書けないが、これがたまらなくシビレル。「きたか」岩魚は一度エサを食べるとほとんどつれる。だからツンツンとくればもうつれたも同じなのだが、それでも、あわてていきおいよく引き抜くものだから、糸は木に引っかかり、エモノは木にぶらさがることが多い。「ヘッヘッ、やったやった。」ヌルッとしたエモノをビクにおさめる。大物は、勝手にビクの穴から出てくるから、フキの葉でもつっこんでおかないといけない。いつも一匹釣ってから朝めしを食う。つれないとそれだけ遅くなるのだが、食べそこねたことは一度もない。

 山を歩くときは地図をときどき見るが、沢ではほとんどみたことがない。はじめに人の足跡があるかどうかをみる。この沢ではカモシカにときどき会うし、足跡がとても多い。それから水の色とか、魚の出具合、川虫などはみても、まわりの山とか沢などあまり見ることがない。

 昼近くになると、ワラジをつけていても滑って、うまく釣れないようになってくる。ビクが重くなって腰のふらつくせいもあるのだが、のどがかわいて腹のへっていることに気づいて昼めしにする。ついでにエモノの腹をさいて内臓をとり出し、ビクがいっぱいのときはビニールに入れて川底にうめておく。なかなかこんなことをする機会はないのだが。原則として上流に釣りのぼるから瀬尻にいて、丸太のように、上下しているヤツの頭にエサをおくると、見事に食ってくれるときもあるし、いつもあいさつだけのヤツもいる。

 真夏には、釣っているところへカモシカの子供が水浴びにきたり、水鳥のヒナがバタバタ通ってダメになることもある。4じごろになるといよいよバテバテで、納竿。ビクの軽いときは山菜をビク一杯ににしてかえることにしている。
 エモノは同居人がロースターで焼くのだが、大きいやつは入らないといっていつも小言をくらう。こんどは大物はよけて小物だけを釣るテクニックをマスターしよう。エモノは塩焼き、甘露煮、ダシにしているが、今じゃ鼻についてあまり食う気がしない。

昭和51年OB会報NO7より抜粋