− 記念遠征 − 北海道

9期(昭和45年卒) 片野 雅至

 遠征というと大げさになるが、ふだん行けないような遠くの山へ行く事位に理解していただいて、この言葉を使わせていただく事にしよう。

 正式なタイトルは、創立十周年記念遠征「北海道」(利尻山・大雪山)と言うのだが、略して記念遠征と呼んでいる。このタイトルからわかるように、我々大隈ワンダーフォーゲル部は、昭和41年10月に創立して今年で十周年目を迎える。それを記念して行われたのがこの遠征である。当初は二十余名大遠征隊が出かける事なっていたのだが、この2月に会社に大きな変化があり、我クラブの仲間の半数近く、特に若手部員が去っていった。そんなわけで、最後まで残ったと言うか、遠征に参加したのは男ばかり8名。それも我こそはワンゲル部員なりと自称するものばかりで、内6名は代表幹事(主将)経験者である。上は36才で下は24才。現在の我部においてはまさにベストメンバーでの遠征であった。

 期間は7月30日から8月8日までの十日間。往はその名も有名なロッキード社製のトライスターで名古屋空港から千歳へ。目的地は利尻岳と大雪山、日本最北端と層雲峡などである。帰りは苫小牧からフェリーで名古屋港まで。

 今日はその中でも皆のあこがれの山であり、遠征のハイライトでもあった利尻山登山の様子をお伝えしよう。夜行列車で稚内に着いた頃は激しく降っていた雨も、船が出る昼頃にはあがったが、まだ風はかなり強く、千トンのフェリーでも相当揺れがひどく、今夜に予定している利尻山夜間登山ができるかどうか心配しながら、何も見えない甲板で風と波しぶきに当たっていた。

 利尻島の玄関口鴛泊港からキャンプ場までの20分、今にも降り出しそうな暗雲が飛ぶ空を見上げつつ急ぎ足で歩いた。キャンプ場はさすがにテントも少なく、数張が強風をさけるようにかたまってたっていた。広々とした草原の湿った草だけが生き生きとしているのみで、テントのあたりに人影はない。

 強風の中でテントを張り終えコンロに火がついた時、やっと皆の口からいつもの冗談が出始めた。夕食後は一向におさまる気配はなく、夜間登山を決行できるかどうか微妙になってくる。天気図をもとに皆で相談したが簡単には結論は出なかった。というのは、天気は回復に向かってはいるものの、まだ危ない。しかし、ここで予定を遅らせると、後半の大雪山縦走にしわ寄せが来る。十日間の山行といっても実際に山の中にいるのは五日間しかないわけであるから一日は重大である。計画の変更に全員が納得するまでにはかなりの時間を要したが、遠征のハイライトは利尻登山であることを充分に考慮し、夜間登山は中止し翌朝出発することになった。

 そして翌朝、キャンプ場の風はおさまったが、利尻山の姿は依然として望めず上空の雲は西から東へかなり速く流れていたが、もはやこれ以上計画を遅らせる」ことはできず、天気の回復を祈って登山を開始した。三合目の休憩所に着く頃には晴れ間もみえ、六合目ではすぐ近くの礼文島がみえ大歓声があがった。しかし、八合目の長官山避難小屋まで登っても頂上付近のガスは晴れず、強風が吹いているようであった。

 頂上に近づくにつれ尾根はヤセて来るし、風はますます強くなりガスでヤッケは濡れてくるし、今にも体が飛ばされそうになりながらも、とにかく頂上まではとがんばった。頂上は完全にガスの中であった。本来なら、周囲には真青な海があり、北には礼文島そして東には北海道本土が見えるはずなのに、あるのは古びたお宮だけ。遠征のハイライトにしてはあまりにもさびしかったが、それでも登ったという実感はあった。同じ道を八合目の小屋まで戻ると外界は晴。青い海に白い船がみえた。

昭和51年OB会報NO7より抜粋