10年目の顔
卒業10周年記念合宿
6 期 (昭和42年卒) 野村 彰夫

 我々42年卒の仲間は、去る10月9日10日にかけて仙台近郊の秋保温泉にてミーティングを主体とした卒業10周年記念合宿を挙行した。北は秋田の山奥より南は大阪から19名の参加と予想以上の多くの仲間が集合した。しかし、どういう訳か前日までの天気はどこへ行ったのか、9日は早朝より大雨。現役時代、雨にたたられることの少なかった我々にとって全く皮肉な話である。しかも、東北本線の事故で特急が一時間半も遅れるというおまけつき。

 ボツボツ集まってきて、互いに顔を見合わせ、一瞬誰だったかなと思う人。しかし殆どは昔と変化なくというか、進歩がないというか ・・・。そこへあの懐かしい宗村の甲高い声が旅館の廊下へ響き渡ってきた時、この10年間の空白が一瞬にして短絡された感じがした。宴会では互いに近況を報告し合い、飲むほどに、酔うほどに懐かしい歌が飛び出してきた。宴会の後は例によって4人ずつ卓を囲んでのミーティング。また別室では「石田先生(内科)」を中心として、家庭医療、家族計画等についての相談コーナーがもたれ、なかなかの盛況であった。子供の幼稚園の入学の苦労話が出てくるあたりになると、10年の歳月を感じさせる。午前3時頃になると、翌日の“山行”もあるし、はずむ話も止めて、恩田の歯ギシリを懐かしみつつみな床につく。

 翌朝8時起床。さすが都会派の人々。この10年間の訓練というか、習慣というか、私が起きた時には部屋には誰一人としていなかった。さあ!今日は「芋煮会」だ!しかし、雨は前日より止まず、前夜の疲労もあってか中止しようという意見、いや、材料があるから決行という意見。ところが天は我々を見放しはしなかった。10時頃より、突然青空が見え始めたので、近くの川原で芋煮会を行った。前夜とはうって変わって、みな静かに芋、なめこなどに舌鼓を打った。最後に、15周年あるいは20周年の「合宿」を、大阪グループの世話によって挙行することを約束し、みな深まりゆく東北の秋を背に、それぞれの帰路についた。

昭和52年OB会報NO8より抜粋