国体(山岳競技)に参加して

15期(昭和51年卒) 奥畑 清美

 一昨年の夏、私は約1ヶ月に渡りヨーロッパアルプスでの登山を試みた。後半の悪天のため、アイガーこそ無念の涙を飲んだもののマッターホルン、モン・ブラン等6峰のべ7ルートを登攀し帰国した。記録の整理を終え、次の目標はと見渡すと手近な所に国体があった。というのも、昨年の国体が地元栃木県で開催されたからだ。

 以前の私は、国体の様な競技登山にはほとんど関心を示さなかったし、それどころかある種の嫌悪感さえ感じていた。アルピニズムの流れから言うと、どうしても異端の感がぬぐい切れなかったし、大体山登りは競争するものではないとの考えがあったからだ。ところが海外登山を終えてみると、今までの自分が肩肘張った狭い考えをしている様に思われてきた。アルピニズムを追及するのも一つの山登りだし、競技登山も一つの山登りではないか。何も競技登山を自分の山登りのすべてにする訳ではないのだ。自分の山登りの一部分として経験してもよいのではないか。そんな思いで予選会に向かったのだ。

 幸にしてその後二度の予選に勝ち抜き、栃木県代表として3名からなる青年男子チームの一員として国体に臨んだ。日光山系を会場に4日間に渡って行われた競技は、まずまずの天候に恵まれ、我々は県民の期待を背にそれまで貯えた技術、体力、知識のすべてを出し切った。初日から2日目に渡って行われた縦走競技では、体力、知識、観察力の点で他チームを大きく引き離し1位。スピードと技術を競う3日目の登攀競技(岩登り)では、精鋭神奈川に敗れ惜しくも2位に留まったが、最終日の踏査競技では体力、読図力に強みを発揮し1位を保った。かくして10月17日の表彰式では、我々は総合で全国優勝を果たし表彰台に立った。

 国体を終えた今、以前のわだかまりはすっかり消え競技登山にもそれなりの意義を認めている。アルピニズムの実践においては、いかに人間の英知を働かせても不可抗力による悲劇がつきまとう。ならば、完全性を十分確保した上で持てる力のすべてを発揮する競技登山は、まさにスポーツの名に値するものだと思う。スポーツをする者の中で、およそ登山者程体力の劣る者はいないと言われて久しい。その点、筋力、持久力を高めるための科学的トレーニングが要求され、その上技術、知識の向上も厳しく求められてくる国体登山こそ、生半可のアルピニズムを標榜する登山よりは、どんなに意義ある行為か知れない。

  ただ、以上の議論によっても競技登山が私にとって山登りの一部である事に変わりはない。それ故合宿の合間を縫って、1年以上も前からインドヒマラヤのクン(7077m)を目指して準備を進めてきた。しかしその仲間のうち6人は去年の暮、雪の谷川岳東尾根に消え、いまだ冷たい白魔の中に閉ざされている。丁度私が、ハネムーンを兼ね、エベレスト方面に2週間程トレッキングに出かける直前だった。その後の遠征計画は今の所ない。

昭和56年OB会報NO14より抜粋