我らが伝蔵荘
3期 (昭和39年卒) 後藤 龍男

 昭和47年の暮、北八ヶ岳中腹に山荘を作った。”伝蔵荘”と名づけ以来12年余になる。
オーナーは安部、生駒、後藤、佐藤、松木、遠山(3期)、及川(4期)、櫻、渋川、藤田(5期)と松木の弟さんで佐久市岩村田在住の保氏、計11名である。

 OB諸氏にはご記憶の方も多かろうが、”伝蔵荘”とは昔通いつめた二口峠直下の例の造林小舎の名である。あの頃、こんな小舎をいつかは自分らで作るんだなどと語り合っていたが、正直いって夢のまた夢と想っていた。

 昭和46年、松木が北八ヶ岳山麓の八千穂村が村営の別荘地を格安で売り出している話を聞きつけてきて、昔の夢を実現することになった。39年同期のメンバだけでは資金が集まりきらず、新橋亭のOB会で賛同者を募ったところ意気投合したのが前述のメンバである。

 伝蔵荘は小海線八千穂駅から麦草峠に向かう北八ヶ岳横断道沿い、標高1200米余の落葉松林の中にある。皆結婚したての安月給の頃に作ったので、やや安普請のきらいはあるが、安価な落葉松材作りの平屋建ても12年経ってみると逆に山荘らしい風格がでて、なかなかの雰囲気である。自慢は本格的な暖炉で、太めの薪がチロチロ燃えるのをながめながら一杯やるのはこたえられない。

 春と秋の連休には例会と称しメンバが集まり、メンテナンスを兼ねた”薪割り、水汲み、小屋掃除”と山菜採りや酒の二晩を楽しむ。車で30分も登ると麦草峠。ここから足を延ばせば北八ツはすべて掌の中である。初めの頃は「北八ツ彷徨」をやったりはしたが、皆歳をとったのか飽きたのか、最近はもっぱら「八ヶ岳高原ゴルフ場彷徨」である。

 夏のシーズン中はメンバが入れ替わりたち替わり家族連れで滞在する。その頃この近くを通られることがあったら是非立ち寄られたい。運が良ければ、コーヒ位ご馳走できるし、気が向いたら一晩泊まられてもよい。昔登った山や仙台時代の話を肴に、楽しい一夜が過ごせるかもしれない。              ( 昭和60年5月 )

    伝蔵荘所在 : 長野県南佐久郡八千穂村 八千穂高原別荘地141号
           (小海線八千穂駅より約8Km 車にて15分)

昭和60年OB会報NO16より抜粋