幾久会20年会
4 期 (昭和40年卒) 小原 佑一
 2日間の休みをとって秋田、岩手県境の藪山に入るつもりが休暇の都合で結局ヽ前夜発となり歩く山も急に変更することになってしまった。皆が帰宅した後のオフィスで着替えて上野駅にむかう。途中ラーメンを啜って、夜のプラットホームに小さなザックを肩にならんでいると、時は20余年前に戻ってサントリーのポケットビンどと”あたりめ”でチビリ、チビリはじめると、もうオフィスのことなどすっかり忘れてしまいます。

 新幹線が通っているのに夜行列車でコトコト山形に向かう。山形駅のベンチで一休みして、仙山線の一番列車に乗り込む。ガラガラの列車の窓から雨に煙る山の裾を見ながらいると、気分は完全に現役に戻ってしまっている。

 山寺の駅に降りると小雨か、朝早いせいか無人駅のようにヒッソリとしている。傘をさして歩きはじめるが、以前歩いた道とはまるっきり変わって両側の家はアルミサッシときれいな色の瓦になってしまっている。畠もいちごのビ二−ルハウスになり、その間をぬけて悪名高い林道の分岐までくると、ようやく昔の記憶と合ってきた。林道から沢にそった小径に入ると手入れのきちんとされた20年前の二口になってくれた。千本桂をすぎで最初の休みをとる、雨は降ったり止んだりだったが風はなく傘をさしてハイペースで進むことができた。象の鼻が土砂に埋まってしまったことを除けぱ全く昔のままであった。沢を離れちょっとした坂を登り詰めると今度は別世界が急に目の前に現われた。砂利のしかれた立派な自動車道路が峠を傷付けている。通る車もない雪に荒れた道路をくだっていくと神室の神々しい姿がガスのきれ間から正面に見えてきた。

 20年前は我々の背丈程の植林したての針葉樹が立派な林なってしまい、その木々の間に翠雲荘を見た時には20年の時をかんじてしまった。しかし、小屋はすこし古くなったが昔とほとんど変わりなくきちんと建っていた。内に入ってみるときちんと整理されており相変わらず気持ちがいい。窓をまきの棒で開けて山形駅で買った弁当を食ぺながら例のノートをながめているとTUWVの文字が散見される。小松原沢の銚子の大滝によく入っているようだが、神室の南面の沢のことは誰も書いていなかった。ストーブでまきをもやしてみたかったがストーブがいたんでいるのでやめて小屋をあとにして、車の通らない広い砂利の道路を歩いて表磐司まで来ると釣り人の車があった。

 野尻にいる昔の悪友の家に寄ってしばらくダベッてから小型トラックで皆の集まっている秋保温泉のホテルまで送ってもらった。

 20年前と変わらない顔が背広を着てやって来た。仕事の関係で参加できなかった人もいたが半数以上の10人が顔をそろえることができた。例によって話題はつきず痔の話は八木が最新の情報をしゃべり、関川はさらに高度な医学の先端技術を披露し、酒が入ってますます皆、話に弾みがついて、ついには参加できなかった仲間に電話をして奥さんにいやがられまでして、飲み、騒いで楽しい時を過ごした。

 この次を30年会にするこはちょっと間が永すぎて心配なので25年会にでもしようと決めてしまった。

 ワンゲルを卒業してから同期で集まっているということはよく聞くが中々皆が集まるのはむずかしい、まして山に入ることは更に困難となってしまうだろう。今回、無理して二口峠を越えて集中地に入り、少しでも山の匂をもっていけたことはワンゲルを忘れたくない気持ちだったかもしれない。

 しかし、ちょうど1ヶ月前に出張の途中に見た北極の氷の上で悪戦苦闘していた人がいて、その人たちとあまり変わらない年令なんだと思えばまだまだ山に入れるような気がしてくる。

昭和60年OB会報NO16より抜粋
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幾久会々報からの抜粋
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 驚いたのは,われわれぐらいの年齢になりますと,どこの集まりでもグループでも,たいていひとりやふたりは髪の毛がかなり白いのや相当薄くなっているものが居るものですが,秋葉氏がちょっと白いものが言われてみれば目だつかなという程度で,彼も世間並みよりは若く,ともかく皆さん昔とあまりかわっていないのでありました。つまり,禿も白髪も全然おらず,体形が著しく変化した者もいないという20年会でありました。

 近況スピーチを細かにお伝えできないのが残念ですが,以下は,各氏の話しやら様子からの近況の簡単な印象でありまず。

秋葉 :

白髪のある唯一の人物。コンパの席で,ビールの栓を歯で開ける昔からの特技を昔どうりにやっていました。なにやらロマンがありそうで,よく聴いてみると本当はがっかりさせられる話し(または話しぶり)も昔と全然変わっておりません。

及川 :

クルマで来てクルマで帰って行った人。この人も昔どうり元気で,息子が山に行き始めたと喜んでいるような困っているような風でした。近くエジプトに単身赴任という話しでした。元気でやってきてください。

小原 : たったひとりだけ山靴を履いてやってきました。前の日はどこかそこらへんでピバークしていたんじゃないかと思います。全く羨ましいやつではありますが,彼と付き合って山に行こうという話しは誰もしませんでした。
鈴木 : 10年会に続いて遅れて駆けつけて来ました。昔に比べややスリムになっているのは一番仕事をしているせいでしょうか。すごい山奥に住んでいろそうですが,町の名士で活躍しているそうです。「今夜は徹夜で飲もう」と言って一番に寝てしまいました。
関川 :

昨秋,胃ガンで手術したそうです(ご本人から出席者全員に話されたので,そのままお知せします)。人間ドックでの極く早期の発見でよかったと思います。コンパではビールもウイスキーも飲んで元気にやっていました。驚くほどの回復力ですが,自重自愛のほどお願いします。

西野 :

横浜から数年前に仙台に転勤。地元で20年ぷりに会いました。独特の話しぷりは昔のままであります。上の女の子が高2だそうです。おじいちゃんに最短距離にいる羨ましい男であります。

野村 : 私は彼と年に少なくても2,3回会っておりますので,昔と全然変わっていないと思っておりますが,他のメンバーも同じ意見のようでした。ただ,酒の量は最近少なくなったようです。仙台に一番よく来ております。
平塚 :

コレクトコールで欠席者に電話をしようと提案したひとです。たいへんいいアイデアで皆さん驚かれたと思います。次回は電話をする相手がいないと本当にいいと思います。彼も全然変わらない男です。

緑川 : 道交寮の話しを始めると昔のままそのものです。少し太った方の唯一(?)の人物です。今回の東京連絡係りをお願いしました。次回25年会は彼の幹事で東京近郊の箱眼か伊豆あたりでもつことに意見がまとまりました。
八木 : 24年目の仙台ぐらし,研究者稼業半分,教師稼業半分の生活をしています。男ばかりの3人の子で三男はまだ3才で,皆さんが羨ましいかぎりです。
昭和61年OB会報NO17より抜粋