夏合宿をぶりかえって
現役
  プレ合宿の事故について     主将 中島 健太郎


 今年の夏合宿は、知床(ヤブ、沢)、北日高(沢、縦走)、南日高(沢)、北アルプス(縦走)で行う予定でした。しかし、南日高Pがプレ合宿中に事故を起こしたので、大雪縦走に変更しました。合宿に入ってからは幸い天気に恵まれ、どのパーティも予定どおり終えました。

 事故は、船形矢尽沢左股を遡行中に起きました。滝(F1)を登ハン中にトッブのサプリーダ山川が約2m滑落して左手を強打し、中指と薬指を骨折しました。幸い、入渓してすぐのことであり、大事に至りませんでした。現在は、全快しています。

 最近、沢に対する関心が高く、夏合宿の半数以上のパーティがなんらかの形で沢を取り入れています。沢における安全確保は、我々も十分に注意しました。具体的には、普段のトレーニングの管理、技術のチェック、さらには三ツ道具の導入などを行ってきました。それにもかかわらずこのような事故を起こしたことについては、大変申し訳なく、深くお詫びいたします。

 今後も、夏合宿に沢を取り入れていくことになるでしようが、安全の確保には十分気をつけていきたいと思っています。

 季節はもう秋から冬に移り、東北の山々からは根雪の便りが届くようになってきました。最終ワンデリ'ングも終わり、2年生達は次の夏合宿に向けて胎動を始めています。彼らの動きを、期待を込めて見守ろうと思っています。



   はるかなる知床の岬      知床P 中山 武

 わがPは、知床のヤプと沢(ポンルシヤ川とコタキ川)にいどみました。しかし、残念なことに、行程の半ばにして病人が出たため、エスケープをきるという結果になってしまいました。発病後は、停滞して回復を待ちましたが、体力の消耗が激しく、知床沼にたどり着くのがやっとでした。岬に着いた時の感動、それだけを支えにしてヤブこぎをしてきたので、岬を断念した時には本当に無念でした。それでも、パーティの雰囲気はよく、魅力あふれる知床の山々は、夏合宿の醍醐味を存分に味あわせてくれました。

 現在、「ヤプ」は小数派ですが、この知床Pが「ヤブ全盛」への一つのステップとなれば、と願っています。



   原始性を求めて        北日高P 水戸瀬 賢悟

 歴船川から幌尻山荘までの、沢と稜線をつなぐ13日間は、連日晴天に恵まれ、会心の合宿となりました。1日の行動時間を短くし、ひたすら沢とたわむれる日々でした。ゴルジユ帯を巻くのに1日かかったり、アップダウンの連続する主稜線を12時間歩いた日もありました。

 酒を飲んで暴れる1年、雲海が赤く染まらないと落ち込む2年、テクニシャンを自負するSLなど。パーティの7人は皆個性的で、毎晩にぎやかな夜を過ごしました。

 最後の日、約40キロの林道を歩き始めた時には、さすがに意気消沈しました。今思い返してみると、いろいろと幸運な山行でした。



   大雪山のシルエット      南日高P 中島 健太郎

 日が昇るとともに、石狩平野に浮かび上がった三角形のシルエット。旭岳の日の出である。そして、五色岳に登った瞬間に見た、まるで王冠のようなトムラウシ。いずれも忘れることができません。

 黒岳からトムラウシまでの7日間は雲一つない快晴に恵まれ、雄大な大雪の魅力を思う存分味わいました。また、メンバーの協力により、本当に充実した夏合宿ができました。

 プレ合宿の事故のため、予定を南日高から大雪に変えました。沢をやるパーティとして1、2年生を募っただけに、彼らを南日高の沢に連れていくことができなかったことだけが、残念です。



   日本の屋根を歩いて      北アルプスP 伊藤 学

 野口五郎岳から雲の平を経て、槍ヶ岳、穂高岳と北アルプスを縦走しました。今年は残雪が多く、所々登山道が雪で埋まっていました。祖父岳と雲の平の間、双六岳と双六小屋の間の急斜面には迂回路ができていました。ザイテングラードもすべて雪に埋まっていました。その分、水に不自由しなかったのは幸いでした。

 総勢10名のうち、1年と3年が4名づつであり、間の2年が大変苦労していました。後半は、台風11〜13号の進路と、槍穂の難路に心労が絶えませんでした。しかし、雄大な山々と仲間との日々は、初めてのリーダーの重さとともに忘れることはないでしょう。
平成元年OB会報NO20より抜粋