TUWV(S47卒) 20周年記念キャンブ
11 期( 昭和47年卒) 鈴木 元昭

日時:1992、5.23〜24
場所:丹沢 水無川上流(倉見山荘横)

参加者:秋田、園部、竹内、仁藤、芳文、元昭とその息子


5月23日     

 午前中の天気 晴れ。5月の日差しが心地よい。
 午後1時、元昭ならびにその息子がテン場に到着。
 午後4時少し前、秋田、竹内、仁藤、芳文が待ち合わせ場所に到着。
 4時半ごろテン場に到着。

 天気、曇り。風がでてくる。
 秋田、元昭が食料の買い出しに。
 竹内、仁藤、芳文が火を焚き、飯盆で飯をた<。
 5時半ごろ、食料買い出し隊、テン場に到着。
 飯倉の飯は、かなり焦げている模様。
 園部があちこちを巡ったあげく、到着。

 麦酒で乾杯した後、各地のつまみを肴に、調理(焼肉)に入る。
 焚火が快調に燃え、肉を焼き始めたところ、突然、大粒の雨。
 寒冷前線が通過しているため、雨激しく降る。
 仁藤、必死に肉を焼く。見事に完成。

 あわてて張ったターブの中で夕食。
 秋田が持ち込んだ特別な日本酒を筆頭に、各地からのうまい酒が並ぶ。
 仁藤が焼いた肉をつまみながら、ぐんぐん酔っていく。

 そのうち、雨も上がり、再び焚火の周りに集まる。
   (このあたりから、筆者の時間感覚マヒしはじめる)
 芳文、一旦消える(仮眠の体勢に入った模様)。
 酔いが回り始め、ろれつがまわらなくなる。
 いろいろな話をしたり、なつかしい唄を唄ったようだが、あまりよく覚えていない。
 ハーモニカを吹いたようなような気もする。

 芳文、多量の流木とともに、復帰。
 焚火が快調に燃え、胃の中も燃えてくる。
 仁藤、焚火の横に静かに横たわる。(その後2時まで、そのままの姿勢で熟睡)
 元昭、続いてダウン。したがって、この後はまるで不明。

 翌朝、聞いたところによると、2時まで、焚火が燃え続け、
 園部、秋田、竹内、そして仮眠から復帰した芳文の4名が、語りつづけたらしい。

5月24日     

 朝方、土砂降りの雨の音で眼をきます。
 激しい雨ながら、最近の装備は優秀で、乾いて温かく、いつまでも眠れる。
 8時半ごろ、1名が起きだし、しばらくしてから全員が起床する。
 明け方の風雨、厳しかったらしく、タープが倒れ、食料などが完全に雨ざらし。

 天気、快方に向かう。

 登山靴を履いてきた者、数名。
 昨日の言質と異なり、山に向かうものなし。
 再び、焚火を作りて、その周りにたたずむ。

 12時ごろ、再会を約して、解散。空はすっかり晴れ渡っている。
 会合費用はひとりあたり約3,000円であった。
***************************************************************
 ** 主催者の印象・思ったこと **

 本当に久しぶりにTUWVのメンバーと会ったような気がする。
 メンバーの結婚式で、何度か顔を合わせてはいるが、
 それも大分まえのことであり、
 またスーツに身をまといホテルの宴会場では、どうもワンゲルらしくなかった。
 今回は、久しぶりにスーツ以外の服装で会った。
 テントを張った。
 焚き火を作った。
 飯を炊いた。
 シュラフで眠った。

 やっとワンゲルの顔があらわれたと感じた。

 それにしても、47年卒メンバーは、どうして変わらないのだろう。
 秋田は相変わらず自己管理に厳しく、マラソンに挑戦している。
 園部は精力的に沢筋に入り込み、イワナを追っている。
 芳文は万事ユックリズム。
 竹内、仁藤は川内に住んでいた時と何が違うのかよくわからない。

 まるっきり、20年前の印象と同じなのである。
 卒業してからの20年、
 世の中の厳しさ・時代の流れはこの人たちに何の影響も与えなかったのだろうか。

 といいながら、俺も変わらないといわれた。

 長男が大部分の47年組は、今後ものんびりと何も変わらずに、また集まることでしょう。

***************************************************************

 今回の集合で、次回に対する要望が固まりました。
 開催に対する希望は下記のとおりです。
 順序は希望の大きさの順。


@ やはり今度は仙台の近くで実施したい
A やはり焚火が出来るところがいい
B 夜になって、必ずダウンする(焚火のそばで眠る)ものがいるので、
   寝るところと焚火はなるべく近いほうがよい
C 晩飯は汁系統のものがよい。出来れば大きな鍋で煮物(芋煮会のような)をしたい
D カレーは良くない
E 季節は秋など、どうであろうか
平成4年OB会報NO23より抜粋