中央アルプス紅葉狩り 26期OB山行
26期(昭和62年卒) 伊田 浩之
 現在20代と30代が混在している我々26期11人が、毎秋の山行を恒例として3年たった。泊まる山小屋だけを決めておき、休みが合ったもの同士が好きなルートから登という単純な形態。一昨年は妙高、昨年は穂高。仕事が忙しい1、2人が来れないだけで、参加率は高い。今年は9月24日(金)に錦秋の中央アルプスを訪ね、頂上木曽小屋で大酒をくらった。

 私は、長谷川と2人で空木岳(2864m)から縦走した。長谷川は、化学会社勤務で横浜の独身寮住まい。1年後輩の品川、2年後輩の岩村を同じ会社に引きずり込んでいる。地方紙の記者をしている私とは、「1990年幕開きを告げる石槌山(西日本最高)の日の出」の取材のとき、1年後輩の正田とともに同行してもらうなど、腐れ縁が続いている。

 23日早朝、夜行列車を乗り継いで長谷川と合流、JR駒ヶ根駅に降り立つ。山はガスっているが、タクシーをひろって林道終点へ。空木山頂から東に伸びる池山尾根は単調な登り。合羽をつけ標高差1400mを黙々と歩く。現役時代より20キロ太った伊田はばてたが、憐れんでいるためか長谷川はそのことに触れようとしない。空木カールは一面の紅葉、白い河原との対比が美しい。稜線に出ると、あられまじりの強風が吹き付けており、逃げ込むように木曽殿山荘に入った。

 24日は風が冷たいものの気持ちがよい晴天。中アの主峰・駒ヶ岳(2956m)まではエリアマップのコースタイムで8時間あるため、早々に小屋を発つ。南アルプスの山々や富士山が遠望でき、非常に気持ちがいい。

 千畳敷カールに近づくと、ロープウェーの終着駅で流す音楽が聞こえ始める。あつかましく感じながら、宝剣岳(2931m)山頂へ。30分ほどぼ一つとしていたら、北村、松沢、森、森川の4人が上がってきた。静岡で建築の仕事をしている森川は単独行動。「後ろからうるさい奴らが来たな」と振り返ると、東京の3人組がいたそうだ。

 「Be Pa1野郎」(同名の雑誌に出ているようなアウトドア生活を好む人間)になりつつある松沢が早速コンロを出し、慣れた手つきでコーヒーを入れ始める。松沢は、勤め先のカメラ会社でマウンテンバイクを何人かに買わせたが、誰も一緒に林道に行ってくれなかったそうだ。「雑誌はうそつき。マウンテンバイク好みのギャルなんていねえ」と一時期むかついていたらしい。ま、伊田も「スキューバダイビング始めたのにギャルがいない」とむくれぎみだったから、人のことは言えない。

 山以外のアウトドアスポーツといえば北村や森はカヌーにも凝っている。フィルム会社で研究をしている森は、ニュージーランドでカヌーをするなど遊び歩いていたが、7月に結婚。子供が産まれることも決まっている。普段着のような格好で登ってきたため、ユニフォーム姿の伊田や長谷川にからかわれたが、本人に言わせると「最新の素材を使ったちゃんとした山用品」だそうだ。

 宝剣岳のピークはちょっとした岩峰。千畳敷カールを見おろすとかなり高度感があるが、座布団1枚ぐらいの広さしかない岩稜の上に、北村は軽々と立ち上がる。さすが建設会社の現場担当、と妙なところで感心した。

 なだらかな木曽駒をのっこして小屋に入ると、小松と平田がいた。この2人は昨年、上高地から西穂高山荘まで歩いて登ったが、にわか雨のとき小屋でビールを飲み、西穂高岳に登らなかったため、皆からさんざん馬鹿にされた。今年も下から歩いて登る計画を立てたが、ビール会社営業の平田が、秋田から大阪に10月1日付けで転勤となるため、ロープウェーに切り替えた。頂上木曽小屋へは木曽駒山頂を通らない巻き道もあるが、何を言われるかわからないのでピークを踏んだそうだ。2人とも経済学部。すでに長男がおり、嫁さんが初任地の社内の女性というのも一緒。鉄鋼不況に苦しんでいるはずの小松は「大変だよおjと言いながら、相変わらずにこにこしている。

 8人がそろったところで宴会に移った。みんなのザックから酒が次々と出てきて、大いに盛り上がる。小屋から眺める夕焼けも山肌を赤黒く染め、印象的だった。


 翌日は快晴。木曽駒山頂でのんびりパノラマを楽しむ。大二日酔いで話すのさえ億劫な小松と、大ばての伊田、怠け者の長谷川、平田の4人は宝剣ピストン後ロープウェー駅へ。元気者の4人は稜線に点在する池めぐりに向かった。カールの底へは日本三大馬鹿下りと言えるような急坂。長谷川が、ばてながら登っている50代の女性に「上まで行かないと一生後悔しますよ」といらぬことを言う。下山後は温泉宿で疲れを癒すのも慣例となっているが、伊那谷には温泉が無いためこの日は、料亭旅館に泊まった。信託銀行の仕事がどうしても忙しいと説明する佐藤が宿で合流。松茸の焼物をはじめ予想以上のご馳走に驚きながらも、連日の大宴会となった。

 この日の相談で、来年の目的地は「加賀白山」に決定した。今度はロープウェーがないので少しシビアな山行になりそうである。まだ我々の間では近い将来、前後の代にも声をかけ、二□で一大OB山行を企画しようかという夢も膨らんでいる。

 (追記)
 今回山行に参加できなかった荒田と小泉。急な研修が入ったという荒田は大阪の大手電機会社で経理を担当、1女をもうけている。経済学部の他の2人と同様、職場結婚である。石油会社勤めの小泉は、職場異動で大忙しだったらしい。大型二輪の免許を取得しており、一息ついた11月下旬、逆輸入の千ccにまたがり四国に遊びに来た。日本一長い愛媛県三崎半島先端の民宿に伊勢エビを食いに行ったが、狭い道の運転は大変そうだった。


 (事務局より)
 昔は毎年OB山行を行っていました。最初の頃はみんな一人で来ていましたが、そのうち子供(赤ん坊)連れがちらほら現れ、蓬峠や三斗小屋には6、7人の子供が集まりました。若手の力でぜひOB山行を復活させて下さい。

入笠山(73年)、平ケ岳(74年)、谷川岳〜平標山(75年)、西丹沢、北八ヶ岳(76年)、南ア広河原(77年)、西丹沢、八ヶ岳行者小屋(78年)、谷川連邦蓬峠(79年)、那須岳三斗小屋(80年)、吾妻連峰谷地平(81年)、八ヶ岳赤岳鉱泉(82年)、北八ケ岳山麓伝蔵荘(85年)、北八ケ岳山麓伝蔵荘(86年)
平成5年OB会報NO24より抜粋