「幾久会(S.40卒)30周年記念同窓会」について
4 期 (昭和40年卒) 平塚 征英
 昭和40年卒業は19名で、人数と「幾久しく」から上記の名前が付けられている。

 本年度は卒業30周年にあたり、10周年の泉ケ岳、20周年の秋保温泉、25周年の宮城蔵王に引続き、紅葉の始まった作並温泉「岩松旅館」で30周年記念同窓会を10/14(土)に開催した。

 参加者は、秋葉、池田(旧姓板垣)、白井、関川、野村、平塚夫妻、緑川、八木の9名と、わざわざ参加いただいた鈴木禄弥・ハツヨ先生を含め11名の盛大な同窓会となった。

 最も遠方からは2年前に熊本へ転勤した八木、次いで京都の池田さんで、あとは関東地方が主で、仙台は先生ご夫妻と幹事夫妻だった。参加予定で急拠参加できなくなった鈴木、及川、フランスから宿にファックスをいれた小原、寄付金を送ってくれた2名など様々であった。住所不明1名、連絡しても返信すら出さぬ者はあるものの、未だ1名も欠けてはいないようだ。

 会場の岩松旅館へは、山寺見物してきた野村以外は仙台から直通のようで、以前のように山に行ってから集まる豪傑はさすがにおらず、到着後ジョギングパンツに着替えて飛び出して行った秋葉などは今時珍しい部類だった。

 宴会は鈴木先生の挨拶で始まり、東海大学へ移られた時のいきさつ、東京での単身生活、記念品のワープロのこと、来年は退官され弁護士事務所を開かれる予定など、色々とご披露いただいた。ハツヨ先生からは、根岸のお宅へお邪魔したときの写真や、全員が結婚した時送った写真などのアルバムをお持ちいただき、記念の一言を改めて書き込むようお話があり、なつかしい写真を見せていただいた。

 近況報告は、職場が変わったこと、海外生活、健康のためのスポーツなど様々で、さすがに年令を感じさせる話題が多かった。酒類は幹事の予測をかなり下回り、飲む方より話に夢中だったようだ。

 宴会とは異なり2次会は往年の酒豪ぶりを発揮する者が多く、男性全員が眼鏡とタバコ、大酒飲みといった具合で、最近の健康管理を考えた社会には珍しい存在だった。話題は新橋亭のこと、先輩・後輩の動向、八木の温泉付き自宅のことなど様々だったが、誰かが仕掛けた法学関係へのコンピューター利用の話では、禄弥先生もかなり激論を戦わせておられた。それやこれやで、お帰りは23時過ぎになってしまい、ハツヨ先生の運転でお帰りになられた。

 翌日は、都合で早く帰る関川、白井以外の7名は豪華なタクシーツアーで、なつかしの二口渓谷へ。二口林道沿いに白糸の滝付近までタクシーを乗入れ、旧練の沢沿いの登山道とは違った角度から磐司岩を見ることが出来た。芋煮会でにぎわう二口渓谷を後にして、観光客の多い秋保大滝でも記念写真。さらには、新入生歓迎で行ったサイカチ沼まで足を伸ばした。サイカチ沼は当峙の記憶は定かではないが、フイッシングめ名所に変わってしまっていた。

 仙台で昼食。次回の酉暦2000年の35周年記念同窓会での再会を杓軍して散会となった。
平成7年OB会報NO26より抜粋