立山〜剣岳OB山行
26期(昭和62年卒) 伊田 浩之
 96年秋。南八ヶ岳縦走を終えた26期の8人は、蓼科高原の「小斉の湯」につかっていた。みんな結構な筋肉痛。露天風呂のある高台まで歩くのはつらかったが、疲れが温泉に溶けていくよう。色づき始めた木々の間から蓼科湖が望める。

 「来年の山行はどこにしよう力ヽ」と伊田が声を上げた。「体力がある間に剣岳に行こうぜ」と応えたのは森。「それも良いなあ」と相槌が出る。「蟹の横這い、縦這いってきついんじゃないの?」、「大丈夫、大丈夫。じゃぁ来年は剣。決まりね」。森が、大きな目をくりっと見開いてきっぱり言う。いろいろ候補に上がるのだが、なぜか最後は森の一言で決まってしまう。不思議な存在感がある奴だ。かねてからの懸案だった「前後の代に声をかける」ことも一致。事務局の佐藤さんに頼み、会報に案内を載せていただいた。

 日程は、『97年9月21日(土)、剣沢小屋に集合」という、恐るべきアバウトさである。だが、OB山行にはこれが一番というのが我が代の定説。休みの期間や体力はさまざまなので、細かく決めない方がいい。



 関西組(いずれも26期)は、京都にいる平田の車に伊田と長谷川が同乗。富山側からアルペンルートに入ることとする。21日早朝、立山駅前に車を止める。朝−番のケーブルカーに乗ろうとする登山客があちらこちらにいる。さて我らも出発と、車に鍵を掛け、歩き始める。突然、サンダル履きの伊田が素っ頓狂な声を上げた。「あっ、登山靴忘れた」。即座に、長谷川が「信じられねえ」と蔑む。「車の中に決まってんだろ。家に忘れる奴がいるかよ」。恥ずかしさを隠そうと、伊田の声が大きくなった。

 終点は、女人禁制の山に入った女僧の怒りにふれ、杉にされたとの伝説が残る「美女平」。バスに乗り換え、標高2450 mの室堂へ。曇り空の彼方に目指す剣が見え始める。格好良い山容だ。深田久弥がこう讃えるのもうなづける。

 「まことに剣岳は、そんな昔から、それを仰ぐ人々の心を高揚する山である。何よりその風采の豪毅にして颯爽たる点である。日本アルプスの高峰にはそれぞれの風格があるけれど、一つの尖端を頂点として胸の透くようなスッキリした金字塔を作っているのは、この剣岳と甲斐駒ヶ岳ぐらいであろう」(日本百名山より)

 室堂で水をポリタンクに詰めていると、長谷川がこそこそ何かを買っている。聞けば、恥ずかしそうに「ボリがないので水筒を買った」と言う。

 確かに売店には透明なプラスチックの容器が並んでいる。容量は1g程度か。黒ビニールの紐をはずせば、単なるペットボトルにしか見えない。押せばペコペコヘこむ。それで、値段は700円。上には「日本最高位:の名水をいれてってね」と、色とりどりのマジックで書かれた張り紙がある。「観光客だましだよなあ」と伊佃は先ほどのお返しに出た。長谷川は「うるさい、うるさい」と、色白の顔を赤くする。「ウイスキーを捨て、その容器に水を入れようかとも考えたんだから」とも言う。まあ、そろそろからかうのも止めてやるか。ところが、バスターミナルの出口に向かう途中、ミネラルウオーターを売っているのを平田が目ざとく見つけた。値段は、1gで300円。「こっちの方が良かったんじゃないの」。平田の口調は明るいけれどトゲだらけ。

 立山三山の一つ、雄山(3003 m)までは、コースタイム2時間20分。久しぶりの登りなので慎重に歩いたが、1時間20分で着いた。途中2回休んでいるのだから、ペースは上々だ。ガスが飛ぶと槍の穂も遠望でき、気持ちが良い。ただ気温は8度。さすがに風が冷たい。早々に出発。今日の最高峰・大汝山(3015 m)を越え、別山へ。ここで伊田と平田は頂上を巻く道を。ガスの中、長谷川独りでピークを踏みに行った。道の合流点で長谷川を待つ間、日向ぼっこしゃれこむ。回りはガスなのに、日射しは強い不思議な天候だ。

 分岐から剣山小屋まで、高度差300mを一気に下る。剣沢はガスにつつまれ、見通しがまったく利かないものの、雷鳥に出会えた。紅葉のなか真っ直ぐな道下る伊田が一年前から始めている下手な俳句をひねる。

 と、ガスの中、岩に腰掛けていた男性がこちらをしげしげと見ている。「東北大ワングルの方ですか?」。なんと、8期の三日月道夫さんとのこと。事前に問い合わせはあったものの、参加確定のご連絡がなかったので、嬉しい驚きとなった。ああ、やっぱりユニフォームを着ていて良かった。「でも、色は緑だけど、我々の頃のユニフォームとは変わっていますよ」と三日月さん。それで、肩のワッペンを一生懸命見ていたという。いやあ、藪ですり切れたワッペンで申し訳ない。

 三日月さんは、称名平(980 m)から奥大日岳(2605 m)を越えて来たとか。さすが、百名山踏破(OB会報21号に詳報)だけのことはあると、感心させられる。

 小屋到着は午後1時半。信州側から入った関東組(26期)の北村と森と再会した。今日既に剣ピストンを済ませたと言う。「昨日は剣御前小屋で泊まり、天気が良いから行っちゃった」と余裕の表情だ。「最初は一服剣までのつもりだったけど、すぐそこにピークが見えたからね。そうすると、ピークだと思ったら前剣でさあ」。うーん、相変わらず軽い。

  「蟹の縦這い、横這いどうだった?」、「へっちゃら、へっちゃら」と森。「でもこいつ、梯子でぶつけて、梯子に血をつけてやんの」と、北村が大げさにからかう。「なら、明日は森の血捜しだな」と笑いあった。

 三日月さんと一緒に軽く酒盛り。やがて森川(26期)が到着。伊田と三日月さんが、テン場で設営中のOB会事務局・佐藤さん夫妻(8期)とお会いでき、今回の山行の参加者9人がそろった。3人とも気さくな方で、話は大いに盛り上がった。



 翌日は曇り空。佐藤さんのテントまで全員で行き、見え隠れする剣を背景に記念撮影する。昨日のうちに、剣登頂を終えた2人は、みくりが池温泉へ真っ直ぐ向かうため、小屋でしばらくくつろぐという。伊田・平田・長谷川・森川の4人は、天気が最後まで持つことを願いつつ午前6時40分に小屋を出発した。佐藤さん夫妻は、テントを撤収してからの出発だったが、7時40分、一服剣(2618 m)で早くも追いつかれてしまった。健脚である。三日月さんは、天気が回復しないと決めて、真っ直ぐ室堂に降りたそうだ。

 以後、行動をともにさせてもらう。前剣までは、いやらしいガレ場の急登。ところどころの鎖場もなんなく越える。前剣からは、縦這い・横這いも良く見える。長谷川の単眼鏡で見るとかなりの岩場。平蔵谷は9月というのにかなりの雪渓を残す。佐藤さんは現役時代、この谷を下ったと言うが、にわかに信じがたい急傾斜である。

 ガス飛んで大雪渓のありにけり

 連休だけあって、蟹の縦這いの下は、10分程度待ち時間があった。途中、ガイドを連れた老紳士を抜いた。聞けば、大正生まれと言う。高度感はあるものの、スタンス・ホールドともにがっちりしている岩場を越える。三年の夏合宿でパーティーを組んだ森川も相変わらず堅実に岩場をこなしている。剣山頂(2998 m)には午前10時に到着。Lを食べ、のんびりするが、頂上にいる30分の間、一度もガスは晴れなかった。

 下りの蟹の横這いは、最初の一歩に度胸がいるものの、なんなく通過する。池の平、仙人池から黒部に向かう佐藤さんたちとは、一服剣下の分岐で別れた。ガスの中、単調な道をひたすら歩いて別山乗越へ。ところどころにコケモモが実る。すぐ口に入れる奴が誰かはあえて書かない。

 雷鳥坂の急な下り(高度差400m)は、コースタイム1時間20分を、33分で駆け下りた。下りは、まだまだ昔のスピードである。だが、現役時代+○○キロの体重では、登りがいけない。雷鳥平からみくりが池温泉までの登りは、足をひきずる感じになった。

 清潔な造りのみくりが池温泉は地獄谷の湯をひく。少し白濁しており、いい湯加減だった。室堂のコインロッカーに預けてあった純米大吟醸の一升瓶は、森と北村が回収済み。宿の生ビールや追加料理を囲んでの、二晩続きの愉快な宴会となった。

平成9年OB会報NO28より抜粋