至仏登頂断念
21期(昭和57年卒) 坂本 務

 今年の夏休みは下の子が6歳になり結構歩けるようになったので、尾瀬・至仏山荘1泊、昨年より解禁となった至仏山登頂を企てました。

 梅雨明けが曖昧なまま8月2日鳩待峠から尾瀬ヶ原へ。約20年ぶりの尾瀬ヶ原は1年の夏合宿、武尊から越後三山へのヤブ縦走で怪我人の治療のため至仏から降り立った予定外テンバ。ヤブ稜線に比べその華やかな都会はなんと眩しかったことか。

 その思い出を秘めて家族で訪れた現代の尾瀬ヶ原は、花が終わっていたこともあり感慨が弱め。ワンゲル時代には考えられないような贅沢な山小屋の夜を過ごし、早めに就寝。夜中の強い雨音にいやな予感。

 翌朝、雨はほとんどあがっていたので、予定通り至仏へ。取り付きの木道までは良かったが、登りになるといきなり登山道が沢。ジャバジャバ音を立てて流れる「沢水」でほどなく子供たちの運動靴は「グチュグチュ」状態に。「もう、帰ろー」とブブー言う子供たちをだましだまし、何とかたどり着いた樹林限界からの尾瀬ヶ原全景は20年前に、怪我の仲間をかばいながらゆっくり、ゆくっり降りた時に脳裏に焼き付けた情景を走馬燈のように思い出させ、パパー人感慨に耽っていました。

 来年も行くぞ!

平成10年OB会報NO29より抜粋