雪の仙台・二口渓谷樋の沢
TUWV 17期(昭和53年卒) 同期会
17期(昭和53年卒) 有志(寄稿者不明)

 11月21日、8時の新幹線で仙台に向かった。仙台に近づくと家々の屋根や畑が白くなっていた。雪が降っていたらしい。駅前に出て、さっそく杜の街の散策に出た。

 かつて丸光百貨店のあったところの裏側。ほんの小さな路地がある。駅前の一等地の影のようなところに小さな飲み屋や飯屋が身を潜めている。ジャズ喫茶「アバン」はもう無かった。その路地と明るい中央通商店街をつなげるように名掛丁センター街(昔はジャンジャン横丁ともいっていたと思う)というほんのちいさな横丁があって、ここにも小さな飲み屋や一膳飯屋がひしめいている。まだ時間も早く、どの店も扉を閉めたままだった。

 中央通商店街に出て、アーケードの下を西へ進むと東一番町に出る。この小路は、北はイルミネーションで有名な定善寺通りから、南は片平までを結ぶ中心的な商店街である。広瀬通りを横切りまた横道にそれる。「カウント」は昔通りそこにあった。アルテックのボイス・オブ・テアトル(だったと思うけど)という馬鹿でかいスピーカーが小さな店内にズデンと置いてあり、ぼくはそこで暇なときには一人コルトレーンやマイルスを聞いたものだ。

 いったん東一番町に戻って、ここを横切ると稲荷小路にでる。そこいら一帯は昔ながらの小さな飲み屋がいっぱいあって、金の無いぼくらが時々立ち寄るところだった。今でもその小さな店はちゃんと残っており、ぼくはここに自分がいたことの証が残っているようで少し安心した。

 ひととおり仙台の街を歩いてから駅前のバスターミナルで秋保(あきゆ)温泉行きのバスに乗った。長町、鹿野本町、西多賀、茂庭を経由し、およそ1時間で仙台の西にある秋保温泉に着いた。旅館に入ると懐かしい面々がすでに何人か到着しており、顔をひとつひとつ確認した。変わってない。ちょっと頭が薄くなった奴もいれば、ぼくのように白くなった奴もいる。でも、面影はそのまま。言葉もそのまま。安心する。挨拶も早々にさっそくみんなで明日の偵察も兼ねて二口(ふたくち)渓谷に出かけた。

 東京を出たときは天気はとても良かったのだが、秋保から二口にかけては雪が降りつづいていた。二口渓谷は山形・宮城県境に広がる蔵王国定公園の北に広がる山塊に埋もれるようにある渓谷で、渓流や磐司(ばんじ)岩と呼ばれる奇怪な巨岩の織り成す美しい景色が魅力の場所だ。

 ぼくらは車に分乗し林道を行った。今年は季節外れの紅葉の盛りで、山々はみごとなまでに赤一色に染まっている。雪はあいかわらずチラチラと降り続いており、けぶる磐司岩は幽玄にそびえていた。ぼくらは雪の中でビールで乾杯した。

 宿にもどると残りのメンバーも順次到着しており、すっかり頭が涼しくなった主将宿崎の乾杯で宴会が始まった。総勢18名である。卒業以来20年ぶりに会う奴もいたのだが、そこは苦労して山に登った仲間だ。時の隔たりはまったく感じさせず、ぼくらは大いに酒を飲んだ。

 近況を報告した。20年の歳月はそれぞれの人生を思いもつかないほど変えてしまうことがある。でも、この仲間達はそれぞれの苦労の程は垣間みせず、それぞれが充実した歳月を送ってきているようだった。

 最後に、昔からそうしていたように円陣になって肩を組み「部歌」を唄った。山に登るってことをことさら美化していた時代。失恋の寂しさとか青春の挫折などという絵に描いたような苦悩の甘い味。その苦しみに浸ることで自分の存在を確かめていたころ。妙に理屈をこねて山に向かった。山に行けばなにかが自分を浄化してくれるような気がした。けれども、何も変わらず、何も浄化できてなどいなかった。そしてその煩悶をまた楽しんだ日々。いまだからその当時の危うくて幼い気持ちが理解できるようになった。

 部屋に戻ってまた飲んだ。今回来れなかった仲間に順次電話した。2000年にまたやろうという話になった。今度は伊豆だ。

 翌朝、7時に目を覚まし、風呂にはいり朝食。そのまま帰宅する宿崎、相川、田、木付、和雄、篠宮と別れ、残りの人間12名で予定通り二口渓谷を目指して出発した。ザックにはビールと宿で作ってもらったおにぎりが入っている。車で登山道の取り付きまで入る。今日の行程は往復で約4時間。二口渓谷の大行沢沿いの道を約2時間半ほど登っていくと樋の沢というところにでる。そこは二口渓谷の最深部にあたり、大東岳、南面白山、小東岳などへの登山道が分岐している要所にあたる。ぼくらはそこに向かうのだ。

 昨夜から降った雪は深いところでは10センチ以上積もっていた。まさかこんなに雪が降っていようとは思わなかったが、ぼくらは快調に進んだ。左手に沢を望み、右手に岩陵の起伏を眺めながら樋の沢避難小屋に到着した。避難小屋の前の空き地でラーメンを作って食べた。幹事の土合は丁寧にもチャーシューとネギを持ってきた。南と欽一とぼくがエッセン担当で雪を踏み固め、バーナーでラーメンを作った。川又も大野も洋志も勝又も嘉洋も喜んで食べた。美味かった。田沼は凍った樋の沢に踏み込んで滑ってこけていた。青木はすっかり冬山の格好をしてサンタクロースみたいに赤と白になっていた。

 一緒に行動したのは12名と大勢であったが、ぼくらの呼吸はぴたりと合っていた。歩くペースも休憩のタイミングもほとんど同じ。だからとても歩きやすい。何も考えなくて前を歩く者に着いていけばいい。彼らとなら今でも山に行って安心して歩ける。そう確信できた。一つ釜の飯を文字どおり一緒に食らいあった仲というのはやっぱりいいものだ。

 樋の沢から戻ってきたのが3時過ぎ、そのあと幹事の青木と土合の車に乗せてもらい青葉山のキャンパスに立ち寄り、理学部の研究棟の屋上から仙台市の夜景を眺め、駅に到着した。お土産のカキと萩の月を買って田沼と伸幸と一緒に再び新幹線に飛び乗った。あっというまの2日間であった。実に楽しい同期会であった。

平成11年OB会報NO30より抜粋