西穂高から焼岳へ <OB山行報告>
26期(昭和62年卒) 森 寿弘
 卒業以来、毎年(あきずによくやるよな)おこなっているOB山行。今年は、北アルプス、焼岳で行われた。メンバーは、荒田、伊田、平田、森+ 宴会のみの北村(奥方急病で)と今までで最も少ない陣容で、少し寂しい山行であった。

 さて、実際の内容ですが、折から台風が急接近。台風の目が北アに衝突するかもしれんと思った程の直撃弾を浴びてしまった。

 初日、西穂高ロープウエイの下の駅では曇り。「とりあえず小屋まで行くか」と乗ったはいいが、上は横殴りのどしゃぶり。「こりゃやだめだ」と森、平田の2人はタウンページで宿の選別を開始していると、「行くっきゃない」と荒田、伊田の強行発言。結局、ずぶ濡れになりながら西穂高山荘へと向かった。

 翌日、「台風よ、進路を変えろ」と祈りながら天気予報を見るが、もろ直撃コースで帰りの道路が通行止めになる(通行止めされると富山経由で帰るはめになる)危険すら出てきた。しぶしぶロープウエイ駅まで下山すると、ロープウエイは運休。仕方なくスキー場を下山するはめになった。

 不完全燃焼のまま、松本の宿”深志荘”に向かった。ここの料理のうまいこと!相変わらず、伊田はいい宿を探す、と関心しきりだ。翌日、晴れ渡った空を見ながら、来年へのリベンジを皆で心に誓った。


番外編  恐るべし西穂高スキー場

 ロープウエイ運休のため、スキー場を転がるように下山開始だ。 相変わらず平田の下りは早い。まるでスキーを滑るがごとくの快調な下山だ。額を流れる汗も心地よい。あっとゆうまにパーティはばらばら。森、平田組と荒田、伊田組に分かれてしまった。

 何の疑いも持たず快調にゲレンデを下る。と、突然目の前にやぶが立ちふさがった。「道を間違えた。戻ろう」 と頭は判断した。が、その時、はるか昔の経験がよみがえった。 「OK、ノープロブレム 突破だ」と、平田の脳天気な判断も一致した。しょせんスキー場、何の問題もないはずだった。

 一歩 藪に踏み出すとそこは別世界。 「ウオー、何だこれは、北海道よりひどい」。後ろの平田の方を振り返るが、彼の巨体ですらほとんど見えないほど濃いヤブだ。「なんでゲレンデのど真ん中にこんな藪があるんだ」、怒りに燃え1本の根曲がりをなぎ倒すが、すぐに100本の根曲がりがはねかえってくる。手も足もTシャツもズボンも、あの懐かしい臭い(そう旧練の臭い)に包まれ、擦り傷で手足が血塗れになってゆく(なんと短パン、だった)。 30才も半ばにさしかかったいい大人がなんでこんなことをしているんだろう。

 30分後、憔悴しきった我々の前には、横倉の壁より急な上級者用斜面が静かに横たわっていた。アーメン!
平成11年OB会報NO30より抜粋