奥秩父・金峰山(26期同期山行)
26期(昭和62年卒) 小松 義秀

 10月20日(金) : 7時半JR西国分寺駅に関東組集合。天気はうすぐもり。北村の車(パジェロ)に森、小松が同乗。道は予想外に空いており、9時半頃には甲府駅の駐車場に到着。関西組と合流する前に森・小松で買い出しすることにする。駅前の山交デパート開店までご近所のご婦人がたと待つ。やはり甲州では「ほうとう」だと考え、生のものと乾燥したものとを購入し味比べをしようということに。当地では「あずきほうとう」もあるそうなので、あずきの缶詰も買った。

 11時 特急ふじかわで平田、アラポン(荒田君)到着。今日の合流者はこれで全員である。学生気分で昼飯をたべる。天気は小雨だが、気分は相変わらず高揚している。

 12時 甲府発、今日の目的地大弛(おおだるみ)峠には、甲州側、信州側ともに車で行けるのであるが、今回は山梨県側ががけ崩れのため、一旦長野県川上村に向かう。雨が強くなるが、林道好きの北村号が行く本谷釜瀬林道は、増富温泉から先、紅葉がとても美しく楽しいドライブとなった。

 信州峠を越えてすぐに大弛峠へ向かうのかと思ったが、北村号はそのまま進路を北にとり、天狗山近くの馬越峠を登る。このあたりで少し晴れ間が見え、眼下に雨上がりの鮮やかな緑色の畑と町並みが見えた。さらに峠を反対側へ下り、まだまだドライブは続くのであるが、それは省略する。

 秋山の集落からいよいよ大弛峠に登り始める(もちろん、車で)。天気は再び悪くなり、ガスも出て肌寒い。川端下を過ぎ、廻目平で左へ進むと、道は極めて悪くなってくる。ゴツゴツ道を20〜30分も行っただろうか。傾斜がなくなり、急に舗装された道に出ると峠に着いた。16時ごろである。

 大弛峠は激しい雨、すぐに小屋に逃げ込む。同宿者は私たちのほかは一人、あとは管理人のお兄さんのみ。こうなると二口小屋のように我が物顔に振る舞える。早速、本日のESSEN長、森の号令下でみなが動き出す。私も黒く錆付いたオピネルを出して、少しだけ手伝うふりをした。

 「ほうとう」はカボチャの風味で「ほうとう」らしくなるそうだが、今回は各人の好みもあり、あえてカボチャなしで挑戦してみた。そうしてみると、味は間違いなく「芋煮うどん」であり、中身の具から考えても確かにそのものであった。これは酒の肴としておおいに受け、その後の「カレーほうとう」も好評で、ワイン2本、日本酒1本はまたたく間になくなった。外はますます寒くなり、ついに小屋の「サントリーレッド」も飲んでしまった。

 小屋には、調律された(というのか表現がわからないが)ギターがあり、管理人のお兄さんから借りた北村の伴奏(上手だった)で、かつての山行のようにみなで歌った。しかし、なにを歌っても歌詞がデタラメで、改めてワンゲルらしさ、または26期らしさを感じた。

 10月21日(土) : 翌朝は寒さのため、皆比較的早く起きる。天気は快晴。存在が重荷になりつつあったあずきの缶詰は朝のデザートとなり、個人的には一安心。8時すぎには出発できる。

 開始3分、というと柔道かサッカーのようだが、たちまち私はみなについていけないことを悟り、列から外れることを希望。みなさんのご厚意により、逆に先頭を歩かせてもらえることになった。自分のペースで歩けるので私も心地よく、みなはさらにラクチンだったようで、にぎやかに話しながら進んだ。

 一本目の休憩で、伊田と連絡をとる。携帯電話がつながるよう見晴らしのよいところで、「これだけ山深いところもそうそうあるまい」と誰かが言った。奥秩父は東京から近い割に本当に人里離れたところである。もっとも道がとてもよく踏まれているので、東北の山に比べると山の中自体に人の気配を感じるような気がした。

 伊田は特急あずさで移動中。「こんな山の中から特急電車と話ができるなんて、すごい時代になったもんだ」とこれまた誰かが言った。WV現役のみなさんも、山中でトランシーバーではなくケータイを使っているのだろうか?

 伊田は26期の宝である。彼がいるおかげで、26期は毎年なにも考えなくても山へ行けるのである。彼は、かなり期が離れているワンゲルの先輩、後輩の方とも面識があり、持ち前のひとなつっこさでそうした方々と仲がいい。このOB山行をとても楽しみにしていたのだが、今回初めて初日に参加できず、とても残念がっていた。しかし彼がいなかったのをもっとも残念がっているのは、文章のプロである彼に今回の山行記録を任せられなかったこの私であろう。

 ゆっくりと出発。樹林帯の多い奥秩父の山々は、埼玉出身の私には懐かしい感じがした。金峰山頂近くになり、岩が露出してきたところで、各自のペースとなり、アラポンと私は景色を楽しみながらのんびりと到着。11時前だったか。

 山頂からは360度の展望が楽しめた。八ヶ岳に南アルプス、はるかに北アルプス、五丈岩をはさんでおやっと思うところに富士山もあった。さらに細かく山名が言えるといいのだが、ともかくたくさん山が見えた。

 紅茶をわかしてもらって、昼食も済み、ごろ寝。と、そのとき、80名くらいはいるのではないか、という中高年の大パーティがやってきた。百名山隊?。話の具合では、長崎や諫早の方から来ている人もいるようだった。お互い写真を撮って、「後でお送りしますから住所を」などと言っていたので、多分ツアーなのだろう。まあ26期のOB山行の場所選定も百名山隊と同様といえよう。

 この人たちもここで昼食、やがて来た方向とは別の方へ下っていったので、瑞牆山(字がうまく出ませんでした)へ向かった様子であった。このくらいの年齢になっても山へ来られるというのはとても幸せなことだと思った

 2時間か3時間くらい、山頂に居たのではなかったか。帰りはみなに圧倒的に離されて、また自分のペースで下った。行きに伊田に電話したところでみんなが待っていてくれた。そこから先は北村が最後尾についてくれて、ゆっくり話しながら下った。

 大弛峠までやっとの思いで戻り、靴を脱いで、珍しい「ほっけの燻製」を食いちぎっていると、森川と、甲府から森川号で大弛峠まで来ていた伊田が、北奥千丈岳から帰ってきた。これで全員集合である。

 伊田はみなが予想していた通りのことを言った。「ここまで来て、奥秩父の最高峰(北奥千丈岳)に登ってこなくちゃ意味がねーぜ」・・・私たちの都合で伊田が初日から参加できなくなってしまったので、申し訳なさのあまり心の中で静かに合掌した。森川は優しく笑っていた。

 ここから今日の宿「薮の湯 みはらし」までは信州まわりだと70〜80kmぐらいあったのではないか。南アルプスの山ふところにある。真っ暗な中ようやく宿に着き、一風呂浴びて、楽しく宴会。部屋に戻ってからも元気一杯・話題豊富な伊田に、みんなが寝たり起きたりしながら交代で話を聞き、さらに酒は進んでいった。

 10月22日(日) : 朝風呂に行ってみると、正面には盆地をはさんで八ヶ岳を望み、左手には甲斐駒の尾根と谷がくっきりと見えていた。本当に見晴らしの湯だったんだな、と思った。

 楽しい学生気分もまもなく終わり。アラポン・平田の関西組は小淵沢の駅で別れる。彼らは車中で楽しく酒もりをしていたそうだ。残った5人は、清里に行き、テラスでコーヒーなど飲みながら、徐々に夢から覚めていったのであった。

 こうして思い出してみると、改めて楽しかったなあと感じます。帰ってからしばらくご機嫌でした。また、期をこえてゆっくり山に行きたいと思いました。

平成12年OB会報NO31より抜粋