7期同期山行(平ヶ岳)
77期(昭和43年卒 )菊谷 清

 同期の真尾が上京してきて、新橋で一杯やろうと電話をかけて来たのは今年の3月末の頃。唐突に彼が「平ヶ岳へ登ろう。幹事をやってくれないか」と切り出した時、とっくに忘れていたホウェーブス事故で頂上を目前に撤退した夏合宿の記憶が、突然、頭の中に浮かんできた。30年前にやり残したままの仕事を完遂するのもいいなと思い、酔った勢いで引き受けた。しかし、後で酔いが覚めた時、今の体力ではとても昔の登山が出来るわけがないことに気がつき、急に不安が高まってきた。

 前田が昨年平ヶ岳に登ったということなので早速、相談を持ちかけたところ、われわれが昔に登ったルートとは別のショートカットルートがあり、そこからなら簡単に往復可能で、さらに前田がガイド役もやってくれると聞いてようやく一安心した次第である。

 仲間に参加を募ったところ、予想以上に沢山の参加申し込みがあった。しかし送られてくるEメールの文面から、皆一様に自分の体力に自信がなく、本当に登れるのかどうか不安を持っている様子がありありとわかった。そりゃそうだよ、50歳半ばの老年だものね。

 結局、参加することになったのは、我々同期は石川、俊郎、大釜、金子、国岡夫妻、直樹、手戸、藤森、真尾、山口、私の12人、先輩は祐二さん、加藤さん夫妻、堤さんの4人、それに前田を加えた総勢17人である。 

 出発の準備も大変である。当然のことながら昔の登山道具はどこかへ逸失し、何を用意していいやら途方にくれるありさま。それでも昔の薄れた記憶を思い出しながら登山靴、ザック、固形燃料、地図などを購入した。ピカピカの新入部員の出で立ちである。

 9月15日の初日は集合日。はるか遠い北海道、青森から参加する2人を含め、浦佐駅に15人が午後1時に集合。卒業以来はじめて見る顔もあり、懐かしい。年はとったが、みんな昔のままの顔立ちである。当日は、夕方までの時間をつぶすために奥只見ダム発電所の見学を計画していたので、駅前から電発手配のマイクロバスに乗り、さらに銀山平で祐二さん、堤さんをピックアップして全員でダム見学に出かけた。

 電発社員の素人ガイド付きでの奥只見ダム・PR館および地下発電所の見学は、土木屋以外の仲間にはつまらないかも知れないと心配であった。しかし地下深くのダム発電所の見学は皆初めてのためか、熱心に質問をするものだから、ガイド(電気職)も職業意識に芽生えて案内に力がはいり、普通は見学者を入れないような所まで回った結果、予定見学時間をかなりオーバーしてしまった。

 ダムの堰堤上からは、銀山湖の上方はるか遠方に霞む平ヶ岳を望むことができた。ダムから銀山平へは、ゆっくり遊覧船で湖上遊覧しながら行く予定であったが、当日は風が強く欠航となっため、残念ながら果たせなかった。

 宿泊は銀山湖畔の湖山荘。ここで相原が飛び入りで合流してきて総勢18人となった。夜は昔話に花の咲く楽しい懇親会となり、美味しい地酒をたらふくいただいて寝たのは?時か、記憶にない。

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 翌9月16日は早朝4時出発。さすがに元ワンゲルである。寝不足でもピシッと予定通りに出発した。周りはまだ真っ暗である。中ノ股川沿いにマイクロバスで次第に高度を上げて1時間半、夜がようやく明けた頃に平ヶ岳登山口に到着。ガイドブックでは登山禁止のルートということあったので、登山者は殆どいないのではないかと思っていたら、何の事はない、銀山平の各小屋からのマイクロバス3〜4台が数珠繋ぎになって川沿いの狭い道(部分的に舗装もあり比較的整備状況はよい)を登っていくさまは、朝の登山ラッシュの様子である。

 天候は薄く雲がかかっているが、まずまず良好。久し振りのラジオ体操を元気良く掛け声上げてやったが、周りに沢山の登山者がいたのでちょっと恥ずかしい気分ではあった。

 皆の登山の格好はさまざまである。寝巻き風の上下を着て大きなビニール袋(ザックの代わりか?)を引きずって歩くホームレスのような格好をした者や、会社のネーム入りの作業服を着て頭に手拭ぐいを巻きこれから現場工事に出掛けるような格好をした者など思い思いの風体をしていて実に愉快である。俊郎や前田は、度々山に登っているというだけあってなかなか決まった格好だ。

 5時40分、われらTUWVOBパーティーはトップ前田・しんがり俊朗で、いよいよ登山開始。最初の3時間はきつい登りだよ、との前田の予言どおり苦しい登りが始った。最初の一本の声がかかるまでの時間の長かったこと。息はゼエゼエ、喉はカラカラで、もうバテ気味。最初から大休止で朝食をとる。メンバーには顔面蒼白の者もおり、本当に頂上まで辿り着けるか不安になってきた。男どもに比べると女性2人は元気一杯で、この位の年齢になると男女の体力は逆転するというのがよくわかった。それでもちょっと休憩すると体力は回復するもので、一本直後は足取りも軽く呼吸も楽だが、加速度的に苦しさが増してきて次の一本の直前はもう限界に近くなる。この繰り返しを何度か経験した後にようやく稜線に達した。しかし緩斜面の稜線は冷たい強風が吹いており、敷かれている木道を何度か踏み外しながらヨロヨロと進んで行った。

 ようやく9時頃に待望の平ヶ岳頂上に到達。この頂上の約1km手前で撤退したのは34年前であり、このわずかな距離を辿り着くのに34年もかかったかと思うと感無量であった。当時のパ−ティーメンバーだった真尾、前田とともに三角点の上に手を重ねてその喜びを分かち合った。

 計画では頂上でゆっくりと時間を過ごして昔の思い出に浸るはずであったが、三角点付近は狭いうえに登山者が続々と来て混雑していたため、早々に退却して頂上より10分位下りた風の当たらない水場で大休止とした。しかし皆さん、普段の運動不足にもかかわらずよく頂上まで登れたものだと感心した。久し振りに味わう山の雰囲気は本当に気持ちがいい。また山に登ろうという気が湧いてくる。

 下山は2時間半位である。ところが下りになって膝の耐力に普段の運動量の差が顕著に表れてきた。最後の急な下りでは膝で自分の荷重を支えきれずに、滑って何度も尻餅をつくありさまとなった。登山口まで下りて缶ビールを一気に飲んだ時は、ついにやったという満足感でいっぱいになった。

 湖山荘に戻り、いつかの再会を期して解散。車で帰る6人と別れた後、われわれ電車組みは例の銀山平プレハブ温泉に大急ぎで飛び込み、汗を流した後、浦佐駅に下山。久し振りの充実感に包まれて帰京の途についた。

平成12年OB会報NO31より抜粋