ヒマラヤトレッキング
3期 (昭和39年卒) 後藤 龍男

 この10月に3期の松木、佐藤君、4期の及川君の還暦組4人で40年来の念願であったヒマラヤトレッキングに出掛けました。ルクラからナムチェ・バザールを経てタンボチェまでのご存じエベレスト街道です。本当はエベレストのベースキャンプ地で有名なカラパタールまで行きたかったのですが、さらに往復1週間必要で、現役会社役員の及川君がどうしても休みが取れず、次回の目標になりました。標高4000mのタンボチェから振り仰ぐエベレストの頂上、雪煙のローツェ、秀峰アマダブラムなど、写真で何度も見ていましたが、実物は期待に違わず実に素晴らしい景観でした。

天候が最も安定するポスト・モンスーン期で、毎日快晴、日中は半袖で歩けるほど暖かでした。エベレスト街道を含めトレッキングトレイルはよく整備されていて、歩きやすく急峻なところはほとんどありません。登り下り自体は日本の山よりずっと楽です。それより高所の影響の方が辛いというのが4人の共通した感想です。最高地点が4050m止まりでしたが、4人とも頭痛、下痢、食欲減退など何らかの高山病の初期症状が出ました。ナムチェ・バザールより上では何をするにも息がきれて、ひたすらビスタリ、ビスタリです。ビスタリとはシェルパ語で“ゆっくり”です。腰を屈めて靴ひもを結んだり、花の写真を撮ったりすると頭がくらくらします。富士山とそう違わない高度ですが、富士山はすぐ下山してしまうので影響を実感できません。タンボチェの先、もう500mも登ったら軽度の高山病は避けられなかったでしょう。高度順応の意義を実感しました。

 我々4人の他、シェルパ族のサーダー、コック、ポーターが計7人、荷物運びのゾッキョ4頭の大パーティです。ゾッキョは牛とヤクを交配したシェルパ族の家畜です。行動中、自分で持つ荷物はカメラと水筒と雨具ぐらいで、後は全部彼らが運んでくれます。朝シュラフの中で目を覚ますと、ポーターがテントにモーニングティーを運んでくれます。景色を見ながら飲んでいると洗面用のお湯(シェルパ語でパドパニ)が用意されます。朝食の準備が出来るとコックが呼びに来ます。食事用テントで朝食をとり、トイレ用テントでキジ撃ちを済ませると、サーダーの先導で出発です。ポーター達は我々の装備、テント、食料、炊事用具一切合切をすべてゾッキョに積んで後から追いかけてきます。我々を追い越して先回りし、見晴らしのいい場所にシーツを広げ、ティーやランチを用意しておいてくれます。エベレストやローツェの絶景を見ながらのんびりティータイム。山を見ながら歩く以外、我々は何をする必要もありません。天国です。

こういう大名旅行的トレッキングシステムはヒラリーなどイギリス貴族が作ったものですが、今では金持ち日本人が一番の上客のようです。トレッカーの大部分を占めるヨーロッパ系白人はロッジ泊まりの少人数パーティがほとんどです。ルクラから上にロッジは沢山ありますが、汚いし、蚤と南京虫に悩まされるというので今回はテントにしました。40年ぶりのテント山行は実に快適でした。それほど金がかかるわけではないので、初めて行かれる方にはこちらをお奨めします。

それにしても日本人は少ないですね。感覚的に1割程度。テロ騒ぎで激減したそうです。それも我々のような年寄りばかり。多数派のヨーロッパの連中は老若男女、子供や赤ん坊まで連れたパーティがいました。実に行動的で冒険心旺盛。それに引き替え日本の若い連中は何やっているのか。ほとんど見かけません。茶髪で新宿、渋谷あたりをうろつくしか能がない。どうも我々日本人は子供の育て方を間違えたようです。

神々の座をバックに
平成14年OB会報NO33より抜粋