白山追悼登山と墓参り ・・・ 北条真人君を偲んで
平成14年7月5〜7日
8期(昭和44年卒) 水上 俊彦

白山は北条が日頃から日本のモンブランとして自慢し、こよなく愛していた故郷の山である。3年の夏合宿は白山だと孤軍奮闘主張していた姿を今でも思い出す。


昨年11月末に北条が住職をしていた満願寺から、本人が4月5日に還浄との葉書を貰い、あまりに急な話に信じたくない気持ちと同時に、我々同期が誰も半年間も知らずにいたことの悔やみの気持でいっぱいになった。思い出すに10年位前のある日の夜9時過ぎ、例の声で「今戸塚で飲んでいるので来ないか」との電話をもらった。まさかこれが彼との今生の別れになるとは。

別当出合で久しぶりの再会を喜び合う。日差しの強い中、日陰で腹ごしらえをした後、12時10分に出発するが、元気のない顔をしていた守護のペースが落ちてくる。食中りにあい前日から食事ができない状態とのこと。そんな状態でも参加してくれたのは本当に嬉しい。

別山の展望が開け高山の感じが出てきた甚之助ヒュッテには、コースタイム通りの2時間半で到着する。南竜ヶ場までのトラバース道は展望もよく、高山植物の豊富な気持ちの良い道である。可憐なハクサンフウロ等の高山植物に出会うと立ち止まってカメラを向ける時間が長くなり、ペースはぐっと落ちる。先も僅かだと思うと、ここで過ごす時間を大事にしたくなる。途中スケッチをする人も現れ、ハクサンコザクラの群落にも巡り合うことがでた。南竜山荘では、前日に岐阜側の大白川温泉から入った三日月が、「遅かったね」という顔で我々を迎えた。ここは草原に囲まれた素晴らしい雰囲気の中にある山小屋で、夏山シーズンの混雑もなく、ゆったりできた。

南竜トラバースにて
南竜山荘に泊まる


 翌朝は朝鮮半島から日本海に向かっている台風5号の影響で、残念ながらガス。7時10分に山荘を出発し、エコーラインコースを登る。雪が解けて間もないため、お花畑で有名なこのコースもまだこれからという感じ。時々、雪渓が現れるコースを登り続けると、立山より規模は小さいが、弥陀ヶ原に出て緩やかな登りとなる。白山本峰は依然ガスの中。

室堂にコースタイム通りの8時40分に着く。ここに荷物を置き軽装で白山の最高峰の御前峰(標高2702m)に向かう。ガスはむしろ濃くなっており、展望は期待できない。途中クロユリの群落に感激し、シャッターを押す。北条が白山の自慢をする時によくクロユリの群落の話をしていたのを思い出す。その他にもいろいろ高山植物は咲いていた。その都度、女性殿に聞くが、ミヤマキンバイ、シナノキンバイ等昔覚えた名前以外は聞いてもすぐ忘れてしまう自分が情けなる。

頂上は台風の影響で風が強すぎるので、直下の白山神社奥宮でしばし休憩をとる。下りは、池めぐりをして室堂に戻る予定であったが、何しろこの天候である。拓哉夫婦だけが池めぐりにこだわっていたが、小笠原の脅しもあり、引き返すことにした。下山は展望が良いはずの観光新道を辿り、途中強風の吹きさらしで苦労しながら、別当出会へ15時5分に着く。

白山に咲いてた花

御前峰山頂


 白峰温泉「山和荘」では幸英がビールを飲みながら待っていた。温泉で山の汗を流し、やり遂げた満足感とともに乾杯する。



 のどかな田園風景の中を走り、10時半頃鯖江市の満願寺に着く。

 お母さんの説明では、北条は昨年4月にロータリークラブの宴会の後早めに退席し床に就き、翌朝何時までも起きて来ないので不審に思い、起こしにいったら既に事切れていたそうである。お母さんの話では、肥り過ぎにもかかわらず、酒をよく飲み、インターネットの碁に熱中になっていたようである。

 お墓には白山頂上から大事に持ってきた石を供え、一昨日、南竜山荘で皆と飲んだ酒をお墓にかけ、「こんなに墓参りが遅くなってすまん。でも、ちゃんと君の大好きな故郷の山、白山に登ってきたからね」 と語りかけ、改めて皆で北条の冥福を祈った。

         北条の墓前に白山山頂の石を供えて

参加者:拓哉&オギャー、相原夫婦、小笠原、守護、根岸、三日月、中里(娘さんと友達)、幸英、水上
平成14年OB会報NO33より抜粋