アンナプルナ山行記
3期 (昭和39年卒) 後藤 龍男

 去年のエベレストに味をしめ、今年もヒマラヤへ出掛けました。メンバーは松木、佐藤、後藤(3期)、及川(4期)に5期の渋川君が加わりました。家内が言うところの“三馬鹿大将プラス2”。おおむねリタイアドです。

 今回の目的地はアンナプルナ。ポカラから車で1時間行った標高1000mのナヤプルから4200mのアンナプルナBCまで往復2週間の行程です。ABCは1970年のイギリス隊がベースキャンプに使った場所で、モディ・コーラ谷の最深部、南アンナプルナ氷河のモレーンの上にあります。ここに二日間滞在しましたが、8091mの主峰アンナプルナT峰をはじめ、ガンガプルナ、マチャプチャレ、グレーシャー・ドームなど周囲を7〜8000m峰に取り囲まれ、実に素晴らしい山岳景観でした。到着直前、すれ違った欧米人のトレッカーから“ナマステ”ならぬ“Welcome to Heaven!”と挨拶されましたが、まさに天国です。

歩き出しのナヤプルから標高2000mのチョムロンまでは熱帯のジャングルですが、その先はモディ・コーラの切り立った氷河谷の底を歩きます。標高3200mのデウラリを過ぎると気温が下がりはじめ、ABCでは朝夕気温が零下5〜10度になります。この時期、ポスト・モンスーンの10月は毎日快晴で、天候はすこぶる安定しています。

ご存じのようにアンナプルナは1950年のフランス隊による人類初の8000m峰登頂で有名です。イギリス隊のエベレスト初登頂はその3年後です。隊長エルゾークの「処女峰アンナプルナ」を40年振りに読み返しましたが、このときのフランス隊は徒歩でインド国境を越え、ポカラの西方カリ・ガンダキ川を遡るルートを採っています。肝心のアンナプルナが見つからず、散々探し回った挙げ句、やっと見つけて西北側から登頂しています。今ではポカラまで飛行機で行けば、ホテルの窓から誰でも見ることが出来ます。たった50年で世の中変わるものですね。ABCからの南斜面は難度が高くほとんど登られていません。その難しさは、写真でお目にかける南アンナプルナ氷河基部から屹立する標高差4000mの様相でお分かりでしょう。

去年のエベレストもそうでしたが、今回も日本のパーティーにはまったく行き会いませんでした。トレッカーのほとんどはヨーロッパ人で、韓国と台湾のチームが少し混じっていました。このあたりには自動小銃を持ったマオイスト(毛沢東主義のテロ集団)が出没し、トレッカーを脅して通行税として千ルピーほど巻き上げるそうです。我々も危うく遭遇しかけましたが、それを怖れて日本人がほとんど来なくなったと現地の人が言います。最近の日本人は自閉症気味で、海千山千のヨーロッパ人はともかく、韓国や台湾の人達より勇気と外界への意識、冒険心が低下しているらしい。そのことは昨今のイラク自衛隊派遣問題の迷走や南極観測中止の愚挙にも如実に表れています。実に嘆かわしいことです。

写真を3枚お目にかけます。上から、アンナプルナT峰(8091m)、マチャプチャレ(6997m)、アンナプルナ南峰(7219m)とテントサイトです。来年はカラパタールかランタン・リルンにしようと今から話しあっています。そろそろOB会パーティーを出されてはどうですか。

アンナプルナT峰(8091m)
マチャプチャレ(6997m)
アンナプルナ南峰(7219m)とテントサイト
平成15年OB会報NO34より抜粋