21期、22期 黒部源流山行
21期(昭和57年卒) 千田 敏之
 2年前の夏、日高の沢山行を大雨で観光旅行に変更せざるを得なかった21期、22期の合同パーティーは、その雪辱戦の意味も込めて、2004年夏は黒部の山旅を行った。メンバーは21期は冨士原、千田、22期は石川、土屋、手塚。沢のプレ山行も奥多摩で2度行い、準備万端で黒部に向かった。

 出発は8月5日、夜行列車で富山へ、富山からバスで折立へ。太郎平まで登り、薬師沢出合いに向かい下降。この日のテン場は薬師沢左俣、右俣の合流点。幕営禁止地域だがこっそりテントを張る。釣った岩魚を焚き火で焼いて酒を酌み交わす。これこそ沢の醍醐味。

 2日目は黒部本流に入り、赤木沢までまず遡行。当初の予定は赤木沢出合い近く、ウサギ平で泊まる予定だったが、「歩き足りない」「釣りは飽きた」というわがままなメンバー多く、この日のうちに赤木沢をやっつけ、黒部五郎のテン場までいくことにする。これが“苦行”の始まり。日本有数の美渓とツメの赤木平の草原を堪能したまではよかったが、そこから黒部五郎までが実に3時間近くかかる縦走路。テン場に着いたのは夜7時過ぎであった。


 3日目も「双六から小池新道はつまらん」との声が大勢を占めたため、当初の計画を取りやめ、無謀なルートを選んだ。三俣蓮華から、鷲羽、水晶を経て、「長さ」で悪名高き竹村新道を湯俣に下山することにしたのだ。この日も実働で10時間以上になりそうだが、出発時は皆、やる気満々だった。しかし、水晶を午後1時に通過した頃から、遠くで雷鳴が聞こえ始め雨もポツリポツリ。明るいうちにテン場に着こうと学生時代のようにほとんど休憩することなく下り続けた。結局、湯俣には日没直前の6時過ぎに到着。さすがにこの日はテントはやめて、温泉付き「晴嵐荘」泊をおごった。

 中年男のわがままから、2日続けて12時間以上の行動となった。この年齢での体力の限界(ちなみにザックは17キロ前後)を実感することと相成った。2005年はもっと快適で楽な、大人の山行にしたい。

(追記)
 12月3日の反省会で、来年の合宿が平ヶ岳に決まった。ルートは水長沢か恋ノ岐川の予定

平成16年OB会報NO35より抜粋