平ヶ岳らくらく山行記
26期(昭和62年卒) 平田 恭史
 日本百名山「平ヶ岳」 二年の秋合宿で御池の国民宿舎経由で会津駒〜尾瀬ルートを辿った私にとって、遠方に光り輝いていた平ヶ岳は気になる存在ではあった。しかし、台倉山の稜線を延々と登っていかないとならない平ヶ岳はまあ、一生行く事は無いであろう存在であった。

 話は2年前の同期会山行後の宴会まで遡る。「来年の同期会どの山にする?」との話に、だれかが「知ってるか? 平ヶ岳にチョンボ道があって、楽勝で登れるらしいぞ」との一言。これで03年は平ヶ岳に即決定。登山道の取付きまでの林道は一般車進入禁止、銀山平の伝の助小屋に宿泊し、小屋の車で送っていってもらわなくてはならない。03年はメンバーの都合の良い日に伝の助小屋が満員で予約できず、断念。今年こそはと、とっとと予約をし、2年越しの山行が実施される事になった。

 梅雨明けの7月31日昼過ぎ、越後湯沢駅に平田・伊田・森・北村の4人が集合。14時奥只見湖畔の銀山平に到着。なーんもする事がないので、だれも乗っていない奥只見湖の遊覧船に乗り、船から平ヶ岳を遠望し、ビールを飲みながら明日への決意をする。

 8月1日、ど晴れ。4時に小屋のランドクルーザーで出発、約1時間で取付きに到着。我々の他は、単独行の人2人と日本百名山ツアーのマイクロバス1台分。北村の口から「今日は雨が絶対に降らないので、カッパはいらないだろう。」と、とても元ワンゲルだったとは思えない山をなめ切った発言が飛び出す。他の3人から一斉砲火を浴び、しぶしぶザックにしまう。

 13時に迎えに来てもらう約束をして、早速尾根に取り付く。いきなりの急登に運動不足の体から大量の汗が吹き出る。それでも、トップを行くベテランクライマーの平田氏のグッドなペース配分のおかげで小バデ程度でドバテにならず、途中2回の一本で7:45には早くも平ヶ岳稜線の玉子石分岐に到着。個人的には、「玉子石と言ってもどーせ小さい円い石があるだけだろう」からパスして山頂に行きたかったが、ここで北村が玉子石に異様な執念を見せ、行くハメになってしまう。約5分で到着。やっぱり円い石が平べったい石の上に乗ったように見えるだけであった。(でも、天然記念物だそう、後でインターネットをいろいろ見てみると、皆さん絶賛していた) で、写真を2〜3枚撮ってそそくさと出発。20分ほどで山頂着。ガスっていて眺望はゼロ・風はビュービュー。まるでただの冬の荒れた草原のよう。でもこのまま下ると、10時には下山してしまうので、1時間程、風を避ける事ができる、周辺がヤブで見通しが全くきかない一等三角点の周辺でお昼寝を敢行。このとき、ふっと気が付くと北村は登り口で「置いていく」とのたまっていたカッパを着込んでいた。

 その後、たらたらした稜線を25分程だらだら歩いて池ノ岳山頂に到着。平ヶ岳山頂より、数倍こっちの姫ノ池をはじめとした高層湿原がきれいであった。で、ここでも木道の上で30分のお昼寝実施。

 10時半過ぎ、ガスが晴れる気配も無いし、寝てばかりいて体も冷えてきたので、やっと下山開始。登りと違って、重力に身を任せる下りはいつもながら早い。途中の15分程度の一本を含めて1時間20分程度で下山完了。12時には登山口に到着した。ここで、小屋の人が沢水で冷やしておいてくれたビールで乾杯。このルートの登山道はしっかりしていて、迷うところは無し。

 この日は、枝折峠で魚沼駒ケ岳を眺めて一年の秋合宿でバテた苦い思い出を噛み締めた後、折立温泉「湯元 大鼻旅館」に行く。そこでマージャンだけをしに東京から来た佐藤と合流。温泉と地元の素朴な料理、それと「持ち込み」の酒を満喫して、今年の同期会を終了した。

( 昭和41年の夏合宿、玉子石の上に寝転んで「恋の肢(?)それとも中の肢(?)」を遡行してくるパーティーを待ち続けた思い出がある:8期 佐藤 )

      玉子石の前で
平成16年OB会報NO35より抜粋