富士竹馬登山
33期 (平成6年卒) 星 征雅
 ふとしたことから、富士山を竹馬で登ってみようということになった。過去に何人か成功した人はいるようで、初登頂という訳には行かないが、ちょっとしたチャレンジである。

 ふもとから山頂を目指したかったが、時間の制約もあり、0合目馬返しから実行することにした。馬返しから山頂までは、距離10.3km、標高差2,280mである。歩けば何と言うことのない行程だが、竹馬ではどうだろうか。 企画に賛同してくれた会社の先輩が、装備一式をボッカしてサポートしてくれる事になり、出発点の富士吉田を目指した。

 9月17日(土)早朝、富士吉田から歩き始め、馬返しに着いたのが午前9時半頃である。 鳥居のお猿さんの像に挨拶し、竹馬で段差を登り始めた。しばらく林の中の坂道が続く。 時折、地面の柔らかい箇所を根元まで踏み抜き往生したが、次第に足を置く位置が定まり、スピードが上がった。登山客はほとんどおらず、時折、キノコ狩りの人と行き違う。 一様にびっくりし、何処まで行くのかと訊ねる。頂上までです、と答えると、更に驚かれる。「ギネスブックですか」との質問もあった。

 だいぶ上達したが、宿泊予定の5合目佐藤小屋に着いた時には陽が傾いていた。荷物を置き、6合目まで到達点を伸ばした。雲海に陽が沈む。 7合目、8合目の小屋が、上へ上へと続いている。ここから山頂までは直線距離で2kmもないが、今日以上のハードワークが予想される。

 9月18日(日)、4時起床。二日酔いか高度のせいか、頭が痛む。裾野に陽が昇る。今日もまた素晴らしい日和になりそうだ。整地された砂礫に、竹馬が心地よく食い込む。土よりも歩き易い。頂上まで行けるぞと言う確信が生れる。山中湖、河口湖を見下ろし、青々とした高度感に高揚を覚えつつ、地道に一歩一歩刻んでいった。 竹馬には自転車用のトゥークリップを装着している。つま先で持ち上げて登るのが、山スキーに似ているかもしれない。シーズン終わりだが登山客が多く、かなり目立っていた。声をかけられ、写真を撮られたのが、100回以上あったと思う。

          

 7合目入口の花小屋から振り返ると、来た道が一望できた。よくも登ってきたものだ。花小屋から日の出館へは岩場を避けキャタピラ道を進んだが、一歩ごとに崩れる悪路に泣かされた。進んだ足が沈みきる前に反対の足に体重を移さなくてはならない。新雪をラッセルしているような重労働で、体力が急速に消耗していった。さて、7合目出口の東洋館(c2900)上は、鎖場だ。人々の好奇の目の中、果敢に岩場に立ち向かったが、冷や汗の連続で、20mほど登った所で断念した。中断した区間は、標高差にして110mほどである。その先は、岩場を避けて須走の下山路への道を登った。既に昼近い。頂上までの標高は残り700m。冷静に判断すると、無理である。気力でペースアップできる道ではない。下山の事を考え、竹馬登山は、14時を制限時間とした。時間切れまで、全力を尽くすのみである。

 13時50分、須走口との分岐に出た。砂礫は一層荒く、傾斜はますますきつく、体力はますます少なく、どうにも登れなくなってきた。すぐ上に本八合目の富士屋ホテルと江戸屋が見えた。少し上に頂上も見えた。14:00、標高3340mで企画終了とした。不思議と口惜しさは無かった。燃え尽きていた。もう半日あれば間違いなく登れたと思うが、今回はこの限界を謙虚に受け止めることとした。

          

 せめて頂上は踏もうと、先行したメンバーを追いかけ、空身で竹馬だけ持って頂上を目指した。空気の薄い果てなき砂礫の坂道を、背丈より高い竹馬を担いで登る姿は、罪人が十字架を担いで行く姿を連想させた。9合目の鳥居でメンバーが待っていた。15:30だ。頂上は間近だったが、合流して下山道へトラバースした。

 下りはひたすら長かった。下山用の体力まで使い切ったのは、15年前の二次新以来である。日が没し、中秋の名月に白く浮かび上がる石畳を、竹馬を担いであえぎつつ、歩き続けた。

 登山中、「何のため?」という質問を受けた。「遊びです」と答えた。「トレーニング?」との質問もあった。確かに鍛錬である。尤も、筋力ではなく気力を試されたのだが。「竹馬の方がラクですか?」という無邪気な質問もあった。残念ながら竹馬に実用性は無い。竹馬が実用的に活躍できる場があれば、新たなチャレンジに取り組みたいと考えている。
平成17年OB会報NO36より抜粋