近況報告
7期(昭和43年卒) 金子 清敏

 食料調達はその味を分ち合える限りは楽しいことです。

・春先には、蕗の柔い葉を秩父の山里へ採りに行き、酢醤油で大鍋一杯ゆっくり煮しめ、1年分の嗜好品を作ります。

・夏半ばになると、軽井沢の麓へ赴き、成長している茗荷をトランクと後部座席一杯に収穫し、自宅の屋上を茗荷畑にし、毎度の食に合わせて茗荷を一杯盛り付けます。

・秋には、出張先の中国で柘榴、林檎、李を田舎通りで100円でガッポリ買付け、宿で仲間との酒覚ましに用立てます。たまには農薬か何かで下痢することもありますが ・・・

・冬は、恒例の自宅の柿取りです。然し、最近の肥沃した体調ばかりでなく筋力の衰えを思えばこそ、現実に老人の域に達したのかなと、枝にそっと足を掛けてはその感慨を深めたことでした。

 2年前に肩を壊して以来、ゴルフは中止、そろそろと思った矢先にアキレス腱を痛め、ここ3週間程は足を引き摺って苦労しています。そんな中で、先日自宅の柿取りをしようとしたら、冬の柿の枝はもろいので以前は足・手を使いバランス良く枝渡りできたのですが、今年は重い体重での枝渡りが、枝の折れる危険と枝と共に落ちる不安が目先をよぎり足を竦ませたのでした。

 今想えば沢登のできた昔が懐かしいことです。2000個以上実った真っ赤に熟した柿をそのまま放置してツグミの食料にするのも癪で、自分の成長と共に60年も育った柿の木の精に対して申し訳ないと謝りながら断腸の思いでノコキリで枝毎切り取り、その日の柿を収穫しました。来年は実りが少なくなりますが、また若枝が伸びて実をつけるようになれば、子供から孫へと柿の想いを伝えていくことでしょう。人は世代が代われど宿木はその代を朽木になるまで周囲を黙って見続けていきます。

 12月中はそんな事で会社の休みの度に、梯子を掛けて柿取りに精を出しています。収穫した柿を日向で女房と皮むきして荒縄で軒に並べます。吊るされた干し柿は、寒風にさらされて実をひきしめ、陽光を浴びては、1日1日飴色を濃くしてふくよかに育っていきます。

 9月には娘が嫁に行き、迎える正月は息子と3人になります。熟成した干し柿の家族一人当たりの食する割当てはこれからは増えていくことでしょう。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

平成17年OB会報NO36より抜粋