奥秩父・笛吹川東沢釜ノ沢 |
21期(昭和57年卒) 千田 敏之 |
● リーダー下痢で奥利根から奥秩父に変更 昨年(2006年)の夏は果敢に知床・サシルイ川を攻めた21期・22期有志パーティーは、昨年末からミーティングを重ね、手塚(22期)をリーダーに、今夏は利根川水系・水長沢を遡行する計画だった。5月にはプレとして奥多摩・川苔谷逆川(手塚、千田、石井、石川)、6月には奥多摩・大丹波川真名井沢(手塚、千田、石井、土屋)をこなし、川苔谷ではザイルワークの練習も行った。奥利根のボート会社・奥利根マリンの予約も済ませ、あとは列車に乗るだけのはずであったが……。 ジャカルタに出張していた手塚から「明日帰国するが下痢が始まった」というメールが入ったのは入山2日前の8月1日、翌日になると「帰国したが水様便止まらず山は無理」と泣きが入り、パッキングも終了し、休暇モードで出勤していた在日組は途方に暮れた。昨年、手塚はサシルイ川遡行後、大腿部が何かにかぶれて腫れ上がり、下山後、網走の皮膚科を受診するというおまけがついた。今年も入山前からやってくれた。(12月第1週からまたまたインドネシア〈バリ〉である。今度こそは下痢などせずに生還したい。その暁には、水長沢雪辱戦、再チャレンジを提案したい。まだまだ行けるだろう。手塚談) 奥利根に詳しい手塚なしで水長沢は困難と判断した。しかし、休みを取ったのに山に行かないのもしゃくだと考え、3人で幾度もメールのやりとりをした結果、計画を変更することにした。結局、5年前にも遡行して勝手知ったる(はずの)奥秩父の笛吹川東沢釜ノ沢に決定。メンバーは私(千田、21期)、石井(21期)、石川(22期)である。 ● 石井、蝉になる ―― それなりに危ない釜ノ沢 8月3日(金)曇り 大遠征でもないので昼前に自宅を出る。JR特急で12:54塩山着。昼飯を駅前で食べてからタクシーで西沢渓谷バス停まで入る。途中、夜が麻婆豆腐ということで豆腐を買って行く。14時ころから歩き出す。途中からハイキングコースを外れ、東沢の登山道へ。道は結構荒れており、一般登山者は入山禁止となっている。アップダウンが激しい沢沿いの道を約2時間で山の神。左岸にテンバがあり幕営。久々に焚き火を楽しむ。高野豆腐ではない本物の豆腐の麻婆は美味しい。 8月4日(土)曇り時々晴れ 7時50分より遡行開始。快調に遡行を続け10:20釜の沢出合い。ここから核心部に入り、魚止ノ滝、千畳のナメ、スラブ滝などを巻き中心で超えて行く。5年前は雨中の遡行で水量も多かったが、今回は水は適量でさほど困難もない。11:30、西俣、東俣が合わさる両門の滝到着。ちょうど日も差してきて夏の沢登りの素晴らしさを実感する。 両門の滝から東俣に入る。ここは東俣の滝の右側を踏み後に従って登って行く。7割方登ったところで傾斜が急になり、トレースが曖昧になる。確か5年前は藪の中をもっと大きく巻いたはずだと思いながら、滝の脇の急傾斜のスラブを登って行くと行き詰まった。落ち口まであと3〜4メートル。しかし、ちょっといやらしい。 |
両門の滝 |
千畳のナメ |
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平成19年OB会報NO38より抜粋 |