彷徨える湖への途
4期 (昭和40年卒) 小原 佑一
 現役時代、スウェーデンの中央アジア探検家、スヴェン.ヘディンの“さまよえる湖”を読んで憧れたロプノール、その後、そのロプノール付近で中国の最初の原爆実験が実施されたと報道されがっくりしたものの忘れられずに気になっていた地域です。

 今秋、ヨメさんサービスでシルクロードのパッケージツアーに参加しました。詳しい地図との照合が出来ず苦労しましたが、グーグルの衛星写真の地形から判別してしっかり予習しました。

 井上靖の小説で有名な中国甘粛省敦煌の町を出て西へ。トラックの行きかう国道215号線を離れてからは、人っ子一人住んでいない荒地の中の一本道を北西に約100kmを行ったところに、昔シルクロードを通って中国に出入りする宝玉を監視していたという関所、玉門関の遺跡があります。鉄柵で囲まれた大きな箱のような四角い遺跡が潅木(タマリスク)の生えた荒地のかなたに望まれ、近くには観光客のためのレストラン、トイレ、宿泊施設が一棟、少し離れた高台には人民解放軍の立派な建物やアンテナが建っていました。そこからさらに西へ80kmほど人民解放軍の基地に沿って進むと敦煌「魔鬼城」 雅丹国家地質公園に着きます。ここは2001年中国政府によって観光地として指定、一般に公開されました。

 ヘディンの文にヤルダンという言葉やスケッチがよく出てくるのですがなかなかイメージをつかめませんでした。漢字で書くと“雅丹”でウイグル語の壁のようになった風蝕された小高い土の丘のこと。夜にこのヤルダンの間を吹きぬける風が魔王や鬼のうなり声のように聞こえることから“魔鬼城”とも呼ばれるそうです。

 1934年暮れ、ヘディンら一行はこのあたりで桜蘭を通過する昔のシルクロードを参考にロプノールへの通行可能なルートを探っていた。

「塩分を含んだ泥土が乾燥して煉瓦のように堅くなり、ほぼ半メートルくらいの高さの脊梁を形づくっている。これはあらゆる輸送手段を、徒歩旅行者さえも手ひどく痛めつけるものであって」
「地面は南西と西に行くほどやわらかくなります。自動車は結局どうしようもなくて、石膏を含んでいてしまりのない微細な砂塵にもぐってしまったので、引き返すよりほかなかったのです」


 さて、今、この地質公園の資料館/事務所からアスファルト舗装の一本道がまっすぐ西に延びています。この道を行けばロプノールに到達できる! ガイドの説明では四駆を連ねてツアーを組んで行った人たちもいるようです。しかし、現在は楼蘭などの遺跡保護のためロプノール地域への立ち入りは非常に厳しく制限されているようです。新彊ウイグル自治区の詳細な地図とグーグルの衛星写真を見ながらヘディンの本を読み直しています。

「彷徨える湖への途」極細フェルトペン/水彩
平成19年OB会報NO38より抜粋