黒部源流をたっぷり遊ぶ
21期(昭和57年卒) 千田 敏之

● ピークを踏まない通好みのルート
 毎年夏の間だけ沢登りを楽しむ21 期、22 期パーティーは、2004 年に引き続き北アルプス・黒部源流の沢歩き山行を行った。その前のプレは、宮城・大行沢、奥多摩・川苔谷などを遡行した。

 さて、前回の4 年前は、赤木沢を遡行しきって尾根に上がり、黒部五郎から水晶、湯俣という超ハードなスケジュールであったので、今年は黒部を満喫するために、ピークを全く踏まない通好みのルートを組んだ。

 ちなみに、私(千田、21 期)は1980 年のTUWV 夏合宿で今回も同行した石川(22 期)、手塚(22期)らと立石からの奥の廊下を遡行している。その時、高天原温泉に入ったのだが、高天原温泉の28 年ぶりの再訪も今山行の一つの目的であった。

● 秘密のテン場で岩魚釣り
 メンバーはPL 千田(21 期)のほか、冨士原(21 期)、石井(21 期)、土屋(22 期、現TUWV 副部長)、石川(22 期)、手塚(22 期)の6 人。7/31 の夜行「北陸」富山に向かう。8/1 早朝に富山着。赴任地の広島から既に富山に先着していた冨士原と合流、折立行きの急行バスに乗る。

 折立から太郎平小屋までは4 年前は皆バテバテであったが、今年は涼しく楽勝。4 時間ほどで到着しL。その後、薬師沢を目指して尾根を下る。40 分ほどで沢に出て薬師沢小屋に向かうが、我々はテント持参、薬師沢小屋は幕営禁止ということで、いつもの薬師沢右俣・左俣出合い近くの「秘密のテン場」(2 張はれます)に向かう。

 ここは薬師沢小屋手前1 時間ほどの地点から登山道を外れて薬師沢に下りたところにある。テン場の目の前で岩魚が釣れるまさに別天地。15 年ほど前に私(千田)が見つけ、以降、利用させてもらっている。この日も全員で20 匹余りの岩魚を釣り、「やっぱり黒部だね」と言いながら皆で酒を酌み交わした。


● 赤木沢出合で流しソーメン
 翌日(8/2)は一旦登山道に戻り、薬師沢小屋までまず下りる。ここから黒部源流に入る。源流一帯は幕営禁止なので、小屋の従業員による源流に入ろうとする人間のチェックが意外と厳しい。我々はウサギ平か祖父平の幕営を予定しているのだが、小屋の従業員から「どこまで行くの?」と聞かれた場合の答えを事前に用意していた。案の定呼び止められたが、冨士原が「赤木沢を登り切ります」とさらっと答えて事なきを得る。

 この日はまさに黒部日和とも言える最高の天気で、快適な沢歩きを堪能した。赤木沢出合で流しソーメンのL。手塚が考案した、「タマネギ入れの網」に茹で上がったソーメンを入れ、流水で冷やす方法が大成功。皆の賞賛を浴びる。その後は千田は岩魚止めプールで岩魚釣り(10 匹爆釣)、その他は赤木沢遡行(大滝手前までピストン)と分かれる。2 時間後再び赤木沢出合で合流し、遡行を再開、祖父平まで行き幕営。

● パーティー分裂
 翌日(8/3)はパーティーが分裂した。翌日から仕事の冨士原と、懸案の西鎌尾根から槍ヶ岳を目指したい手塚の2 人が5 時に出発、源流遡行に向かった。2 人は双六小屋まで一緒に行き、冨士原は新穂高温泉に下山、手塚はその後、槍、穂高の縦走を完遂して8/4 に無事下山した。なお、源流は雪渓が残っていていやらしいところもあったそうだ。

 さて残された4 人は祖父沢を遡行、雲ノ平に上がりテントを張って空身で高天原温泉に向かった。露天風呂につかり、女性レンジャーの裸もチラリと楽しんで、再び雲ノ平のテン場に戻ったのだが、さすがに10 時間近くの行動時間に疲れ果てて、酒もあまり飲まずに眠った。

● 嵐の中の下山、そして……
 最終日(8/4)はあいにくの悪天であった。雨の中、雲ノ平から三俣蓮華、双六と縦走、その後、新穂高温泉に下山した。この日もやはり10 時間近くの行動時間、それも嵐の中とあって、精神的にも肉体的にもきつい1 日であった。温泉を楽しんだ後、タクシーでそのまま松本へ。松本で反省会をし、土屋は長野新幹線と東北新幹線を乗り継いで帰仙、千田、石井、石川はあずさで帰京した。

 なお、あずさ号組は大雨で中央線が止まってしまい、結局4 時間遅れ、八王子着が0 時半、立川着が0 時40 分。JR にタクシーを手配してもらったものの、家に着いたのは全員2 時、3 時であった。前日雲ノ平のテン場の起床が4 時なので、なんと23 時間行動という悲惨な1 日となった。

 それぞれが、それぞれの黒部と北アルプスを楽しんだ今回の山行。30 年近い山の付き合いがあったからこそ完遂できた計画だったと言えるかもしれない。しかし、われわれもそろそろ50 代。連日の10 時間行動はそろそろ見直さないと……。

平成20年OB会報NO39より抜粋