山のデジタル化
4期 (昭和40年卒) 小原 佑一
 ワンゲル50周年のために現役時代の資料を探していたところ。8枚の大きな写真が出てきました。これは当時,ほとんど資料のなかった二口の沢や薮の尾根を歩くために購入した秘密兵器でした。太平洋戦争直後の1947年に占領軍がB29を使って測量用に撮影した空中写真(航空写真)の密着印画です。[写真1]

 昭和30年後半になって一般でも購入可能になり,二口周辺の写真を手に入れました。同一飛行コースの隣り合わせた二枚の写真を自作の立体視眼鏡で覗き,尾根や沢を確認しながら,詳細が省略された当時の5万分の1の地形図を修正して山に入っていました。仙台神室の南、笹谷街道との間に入り込んでいる仙人沢の大滝や表磐司の上を糸岳から熊の平を通って下っていく薮の稜線等複雑な地形を立体視して、行きたくなって現地を確認してしまいました。

 それが今ではグーグルで簡単に衛星写真を見る事ができます。しかし、私が当時見た様なインパクトのある立体画像を見る事はできません。現在市販されている地形図の精度も2万5千分の1になって格段に上がりました。

 当時,水の沸点から高度を測定する方法が知られており,時間のあるときは試みておりましたが、私が最初に手にしたデジタル登山用品は気圧を利用した高度計でした。ヒマラヤ遠征でも使われた目覚まし時計くらいの大きさでした。それが腕時計に組み込まれ,更に電子式のコンパスも組み込まれました。ただ、しんどい登りでばてた時、“高度を知って,まだこれしか登っていないのか!”と判ったときはドーッと疲れが増します。

 戦前,北朝鮮の白頭山に厳冬期初登頂したパーティーは位置確認のため航海に使う六分儀を使ったそうです。今では複数の測地用の人工衛星からの電波を利用した全地球測地システム(GPS)を利用したハンディーな位置確認装置が市販されています。

 今夏,モンゴル西部の草原に行ってきました。その時どこで写真を撮ったか撮影位置を特定するためにカメラにGPSを付けていきました。まだ国内にはなかったので台湾製のシステムを米国のネット販売で購入して持って行きました。[写真2]

  
            【 写真1 】                 【 写真2 】

 帰ってきて記録されている写真の緯度・経度データで撮影位置を確認するためグーグルマップ上で表示してみたのですが何も出てきませんでした。それもそのはず、モンゴルはほとんどが草原なので地図上では白紙のままです。国道だって地方に行けば車の轍がわずかに残されているだけです。人が定住している集落は何十キロに一つ、地図が空白なのは理解できます。グーグルの衛星写真からだと周囲の地形や轍の後から撮影位置を確認することが出来ました。撮影場所はこの衛星写真中央の北緯49°39分05秒、東経92度18分43秒でした。[写真3、4]

 【 写真3 】
 【 写真4 】
 ワンゲル50周年記念山行の後、宮下さんに車で北泉の裏側、桑沼の先まで送ってもらい、すばらしい樹林の氾濫原を散策しました。縄文時代、ブナの林が動物に餌を供給し、その動物を狩りすることで生活が成り立ったと、この地域を縄文の森(道)として保護しているそうです。樹林帯で見通しは利かない、デレッーとして目だった高低のない地形で位置の特定が非常に難しい場所です。ワンゲルに入って最初の山行、この付近の残雪の樹林帯でルートを失い、同じ場所をぐるぐる歩き回るリングワンデリングをやって桑沼に行きつけず引き返した経験があります。今回は帰ってきて撮影した写真のGPS データから正確な位置を特定することが出来ました。[写真5、6]

    
               【 写真5 】                  【 写真6 】

 利根川の源流、水長沢の源頭近く(水鉛沢)に気になるポイントがあります。今から66年前、私が誕生する十日前にブナの木に刻まれた鉈目です。水長沢から平が岳に何度か登りましたがその度に“先輩!”といって再会を楽しんでいました。ここ何十年も行っていないのでそのブナの木はどうなってしまったか?当時GPSデータ付の写真が撮れていれば ・・・・・ と懐かしく古い写真を眺めています。
平成20年OB会報NO39より抜粋