20期〜22期 夏合宿(森吉山)、秋合宿(剣岳)報告
22期(昭和58年卒) 石川 勤

 第1回プレ 4/11(土)高尾山
清滝駅→高尾山→陣馬山→市道山→臼杵山→荷田子(瀬音の湯)
約25キロのロングコース。南極観測隊に行くことになった土屋教授の「トレーニングで長い距離を歩きたい」希望を叶えるため計画。8:30集合 9時から歩き始めて17時30分着。
メンバー 21期 冨士原康浩 石井篤 千田敏之 22期 手塚和彦 土屋範芳
26期 伊田浩之 北村健太郎 ゲスト 川口達也(千田の同僚。東北大(理)80卒)

 第2回プレ 6/7(日)奥多摩シダクラ沢
惣岳バス停→シダクラ沢→C1128→御前山→境橋バス停
メンバー 21期 石井篤 千田敏之 22期 手塚和彦 石川勤

 第3回プレ 6/20,21 谷川岳
1日目:土樽駅→茂倉新道入口→矢場ノ頭→川棚ノ頭→茂倉岳避難小屋(泊)
2日目:避難小屋→茂倉岳→一の倉岳→オキの耳→トマの耳→天神平→土合
メンバー 21期 千田敏之 22期 石川勤

 第4回プレ 7/18,19 立山(本当は剣岳のはずだったが悪天候のため)
1日目:富山駅→室堂→剣沢(テント泊)
2日目:剣沢→別山→立山→室堂
メンバー 21期 冨士原康浩 22期 石川勤

 夏合宿 8/7(金)〜8/10(月)
1日目:あにマタギ駅→森吉山→避難小屋
2日目:避難小屋→森吉山→ヒバクラ岳→割沢森→クマゲラ保護センター(泊)
3日目:クマゲラセンター→桃洞滝→トウド沢赤水沢源頭→兎滝→赤水峠→玉川温泉(泊)
メンバー 20期:岩屋淳 21期:冨士原康浩 石井篤 千田敏之 22期:手塚和彦 石川勤

 秋田内陸縦貫鉄道あにマタギ駅に12時着。森吉山までの道はあまり踏まれていない様子。思ったより時間がかかる。夕方ピーク近くで熊に遭う。笛を吹きまくる。避難小屋は快適。2日目は森吉山からヒバクラ岳を過ぎるあたりまでは良い道で日光キスゲが咲いて広々しているが、割沢森付近はかなり藪に近い箇所もある。一同不機嫌になる。全く人には会わない。昼過ぎより雨になりクマゲラ保護センター(無人)で雨宿り。たまたま来ていた慶応のワンゲルがセンターに泊まるとの事で、我々も泊まる事にした。夕方巡回の人が来たが黙認してもらう。学生には申し訳ないが夜酒を飲む。

 3日目は気持ちの良い沢歩きで、登りの桃洞沢、下りの赤水沢ともに信じがたいことにずっとナメになっていてゴーロ歩きは皆無であった。独特の形をした桃洞滝手前から入谷。高度感のある男滝を慎重に登りナメを歩き続け、細くなって水が切れると分水嶺となる。赤水沢へ下り始めるとすぐにナメとなる。沢を忠実に詰めれば藪は無い。ウサギ滝はザイルを出して懸垂下降した。そこからしばらくすると赤水峠に行く沢との分岐に出る。ザックをデポした桃洞沢出会いに戻る。この間もずっとナメである。沢中で素麺を食べていると雨になる。毎日午後になると雨が降る。赤水沢から赤水峠への道は、国土地理院の地図では道になっているが実はナメ沢である。沢を上り詰めると道に出る。ここから玉川温泉までは1.5時間の林道歩き。途中森吉山登山口の標識があるが、この標識から入山すると迷うであろう。そういえば「遭難します。注意しましょう」の標識が赤水峠にあった。

 玉川温泉で一泊して翌日帰る。盛岡で焼肉、冷麺で反省会。



 秋合宿 9/19(土)〜21(月)
1日目:富山→室堂→剣沢(テント泊)
2日目:剣沢より剣岳ピストン
3日目:剣沢→別山→内蔵助平→黒4ダム→大町
メンバー 21期:冨士原康浩 石井篤 千田敏之 22期:手塚和彦 石川勤

 剣岳・点の記という映画が話題になり、ブームに流されやすい我々メンバーも今年は剣に行くかという機運となっていた。前日の夜行急行能登で朝富山着。地鉄、ケーブル、バスを乗り継ぎ室堂へ。途切れることのない集団の中で雷鳥沢を登り剣沢に下る。テン場は200張り以上の大賑わい。早い時間から酒を飲んでダラダラする。

 翌日は早起きして剣ピストン。(本来の計画ではこの日は剣のあと真砂沢まで剣沢を下り、さらに翌日池の平、仙人池をピストンし内蔵助平から黒4まで行く予定であったが、いつものことではあるが飲みながら計画を縮小した。)頂上直下のカニの縦這いで渋滞。天気は3日間とおして雲ひとつない快晴。ピークでのんびり景色を眺め下山。30分ぐらい後ろを歩いていた人がカニの横這いで転落して亡くなったらしい。この日も昼過ぎにはテン場に戻り昼寝。夜酒を飲む。21期の3名は更に計画を縮小し、内蔵助平には行かず室堂から下山を決意。(もともと行く気はなかった。靴づれで歩けない。など理由様々)


 3日目、別山の登りでパーティを分ける。手塚、石川は内蔵助平に向かう。小屋で道の状態を聞くと、崩壊している箇所に注意する事、熊に気をつける事の2点を言われた。急で歩きにくい下り。内蔵助平は広々した草原を想像していたが、身を没するような草であった。夏に熊に会った事、千田氏が奥多摩で熊に遭った事を思い出し、笛を吹きながら下る。内蔵助谷出会いで無人の緑のテントを見た。前日の夜下山途中に転落死した人の物であろう。長い急な下りで黒4についた時には疲れきってしまった。年々体力が落ちているようだ。来年はどこに行けるやら。

 最後に森吉の美しい森の写真を。

平成21年OB会報NO40より抜粋