20期〜22期 夏合宿(森吉山)、秋合宿(剣岳)報告 |
22期(昭和58年卒) 石川 勤 |
第1回プレ 4/11(土)高尾山 |
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秋合宿 9/19(土)〜21(月) 1日目:富山→室堂→剣沢(テント泊) 2日目:剣沢より剣岳ピストン 3日目:剣沢→別山→内蔵助平→黒4ダム→大町 メンバー 21期:冨士原康浩 石井篤 千田敏之 22期:手塚和彦 石川勤 剣岳・点の記という映画が話題になり、ブームに流されやすい我々メンバーも今年は剣に行くかという機運となっていた。前日の夜行急行能登で朝富山着。地鉄、ケーブル、バスを乗り継ぎ室堂へ。途切れることのない集団の中で雷鳥沢を登り剣沢に下る。テン場は200張り以上の大賑わい。早い時間から酒を飲んでダラダラする。 翌日は早起きして剣ピストン。(本来の計画ではこの日は剣のあと真砂沢まで剣沢を下り、さらに翌日池の平、仙人池をピストンし内蔵助平から黒4まで行く予定であったが、いつものことではあるが飲みながら計画を縮小した。)頂上直下のカニの縦這いで渋滞。天気は3日間とおして雲ひとつない快晴。ピークでのんびり景色を眺め下山。30分ぐらい後ろを歩いていた人がカニの横這いで転落して亡くなったらしい。この日も昼過ぎにはテン場に戻り昼寝。夜酒を飲む。21期の3名は更に計画を縮小し、内蔵助平には行かず室堂から下山を決意。(もともと行く気はなかった。靴づれで歩けない。など理由様々) |
3日目、別山の登りでパーティを分ける。手塚、石川は内蔵助平に向かう。小屋で道の状態を聞くと、崩壊している箇所に注意する事、熊に気をつける事の2点を言われた。急で歩きにくい下り。内蔵助平は広々した草原を想像していたが、身を没するような草であった。夏に熊に会った事、千田氏が奥多摩で熊に遭った事を思い出し、笛を吹きながら下る。内蔵助谷出会いで無人の緑のテントを見た。前日の夜下山途中に転落死した人の物であろう。長い急な下りで黒4についた時には疲れきってしまった。年々体力が落ちているようだ。来年はどこに行けるやら。 最後に森吉の美しい森の写真を。 |
平成21年OB会報NO40より抜粋 |