K2・バルトロ氷河 トレッキング
5期 (昭和41年卒) 八木 眞介

 これは、昨年のトレッキングの報告です。このトレッキングは、成田からイスラマバードへの飛行機が大幅に遅れたうえ、貨物室の故障で荷物を乗せらないというとんでもないハプニングで始まった。その荷物は次の3日後の便で運ぶとのことで、成田のカウンタ前で急遽スーツケースを開け、寝袋等のとりあえずのトレッキングに必要なものを手荷物として持ち込む羽目になった。

 イスラマバードから基地となるスカルドへは8000m峰ナンガパルバットを見ながらの飛行、そこからトレッキング開始地点のアスコーレには小型ジープで移動した。このアスコーレへの道は険しい断崖絶壁に作られた小型ジープがやっと通れるような非常に荒れた狭い道で、怖かった。 トレッキングは、行きが休養日1日を含めて8日、そのうちパルトロ氷河上に4日、目的地コンコルディアで1日滞在、帰りは全5日という日程のトレッキングであった。1日の行動時間は、ネパールのトレッキングと比べて全体に長めである。

 氷河上に行くまでの道はきわめて乾燥しており、砂塵で景色がもやがかかったようになり、テントの中が砂だらけになるという状態であった。氷河末端の手前で1日休養(ポーターの為の休養とのこと)後、バルトロ氷河に入る。バルトロ氷河は表面が岩や土で覆われていて白い表面ではないということは聞いていたが、想像と違って無数の50mを越えると思われる小山が氷河の表面を覆い尽くしており、荒れた景観を見せていた。その中に大きな陥没の池、融けた水の流れる川、クレパス等が点在する。上流部では氷河上にセラック(氷塔)が現れ、様々な見ごたえのある景観を作っていた。

 氷河の両側の手前の山々には、塔状の岩峰や尖峰が多い。特に氷河の右岸には、見事に天空に突き出たトランゴタワー、大聖堂の名を持つカシードラル、7284mのムスターグタワー等々の岩峰群が続き、特異な景観を作っている。左岸は、マッシャーブルム(7821m)がひときわ大きくそびえ、さらに雪の壁や尖峰の奥に氷河を抱いた白い峰々が次々と現れてくる。

 氷河の正面はガッシャーブルムで、8000m峰であるT峰とU峰は、それぞれX峰とW峰の陰に隠れて、かなり離れた特定の場所からしか見えないが、W峰、X峰、Y峰はずっと見えている。氷河上を進むにつれて、セラックの数も増え、様々な形で面白い。目的地のコンコルディアに近づくと、まずガッシャーブルムの左に8051mのブロードピークが姿を現し、さらに進むとお目当ての世界第二位の高峰K2(8611m)、右にはバルトロカンリ(7274m)、白い大きな壁を見せるコンダスピーク(6756m)等の山々が一気に展開し、まさに感激の瞬間であった。

 コンコルディアは、標高4650mで、北と南からの2つの大きな氷河が合流して西への流れに変わる地点である。その入口の両側にマーブルピークとミートルと言う2つの尖峰が門のように立ち、歩いてきた正面にガッシャーブルム山群、左(北)に2つの8000m峰K2とブロードピークが並び、右(南)にバルトロカンリ、コンダスピーク、ビネピークが並ぶ。来た方向の下流の峰々を含めて、360°の極めてスケールの大きい、素晴らし景観の場所である。到着した日とその翌日の滞在日は好天に恵まれ、この景観を存分に楽しむことが出来た。ここまでの行程は決して楽ではなかったが、その苦労がすべて報われた思いであった。ただ、コンコルディアでの夜は約−10°以下に気温が下がり、−15°まで可という表記の寝袋で、持っていったものすべてを着込んで寝ても、寒くてよく眠れなかった。下の方では暑くて苦労したのと比較して、その差は想定を越えたもので、自然の厳しさをあらためて感じた次第であった。

 雨・雪の日も多かったが、トレッキングは順調に終わり、回り道をして風の谷のナウシカのイメージが生まれたといわれるフンザを経由して、イスラマバードに戻った。ところが、帰りの飛行機に乗る前に夕食を食べたマリオットホテルが1週間後に爆弾テロにあったというニュースを見た時は、自分がどんな所に行っていたかを、改めて考えさせられた。

トランゴタワー
マッシャーブルム
K2
平成21年OB会報NO40より抜粋