訃報


平成21年3月5日、7期の 斉藤洋三さん がご逝去されました
慎んでご冥福をお祈りいたします


斉藤洋三さんを偲ぶ           7期(昭和43年卒)上田 俊朗
 7期23名は卒業後40年間誰一人欠けることなく職場で活躍し、そろそろ第二の人生を謳歌する人も出てきた中、今年3月5日斉藤洋三君が亡くなりました。彼は卒業と同時に日本鋼管に就職。長く福山で勤務し、役員退任後自宅のある横浜に戻り、酒とタバコを楽しみながら奥様と悠々自適の生活を過ごしておりました。同期会にも参加し、元気な姿を見せていました。

 今年の3月5日、珍しく娘、息子さんも交えた夕食をとり、くつろいだ後入浴。なかなか風呂から出てこないので様子を見に行くと風呂の中でぐったりとなっていたそうです。死亡診断は心不全。葬儀がすんだ後でしたが5月10日に同期6人、23日に6人が自宅に弔問に行き慰めにもなりませんでしたが奥様と思い出話しをして参りました。

 今年の同期会は乗鞍高原で行いましたが、参加者一同で洋三君の冥福をお祈りいたしました。
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斉藤洋三さんを偲ぶ          7期(昭和43年卒)金子 清敏

 未だ洋三さんと飲んだ東京の飲み会、今年1月に新年会催促での彼の電話の声が未だ残っています。常温の酒を肴少なくして静かにグイグイ飲む姿は、往年のNKK福山野球部部長の凛々しい姿を現しておりました。然し、その役職も終わって横浜の自宅に戻り、一人散歩で何もしない(町内会の当番はあったものの)老人佳境に少々疲れが出たとこぼしておりました。何かしにゃか・・・・・と。

 体型からすれば丸々としていいはずの腕が老人の細さになっていたことと、晩年の自宅の酒がウイスキーに代わっていたことが、”おい金子、酒で害しても死ぬときはやってくるんだ。俺は酒をやめない。肝臓の数値なんて気にするな”と言ったことが、彼の訃報が伝えられたとき、真っ先に過ぎったのでした。心不全に至るまでに相当心労が溜まっていたことでしょう。

 外に出て対話して英気を吸収し、脳と身体を活性化しましょう。

平成21年OB会報NO40より抜粋