幾久会(4期 ) 45周年同期会
4 期 (昭和40年卒) 平塚 征英

 第4期( S40卒)は卒業時には19人だったが、今年3月に久保田信昭君が亡くなり、以前から連絡が取れなかった伊勢と二人が欠けて17名になってしまった。

 幾久会45周年同期会は、伊豆熱川温泉ホテルセタスロイヤルで平成22年10月5日に開催した。首都圏で集まるのは、新橋亭の新年会と有志数人が集まる位で、東北以外での同期会は初めてだった。山から海になったのも初めて。

 同期会は、10周年の泉ヶ岳、20周年の秋保温泉、25周年の宮城蔵王、30周年の作並温泉、35周年の鎌先温泉、40周年の須川温泉、ワンゲル創立50周年に合わせた43周年の上ノ山温泉と今回で8回目であった。皆勤賞は八木一人だけ。参加者は、司会役の秋葉が前日にキャンセルとなり、及川・小原・島崎・白井・関川・竹井・野村・平塚・緑川・八木の10名となった。

 ホテルはテレビドラマ細腕繁盛記にゆかりがあるとかだったが、名前のように洋風のホテルで、大露天風呂の他に温水プールもあるようだった。関川と二人でチェックインタイム15時前にホテルに着くと、伊東からの白井が既に来ており、小原の車があり自転車でどこか走っているようだった。

 宴会前・二次会用の酒を近くの酒屋で買って帰ると、既に数人が到着しており、それからは、温泉に入り、缶ビールを飲みながらの歓談となった。

 全員の記念写真を撮ってから、平塚の司会で宴会が始まった。最初に久保田信昭君と同じ下宿だった関川から故人のエピソードが紹介され、皆で黙祷をささげた。

 今回は伊豆海岸の美味しい魚料理を楽しもうと少し高めのコースを選んだ。アワビの踊焼き、金目鯛、伊勢海老など、年金生活者には少々ゼイタクな料理を堪能した。

 近況報告では、年相応の病気・怪我、健康、趣味、マゴの話など色々あった。骨折治療のチタンのボルト・フルートや奥様が短歌集を出すこと、おマゴさんのこと、森林インストラクターや前立腺ガンのこと、遺言状や八戸のこと、アルゼンチンへ恩師を訪ねイグアスの滝にも行ったこと、リウマチ博士で明日は歩けるか? 30歳までは内からの病でそれ以後は怪我・クマにかじられたこと、一応は高血圧もある・野菜作っていること、108も叩く大病? をしたこと、γ GTPが1200にもなったこと、等々だった。二次会は幹事部屋で持込みの酒で。色々と話がはずみ、明日の観光があるもののお開きは23時近かった。

 次回は、幹事は野村で・2年後・九州で集まろうと決まった。それにしても皆さんの酒量が減ったことは確かなようで、ノンベエ幹事が準備した酒はかなり余り、これが翌日の昼飯代に変わった次第。



 二日目は大室山と城ケ崎海岸の観光で、天城連山の一人歩きを楽しむ島崎と、車で帰る小原を除く8人は、電車と路線バスを利用してのんびり歩いた。

 大室山は標高581m の噴火山で、丁度お椀を逆さまにしたような美しい姿の山だ。歩いての登山は禁止なので、リフトを利用して頂上まで約5 分だった。頂上のお鉢回りは約20分で、遠足の小学生や中国の観光客が結構沢山来ていた。

 素晴らしい好天に恵まれ、頂上からは伊豆の海や天城連山などが眺められた。残念ながら富士山は霞んでよく見えなかった。

 予定よりかなり早かったので、昼食前に城ケ崎海岸へ先に行く事とし、路線バスで伊豆海洋公園まで行った。門脇吊り橋までは、遊歩道で約20分とのことだったが、標準的な時間ではキツイと感じる年代になったことを実感した。城ケ崎海岸は絶壁が連なり、深く入りこんだ岩礁、岬から岬へ続く眺めは素晴らしかった。関川はここでも皆さんの荷物当番をやってくれた。

 昼食は伊豆高原駅ビルの金目鯛が人気の食堂で、ゼイタクな食事の総仕上げを行った。伊東駅で実家へ帰る白井と別れ、小田原駅で次回の再会を約束して解散となった。

平成22年OB会報NO41より抜粋