再び垂直の大岩壁へ(クライミング@ドロミテ)
8期(昭和44年卒) 佐藤 拓哉・良子
 「すご〜い!」・・・ドロミテの中心に位置する小さな村、セルバ・ガルディナに降り立った時の言葉は、2年前と少しも変わらなかった。背後に垂直の岩壁が屏風のように聳えているこの美しい村を再び訪れることができたことに感動を覚えた。

 イタリア北部に位置するドロミテとは、長野県に匹敵する広い山域に広がる山の総称であり、垂直の大岩壁や岩塔など石灰岩特有の山容が、「世界で最も美しい山」と言われている。ドロミテの中心地であるコルチナ・ダンペツォは、1956年の冬季オリンピックの回転競技で、猪谷千春がトニー・ザイラーに次いで銀メダルを取ったところであり、日本にとって思い出深いところである。ドロミテの北はオーストリア国境であり、やはりオリンピックが開かれたインスブルックはすぐ近くである。

 初日は、セラ山群のNo.1 & No.2タワーと呼ばれる岩塔(15ピッチ)を登った。セルバからセラ峠まで車で30分、そこからきれいな草原を20分ほど歩くと、もう取付きである。取付きの辺りの岩の間には、ところどころ可憐なエーデルワイスがまだ咲いていた。このタワーは2年前にも登ったが、今回は別のルートを登った。ほぼ垂直の壁が続く岩塔のクライミングは、開放感があり、気持ちがよい。なんと言っても、しびれるような高度感がたまらない。

 二日目は、コルチナ・ダンペツォの近くまで遠出し、ファルツァレーゴ峠の近くの山に向かった。岩壁の基部の緩い草原を登っていくと、岩壁のところどころに穴があいている。実は、これは第一次世界大戦の時にオーストリア軍がトンネルを掘って作った地下要塞の窓とのことである。足元の土の中からは、今でも鉄条網の残骸が顔を出している。思わぬ歴史を垣間見ることができた。今日のルートは急峻なカンテであり、下から見上げると鋭いタワーに登っていく感じである。あまりのカッコよさにワクワクしてしまった。峠から見た時は小さい山のように見えたが、周りの山が大き過ぎるためであり、結構登りごたえのあるルートであった。登リ切ったところは、十字架の立つ頂上であった。岩壁の反対側はなだらかな稜線になっており、深い塹壕が延々と掘られており、山全体が要塞になっていた。思わぬところで歴史跡を見ることができ、興味深かった。

 三日目は、泊まった村の近くのガルディナ峠に車を置き、目的の岩壁まで、景色のいい草原を歩いていった。今日は大きなフェースと凹角の組合せであり、比較的レベルの高いルートであった。特に、最後の垂直の凹角のクラックには手強かった。垂直に近い壁の連続を、谷を挟んで聳えるセラ山群の雄大な岩壁を眺めながらのクライミングは楽しいものであった。登り終った後、素晴らしい景色を見ながら1時間ほど稜線をハイキングして峠に戻った。

 最後の日は、再びファルツァレーゴ峠まで足を伸ばし、今度は二日目と反対側の山を登った。こっちにも要塞跡があり、イタリア軍が作ったものである。峠を挟んで長い間対峙したということであったが、この素晴らしい自然の中でそのようなことが現実にあったとは俄には想像しがたい。日曜日のため多くのパーティが来ていた。今日のルートも人気ルートらしく、何パーティも入っており、ロープを交差させながら、入り乱れてのクライミングとなった。このような登り方は日本ではとても考えられないが、そのお陰で、他のパーティとも話をすることができた。我々が追い越した二人パーティは、エバラのイタリア工場でポンプを造っているということであり、余計に親近感が湧いた。

 今回は自炊のできるアパートタイプのプチホテルに5泊した。木を贅沢に使った部屋が二つとキッチン、広いエントランスホールとバスルームが整い、四人家族がゆったり過ごすことができる快適な部屋であった。玄関ホールにカップが数多く飾ってあったが、オーナーが、ワールドカップのイタリア代表スキヤー時代に勝ち取ったもののようであった。長野オリンピックにはコーチとして来たと言っていたが、今は気のいいただのおじさんになっていた。

平成22年OB会報NO41より抜粋