ウスユキソウ
4期 (昭和40年卒)大東磐司こと小原佑一
  2011年3月11日、自宅でテレビを見ていた時、緊急地震速報が鳴りすぐ激しい揺れが来た。「ついに来たか」とテレビを支えて身構えていた。我が家は5年前に建て替える時、宮城県沖地震に備えて免震構造にしていたので不安はなかった。それなりには揺れたが、物が落ちることもなく、壁にクラックも入らなかった。携帯で家族に連絡を取りながら外に出た。火事や家屋等の倒壊がないか町内を歩き回った。瓦やブロック塀が壊れた家はあったが、家屋の火災も倒壊も町内には無くほっとした。家内や娘も夜には無事歩いて帰宅し、一安心した。

 この日から暫くは窮乏生活が始まったが、旧式の石油ストーブと卓上ガスコンロが役立ち、洗い水は天水と沢水を使い、不便ではあるが不安はなかった。知人・友人からはメールや電話でお見舞いを、また食料品も送っていただき非常にうれしかった。電気が回復し大震災の被害の大きさを知るようになると、自分にできることで支援しようという気になってきた。仲間の安否確認や生活物資の情報交換、食品や水のおすそ分け、近隣や友人宅の瓦礫撤去等々できることをした。男厨会の仲間とは、避難所での炊き出しをおこなった。合唱団の仲間とは、チャリーティーコンサートを開いて義援金を募った。シルクスクリーンの仲間とは、Tシャツに陸前高田の「希望の一本松」を144枚摺って販売し、21万円をユネスコを通して親を亡くした子供たちに使ってもらうようにした。

 ワンゲルに入部した年の夏合宿は飯豊・朝日連峰の縦走でした。新人である我々1年生は飯豊か朝日、どちらか一方の縦走でした。半世紀前の話です。梅雨が明けていない7月上旬、雨と霧で見通しの利かない飯豊の稜線に出て、気になったのがヒナウスユキソウでした。エーデルワイスに似ていると聞いていたヒナウスユキソウが霧の中で咲いていました。葉の部分の白い綿毛がそれほど密でなかったので、「何だ、こんなもんなのか!」と言う、ちょっとさめた印象でした。当時の写真を捜してみましたが花の写真は見付かりませんでした。

 スイスでエーデルワイスの押し花の飾りをお土産に買いました。色があせてしまいましたが綿毛はたっぷり付いています。(写真―@) ヨーロッパの空港では花の種をお土産用によく売っています。エーデルワイスの種も売っています。発芽させるにはコツがいります。種を一度冷凍庫で冷やし、厳寒のアルプスの冬を経験させるのです。でも、横浜で育ったエーデルワイスは綿毛の少ない、ぱっとしないものでした。

 モンゴルで見かけたウスユキソウは広い広い草原に生えていて高山植物という印象はありませんでした。可憐と言うより力強さを感じました。(写真―A B)

 この秋、早池峰に行ってきました。人のゾロゾロ登る山は何となく行く気になれず、避けてしまう悪い癖があります。登り口の駐車場についたのが夜中、車中泊して紅葉の始まった静かな林道を歩く。

 峠から先、高山植物の監視員と前後しながら、吹きつさらしの尾根を登る。風が強烈に冷たい。足元には茶色く枯れたハヤチネウスユキソウがそこかしこにある。日本に生えているウスユキソウの仲間では一番エーデルワイスに似ているといわれているがやはり違う。(写真―C D) 秋の平日、それも逆コースをとったせいかそれほど人にも煩わされず静かな山を楽しむことが出来ました。今度はハヤチネウスユキソウの花を楽しみに人のあまり登らないルートから来ようかな。

写真@ エーデルワイス
写真A モンゴル薄雪草 写真B モンゴル薄雪草
写真C ハヤチネ薄雪草 写真D ハヤチネ薄雪草
平成23年OB会報NO42より抜粋