アルプス、パノラマの道トレッキング
5期 (昭和41年卒) 八木 眞介


 7月7日から7月17日、アルプスに出かけた。今回は、スイス中央山地、ベルナーオーバーラント山群、ゲンミ峠越え、ヴァリス山群、ミシャベル山群といった山々の展望を楽しむトレッキングである。

 最近移動で何かが起こるが、今回は成田の出発便が大幅に遅れ、7日中にチューリッヒへ着けないことがわかり、急遽KLMからルフトハンザに振り替えての出発となった。

 8日はスイス中央山地の縦走で、ヨッホ峠から尾根ぞいに3つの湖を巡るハイキングで、花が咲き乱れた、景観も素晴らしいハイキングであった。

 9・10日はベルナーオーバーラント山群を展望するハイキングで、ヴェッターホルンの直下のグローセ・シャイデック峠から、アイガー等の山々と谷を挟んで対岸の尾根の中腹を歩いた。天気も良く、このルート上からは、ヴェッターホルンから、アイガー、メンヒ、ユングフラウ、さらに続くベルナーオーバーラント山群のすべての山々を一望でき、最高の気分であった。この道も花の多い道で、眺望と花とで、素晴らしかった。

 11日は昔の通商の道として有名なゲンミ峠を目指すハイキングである。ロープウェイから見る峠越えの道は、垂直に近い絶壁につけられた驚異の道であった。

 12日はツェルマットからマッターホルンの登山基地となっているヘルンリ小屋への往復で、ロープウェイで途中まで上がり、そこから岩の多い尾根道をヘルンリ小屋(3,260m)まで登った。登るにつれて大きく迫るマッターホルンの山容は迫力満点であった。

 13日はマッターホルンの対岸のオーバーロートホルン(3,415m)に登頂した。山頂からは大展望が見られるはずであったが、強風とあられで、展望は全くだめであった。ここでは、野生のエーデルワイスを初めて見られたことが唯一の成果であった。

 14・15日はアルプスの真珠と呼ばれるサースフェーをベースに、ミシャベル山群の展望を楽しんだ。地下ケーブルで登る氷河台地ミッテルアリランは夏スキー場もある白銀の世界である。

マッターホルンが迫る
ベルナーオーバーラント山群の大パノラマ

パタゴニア難民旅行&ブエノスアイレス観光旅行?
(パタゴニア トレッキング 顛末記)
5期(昭和41年卒)八木 眞介


 「機内−空港ロビー−ホテル−赤十字軍避難所−ホテル ‥‥‥」?1月13日成田を出発、アトランタ、サンチャゴ経由で約36時間という長旅で到着した南米大陸最南端のプンタアレーナスの空港では、迎えの車が来ていないという事態が待っていた。5時間後に徒歩で到着した現地スタッフの説明では、ガス代値上げ反対の住民ストで道路が封鎖されており、車が使えないとのこと。結局その夜は空港のロビーにごろ寝し、翌日スーツケースを空港に残して20kmを徒歩でホテルに移動した。その翌日、サンチャゴへの便の予約が取れたとのことで急遽空港に移動したが、予定の飛行機が故障で飛んで来ず、その夜は赤十字軍の避難所で寝る羽目に、次の日にやっと飛行機に乗ることができ、サンチャゴ経由でアルゼンチンのブエノスアイレスへ移動した。

 前半のパイネ山群をあきらめ、ブエノスアイレスから逆ルートで後半のフィッツロイ山群に入ることになったが、4日間足止めされ、予定外の市内外の観光で時間をつぶした。バスによる市内ツアー、ラプラタ川のデルタ地帯のクルーズ、牧場での乗馬等とバーベキュー、アルゼンチン・タンゴショー、市内の散策と買物といった具合で、まさしく観光旅行状態となってしまった。

 ツアー9日目にやっとフィッツロイ山麓に入り、2日間のトレッキングとなった。行先は山群の中のセロ・トーレBCの往復だが、初日は雨まじりの強風の中を歩き、テントでは一晩中風の轟音を聞いて寝た。2日目は晴天ではあったが、前日以上の強風と、山の上部はガスの中で、お目当ての岩峰群を全く見ることが出来ずに終わった。唯一実感できたのは、“風のパタゴニア”の片鱗であった。

 結局はこのようなとんでもないツアーになり、天候による計画変更だけでなく、こんな人的異常事態も起こることを体験した貴重な旅でもあった。

ペリト・モレノ氷河
平成23年OB会報NO42より抜粋