大震災とその後
7期(昭和43年卒) 真尾 征雄
  2011年3月11日、自宅でテレビを見ていた時、緊急地震速報が鳴りすぐ激しい揺れが来た。「ついに来たか」とテレビを支えて身構えていた。我が家は5年前に建て替える時、宮城県沖地震に備えて免震構造にしていたので不安はなかった。それなりには揺れたが、物が落ちることもなく、壁にクラックも入らなかった。携帯で家族に連絡を取りながら外に出た。火事や家屋等の倒壊がないか町内を歩き回った。瓦やブロック塀が壊れた家はあったが、家屋の火災も倒壊も町内には無くほっとした。家内や娘も夜には無事歩いて帰宅し、一安心した。

 この日から暫くは窮乏生活が始まったが、旧式の石油ストーブと卓上ガスコンロが役立ち、洗い水は天水と沢水を使い、不便ではあるが不安はなかった。知人・友人からはメールや電話でお見舞いを、また食料品も送っていただき非常にうれしかった。電気が回復し大震災の被害の大きさを知るようになると、自分にできることで支援しようという気になってきた。仲間の安否確認や生活物資の情報交換、食品や水のおすそ分け、近隣や友人宅の瓦礫撤去等々できることをした。男厨会の仲間とは、避難所での炊き出しをおこなった。合唱団の仲間とは、チャリーティーコンサートを開いて義援金を募った。シルクスクリーンの仲間とは、Tシャツに陸前高田の「希望の一本松」を144枚摺って販売し、21万円をユネスコを通して親を亡くした子供たちに使ってもらうようにした。

 私は博愛精神が特に高いわけではないが、被災した方々の映像を見て、自然と何かお手伝いしたいと思った。今回の大震災で、はじめてボランティアを経験した人(特に若者)が非常に多いようだ。日本全国で、様々な人たちが自分にできることで支援したいと活動している。日本人の特徴なのか、人間の特性なのかはわからないが、「日本人、まだまだ捨てたもんじゃないぞ」と思うこのごろである。
                            仲間と自作オリジナルTシャツを着て
平成23年OB会報NO42より抜粋