2012年 ワンゲル43年卒同期会
7 期( 昭和43年卒) 真尾 征雄

昨年7月酒田での同期会をやった時に、「次回は大震災の被災地を訪問したい。在仙の皆さん、お願いします」と決まってしまった。打合せを口実に手戸さん、国岡さんと数回飲み会を開き、おおよその計画を固めたが不安なことがあった。それはこの被災地を巡るプランに対して、同期の仲間がどう思うかであった。

 9月8日(土)
 一ノ関駅に同期の仲間と大釜夫人、総勢16人が集まった。車3台に分乗して気仙沼に向かう。ホテルに荷を置いてから津波で被災した魚市場に行く。ここでガイドから当時の様子を聞く。津波の大きさに驚くと共に地盤沈下が復興遅れの原因になっていることを知る。夕食はできる限り地元で金を使ってもらうため3つのグループに分かれて、仮設の復興屋台村に行く。土曜なので混んでいると思ったが、人は余り出ていなかった。店には様々な人たちの色紙や応援ペナントが張り出されていたが、地元の人達は仮設住宅に入っており近くには人が生活していないので、寂しさが漂っていた。被災した若い店主の話を聞きながら食事をした。





 9月9日(日)
 早めにホテルを出て陸前高田に向かう。途中、よくテレビで放映されていた「大きな漁船」が見えた。「あんなに大きな船がここまで流されてくるなんて」と思う。7万本の松が茂っていた高田松原に、あの「奇跡の一本松」が本当に一本だけポツンと立っていた。被災した地元の人達はどんなにかこの松に励まされたことだろう。9月12日に切り倒された後、復元されるとのことであるが、その前に見ることができて良かった。一本松をバックに記念撮影をする。


 南三陸町ではあの「防災対策庁舎」で、北上川河口近くではあの「大川小学校」で頭を垂れる。どちらも言葉を発するのをためらう様な衝撃が伝わってくる。この悲惨な事故を後世に伝え、二度と同じ過ちを繰り返さないために、何か大震災の遺構を残してほしいと思う。

女川で9期生の藤中郁生君と落ち合う。卒業以来初めて会う人が多く、初めは戸惑っていたが、話すとすぐに思い出し打ち解けた。彼自身が被災し、すべてを流されてしまったのに、「女川 桜守りの会」を立ち上げ、町のために活動していることを知り頼もしく思い、応援したいと多くの人が思ったようだ。

彼の案内で女川の被災の様子を知る。旧女川町立病院の柱に残された「津波到達高さ」の表示に、一同仰天する。女川の町は津波の直撃を受けたため、鉄筋コンクリート造の建物が横倒しになり、木造建築は土台だけ残し何もなかった。想像するだけでも怖くなる。


 石巻では、災害廃棄物処理業務を請け負っている鹿島JVを訪問し、大学の後輩の説明を聞く。廃棄物の膨大な量に驚き、丁寧な分別処理に驚く。処理の受入れをしてくれる市町村が増えないことが残念である。

 松島大観荘には8期の宮下さん(旧姓中里さん)が出迎えていてくれた。この夜が本番の同期会。全員が近況報告。皆さん病気と付き合いながらも、歳相応に元気なようだ。今回の同期会については、「被災地を直接見聞することができ大変良かった」と言う声が多く、幹事としてひと安心。「来年は村山貞一幹事長による佐渡で会おう」と決め、お開きとなった。

平成24年OB会報NO43より抜粋