徳富の遭難


13期の徳富昭一郎くんが吾妻連峰で遭難し、帰らぬ人となってしまいました
慎んでご冥福をお祈りいたします


                             13期(昭和49年卒) 岡部 安水

13期の徳富昭一郎くんが吾妻連峰で遭難し、帰らぬ人となってしまいました。徳富は、昭和45年に入部し、途中でクラブを辞めましたが、TUWV13期の仲間の一人です。

徳富は、5月31日に単独で吾妻連峰東麓の仁田沼から入山し、日帰りで浄土平、高山を経由して戻る周回コースを予定したようでした。たまたまご家族が留守のときに出かけたため初動が遅れたこともあってか、捜索は難航を極めました。6月初旬には延べ100人弱の体制での捜索が行われましたが、発見できませんでした。その後ご家族を初めとして、TUWVOBの仲間も加わった捜索活動も行いましたが、みんなの願いも空しく、発見には至りませんでした。

ようやく9月になって、茸採りの地元の方によって発見されるに至りました。高山の南東約2kmの崖沿いの沢で、ほぼ白骨化した状態で、沢に流されたためか広い範囲で見つかり、DNA鑑定の結果本人に間違いないと認められたとのことです。

10月19日に仙台でお別れ会が開かれました。ワンゲル関係者20名を始め、御親族、医療関係者等、会場に入りきれないほどの多くの人が集まり、徳富の親交の広さや活躍の大きさ、人徳を偲ばせるに十分なお別れの会でした。会場には、徳富の山行記録や写真なども展示されていました。

記録によると、ここ何年かは年間20〜30回以上の山行をこなしていましたし、ご家族とも一緒に頻繁に山を楽しんでいた様子が残されていました。山行記録が、概念図とともに几帳面な文字でヤマケイダイヤリーにびっしりと書き残されているのを見ると、改めて徳富の元気な頃の姿が思い出されて、思わず目頭が熱くなってしまいました。

われわれ同期の在仙の要として、同期会の幹事を率先して引き受けてくれるなど、どれほどお世話になったか計り知れません。今はただ徳富が安らかに眠ることを願うしかありません。掛替えのない友を山で亡くしてしまいました。お別れ会において読み上げた弔辞を以下に載せさせていただきます。

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弔  辞

6月8日に徳富が山で遭難したという第一報を聞いて、山に対して謙虚であれほど慎重であった徳富がまさか、間違いであってくれという思いでいっぱいでした。しかし残念ながら、今日こうやって弔辞を読むこととなってしまいました。

私は、人生で初めて読む弔辞がこんな形で現実のものとなるとは、夢想だにしませんでした。本当に残念で悔しくてたまりません。

徳富とは大学のワンダーフォーゲル部で一緒になりました。たまたま徳富が下宿していた仙台のお寺の離れに空きが出て、クラブの友人とともに引っ越して、以降卒業するまで6年余に亘り同じ屋根の下でともに学生生活を送りました。下宿での徳富は、いつも沈着冷静で、お寺にこもってまさに学生の本分である学問に打ち込んでいるといった風情があり、山登りに熱中していた私にとって、少し近寄りがたい雰囲気もあったように思います。

クラブでは、どういうわけか同じパーティーで山に登ったことはありませんでした。先輩のある方から、その方は1年先輩で上越での夏合宿でリーダーを勤めた方ですが、「2年生の徳富が重いキスリングを背負い平が岳から荒沢岳への縦走での藪漕ぎを頑張っていました。荒沢岳の頂上を前に、足を怪我されましたが、頑張って荒沢岳を登り、銀山平への急な山道を降りられたことをよく覚えています。」という話をお聞きしました。大変な頑張り屋でありました。

現在ワンゲルの仲間で何年かごとに集まって、山に登るなどして旧交を温めていますが、これも7年前に徳富が音頭を取って、また何から何までの段取りも整えてくれて、鳴子の川渡温泉の旅館を借り切って集まったのが始まりでしたね。とても心優しく、面倒見の良い徳富でした。

一昨年の10月のその集まりで、那須で会ったのが徳富と会った最後になってしまいました。その折は、那須の最高峰の三本槍岳の山頂で、会津側からのコースをご夫婦で登ってきた徳富を迎える形になりましたが、頂上についてほっとしたそのときの徳富の笑顔は忘れることができません。

徳富遭難の報を聞いて、ワンゲルの仲間たちも微力ではありますが捜索のお手伝いをさせていただきました。私は残念ながら参加できませんでしたが、手がかりの少ない中、ご家族の皆様が何日にも亘って献身的な活動をされていたことをお聞きしました。捜索のお手伝いをした仲間からは、「ご家族が徳富さんに寄せる想いに感じ入りました。」という声や、「ご家族の捜索への熱意には頭が下がるばかりですし、藪にも飛び込める立派な娘さん達を育てたものだと、改めて感心しました。」という声を聞いています。また、困難な状況にもかかわらず、参加した仲間たちへの細やかな気配り、心配りが準備段階や現地での捜索の様子を聞いていると強く感じられました。徳富一家の皆様の強さと暖かさに心打たれるばかりです。

徳富、本当に残念で名残はつきませんが、これでお別れです。どうぞ安らかにお休み下さい。そしてご家族の皆さんや私たち仲間をどうぞ温かく見守っていて下さい。

さようなら、そしてありがとう。 合掌。

平成26年OB会報NO45より抜粋