飯豊連峰石転び沢(21、22期)
21期(昭和57年卒) 冨士原 康浩

毎年、「今年で沢は最後かな」と思いつつも、沢への執着から離れられないため、今回の夏合宿は、「飯豊石転び沢」に行くことにした。特別ゲストとして何度か我々と山で寝食を伴にしている「山ガール」で医療関連雑誌の美人記者、久保田嬢が同行することとなった。

7月18日(金)梅雨前線が停滞しているなか、山行を中止するかどうかの判断に迷ったが、決行することとした。米沢で前泊し、駅前の焼肉屋で、手塚の技術研究所所長就任祝いを盛大に挙行。やっぱり米沢牛は旨い。

7月19日(土)米沢駅5:57発で小国へ。米坂線の一部区間(羽前椿〜小国)が土砂災害で不通のため、今泉駅から代行バスとなる。8:00小国駅着、天気は雨。予約していたジャンボタクシーで飯豊山荘へ向かう。雨は小ぶりのため、「石転びを諦め、梶川尾根に切替えよう」との提案もあったが、「どうしても石転びを登りたい」との意見が大勢を占め、初日から飯豊山荘に「停滞」する。早速一風呂浴び、来る途中で安く仕入れたビールを飲み、トランプ(大貧民)に興じる。我々は、素泊まりのため、Lはソーメン、Dはレトルトカレーを食す。何度も温泉に浸かり、酒を飲み、「停滞」を満喫する。後で分かったことだが、BS−TBS「日本の名峰」取材クルー9名が同宿していた。部屋割はあうんの呼吸で決まったようだ。

7月20日(日)3時起床、4時出発。天気晴れ。山荘を出るとすぐに車止めゲートがあり、警察官が待機している。予め、用意していた登山届を提出。林道は堰堤を過ぎると本格的な山道となり、アップダウンを繰り返しながら沢筋を進む。入門内沢出合に8時着。いよいよここからワンゲルらしく1本締めアイゼン・ウッドのピッケル・傷だらけのヘルメットを装着し、革の登山靴で石転び沢を進む。

 主稜線にカイラギ小屋が見える。ところどころに石があり、落石があったことがわかる。

 標高が上がるにつれ、傾斜がきつくなってくる。いよいよもうすぐ「中の島」という時にガスで視界が遮られる。踏み跡と高度計と方位を信じて進むと、上部からの下降者に遭遇し、無事「中の島」の取り付きに、到着。最も危険で傾斜のきつい7mのトラバースを終え、小屋に向かって進む。

本日の予定は、御西小屋まで行くつもりだったが、13時を過ぎているため、カイラギ小屋泊りとする。早速、無事の登頂を喜び、ビールで乾杯!天気も回復してきたので、北股岳方面に散歩に出かける。高山植物が真っ盛りだ。

TBS取材陣が、「中の島」あたりに見える。トラバースの様子を上部からカメラマンが撮影していたところ、当のカメラマンが滑る。なんとか「滑落停止」で止まったからいいものの、危ういところであった。しばらく、動揺が隠しきれないと見え、固まっていた。

 小屋に戻り、「大貧民・7並べ」をやり、Dは、菊川怜似のK記者特製の「生卵を使っての天丼」で、他の登山者から写真を撮られるほどの好評を博した。TBS取材クルーは、18時頃小屋に到着。出演の西尾まりは、久しぶりの山登りだったらしい。

 7月21日(月)3時起床。4時出発。天気晴れ。 飯豊本山への縦走はあきらめ、お花畑が広がる稜線をのんびり楽しみながら、北股岳・門内岳を経由し、扇の地神より梶川尾根を下山。石転び沢が良く見える。  梶川尾根は急峻な下りで、今夏(8月)女性が滑落死している。流行りのダブルストックに頼り過ぎたのが原因ではないかと推測される。梶川尾根もだいぶ下ったところで、雨が降り出し、ずぶ濡れとなる。11時30分飯豊山荘に到着。もう既にバスが来ており、11時35分発とのことで、次のバスは15時30分発。飯豊山荘でひと風呂浴び、ビールで乾杯するはずが、びしょ濡れのままバスに乗り込む。

     左から、石川、千田、手塚、富士原

                                 中央が石転び沢


 小国駅に12時30分着。下界は暑い。米沢方面への出発時刻を駅員に聞くと、次の小国駅発代行バスは14時過ぎで、今泉駅での15時6分の接続には間に合わず、乗換えは、18時頃になるとのこと。「今日中に帰られないじゃないか」とバスの乗客は、駅員に詰め寄るも、「自然災害だからしょうがないでしょ」の一点張り。坂町から新潟経由も同様に、今日中に帰れる見込みなし。JR東日本の対応の悪さにうんざりするやらあきれるやら。

 結局、今泉までタクシーを利用することとし、運転手さん推奨の温泉「ガマの湯」に入り、「ビールとラーメン」にありつけ、無事、帰京の途についた。

 この夏、山岳遭難が相次ぎ、天候不順が多いなか、一瞬の晴れ間を捉え、「飯豊石転び沢」を堪能できたことに感謝したい。しかし、リーダー格の石川がスペインに単身赴任となったため、来夏の合宿が危ぶまれる。TUWV卒業以来30年余り、沢を中心に活動してきた我々としては、来年も報告で。

平成26年OB会報NO45より抜粋