大きな宝物 
7期(昭和43年卒) 真尾 征雄

 高校では山岳部、大学ではワンダーフォーゲル部で青春を謳歌していた。キャンプサイトのテントの中で、あるいはファイヤーを囲んで、山の歌・ロシア民謡・歌謡曲などを歌っていた。美しい響きとは無縁の蛮声を張り上げて。楽譜を見ても分からなかったが、自然と耳から聞いて歌っていた。高音が出ないので、高い音はオクターブ下げて平気で歌っていた。クラッシク音楽を聴くことは好きで、会社に入って最初のボーナスで買ったのはパイオニアの音響セットで、寮の部屋で聴いていた。

 下の娘が、何がきっかけか分からないがオペラ好きで、その影響でオペラのVHSを観たり、CDを聴いたりすることが私も好きになった。好きにはなったがオペラはまだまだ遠い存在だった。定年を過ぎたある日、近くの市民センターに家内の書道教室の展示会を見に行った。隣接の体育館では様々な発表会をしていたので、覗いてみた。暫くすると、かなり高齢に見える男声合唱団が揃いのブレザーで登壇し、若々しい張りのある声で歌を披露し、最後に原語でオペラ「ナブッコ」の合唱曲を歌った時は驚いた。こんな年寄りの集まりの合唱団がオペラの曲を歌えるのかと。翌週その合唱団の練習を見に行った。楽譜を読めなくても大丈夫と言われ、即入団してしまった。合唱団の名は「いずみオッチェンコール」、パートはバスと言われた。

2012年オペラ「遠い帆」の合唱団員募集があり、オーディションを受けたら、信じられないことに合格してしまった。それから2年間、毎週土曜日、夜の練習が続いた。支倉常長一行の苦難の旅がテーマだけに、暗さ・嘲り・怒り・うねり・罵り等の場面が多く、帰路はいつも暗い気持ちになった。練習にもついていけず、やめようと何度思ったことか。友人達に、「東京でオペラをやるから見に来てね」と言った手前、やめられなかったのかもしれない。

2014年8月24日、東京新国立劇場中ホールの舞台に自分は立っていた。客席には、ワンゲルの仲間が沢山来てくれていた。「オペラは初めてだが、真尾が出るのだから見に行ってみるか」という冷やかし組もいた。舞台で転ばないことと、口をしっかり開いて言葉を正確に伝えることだけに注意して舞台に立ち、演じ終わった。カーテンコールを受けている最中、良くここまで来れたなという達成感と満足感、そして2年間の苦難の道を思い出していた。自分にとっては二度と立つことはない新国立劇場でのオペラ公演。この経験は人生の大きな宝物となった。

「遠い帆」カーテンコール
平成25年OB会報NO44より抜粋