古稀を迎える年に百名山踏破
(富士山から始まり富士山で締める)
8期(昭和44年卒) 水上 俊彦
 今から56年前の中学2年の夏、故郷静岡の中学の学校登山で富士山に登りました。その時は10合目の浅間大社奥宮まで登るのがやっとで、すぐ近くに見える最高峰・剣ケ峰(3776m)には行けませんでした。今年(H28年)6月3日、前夜富士宮口5合目駐車場で車中泊したあと、快晴のもと剣ヶ峰まで登り、何とか70歳になる前に百名山登山を達成できました。今回は富士山頂への最短ルートを登り9時間で往復でき、まだまだ山登りは続けられるとの意を強くしました。又、この時期の富士山としては例年になく雪が少なく、9合5勺まで夏道が出ていて拍子抜けでしたが、折角雪山の装備を持っていったので8合目からは雪渓を登りました。

富士山頂 剣ヶ峰 (3776m) H28年6月3日

 私の百名山登山を振り返るに、本格的な登山を始めたのはTUWVに入部してからですが、大学時代に34山、会社在職中に34山、OBになってから32山、登ったことになります。特にOBになってからは、未だ訪れていなかった屋久島、利尻島(ついでに礼文島も)、知床半島は、暇に任せて登山だけでなくその地の観光スポット巡りもし、日本列島の自然の豊かさを堪能できました。

 又、H25年の7月上旬の大雪山縦走(旭岳〜トムラウシ山)では、夏の大雪山の山小屋は混むとの話もあるので、事前に2人用のテント(実質1人用)を購入してから出かけました。この年は何時になく残雪が多かったようで、1日目の白雲岳避難小屋、2日目の忠別避難小屋共テン場は残雪の下なので小屋泊りとなり、最後のヒサゴ沼避難小屋でやっとテント泊が実現しました。しかしこの日の夜風雨が一気に強くなり、心配であまりよく寝れなかったですが、何とかテントで耐えられました。

 次の日は朝からガスでしたが、百名山がかかっている私は、停滞するという相棒をテントに残し、一人でトムラウシ山往復を実行しました。途中まではガスの中、雪で夏道が隠れルートファントに時間がかかりましたが、日本庭園辺りからガスが一気に晴れて展望が開け、トムラウシ山の頂上に立てた時は感激しました。この日もヒサゴ沼泊りで、対面に望める二ペソツ山の鋭鋒には登山意欲を掻き立てられました。次の日は化雲岳経由での長い長い天人峡温泉への下りで、後半雨に降られたこともあり疲労困憊でしたが、温泉に浸った後に飲んだビールは最高でした。

大雪山 ヒサゴ沼の朝 H25年7月5日

 小屋泊りと違ってテント泊は周りを気にしないでのんびりできますし、昔懐かしいワンゲル時代を思い出せますので、その後もテント泊の登山を楽しんでします。北沢峠、横尾、行者小屋でのテン場からのアルプス、八ヶ岳登山、又去年5月連休明けでの未だ登っていなかった百名山5座(四国の剣山・石鎚山、頚城山塊の高妻山等)もテント泊での登山でした。

 最近のテント場は大半が単独行の登山者で、時代の流れを感じました。そう言えば、私も富士山で締めた去年の百名山登山6座は全部単独行でしたが、複数で登る時よりも、気楽にいろいろな人と話ができる機会が多く、これも楽しみの一つであることを実感しました。

 今年85歳になる会社の先輩から今シーズンもスキーに一緒に行こうと誘われていますが、このような元気なお年寄りを見習い、私も山とスキーは先々まで続けていきたいものです。

平成28年OB会報NO47より抜粋