水上くんを偲ぶ
8期(昭和44年卒) 佐藤 拓哉

 「水上よ、お前はなんて馬鹿なことをしたんだ」 目の前に水上がいたらそう言ってやりたいな、と前田と話しながら富士山のお中道を歩いて行った。最初の捜索では、富士山のあまりのスケールの大きさに、絶望的になった。しかし、私は信じていた。ワンゲルで4年間鍛えた水上が、ただの砂礫帯や樹林帯で倒れるはずがない。倒れてたまるか。そう信じていたからこそ、崖のような最も危険なところを捜した。荒涼とした富士山には珍しく、ミヤマキンバイなどの高山植物に囲まれていたのがせめてもの救いであった。

 人は、「無謀だ!」、「山を甘く見ていた!」と言うかもしれない。でも私には水上の気持ちが分かるような気がする。大学で本格的に山を始めてから50年余り、みんな古希を迎える年になってしまい、山を続けている者はほとんどいない。そんな中で今でも山を登り続け、古希を迎える年に百名山を踏破し、しかも故郷の山、富士山で始まり、富士山で締めたことを誇らしげに語っていた。とは言うものの、古希という言葉は、体力や気力の衰えを感じさせる響きがあり、そこを乗り越えたい、少なくとも気力では負けたくないという気持ちを起こさせたような気がする。

 ワンゲルを卒業する時に相原が中心になって作ったアルバムを開いてみた。そこに水上は、自画像としてこんなことを書いていた。

 ■ 誘惑に弱い男、遊び好きな男 : 東から、麻雀の誘いがあれば講義をさぼり、西から、酒の酒の誘いがあれば金がなくてもつき合い・・・・

 ■ 温和で人のよい男 : 一皮剥ぐと、自分に甘い男、もう一皮剥ぐと、他人にも甘い男、さらに一皮剥ぐと、結局弱い男、もっと強くなれ。

 ■ いつも静かな笑みを浮かべた男 : その本質は、他人との対決を笑顔でごまかし、自分の心のカラッポなことを笑顔で覆い隠し ・・・・・ でも僕は笑顔という仮面しか持つことができない。

 50年前の水上も、チリワインを持って我が家を訪れ、オギャーと乾杯していたついこの前も、変わらない水上だった。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
      夏合宿集中地にて           荒川三山 (水上、拓哉、鳥山) 1970年5月
OB山行 那須 朝日岳・三本槍ヶ岳 2002年9月 安達太良スキー 2003年2月
安達太良スキー 2004年3月 三日月慰問山行 蓼科山 2004年8月
OB山行 尾瀬ヶ原 2005年9月 OB山行 二口峠 2007年9月
水上主催有志山行 霧ヶ峰 2014年6月 OB山行 女川黒森山 2016年9月
平成29年OB会報NO48より抜粋