天山山脈
4期(昭和40年卒)小原佑一

 シルクロードの行く手を遮るように邪魔をして天山北路と天山南路に分けてしまった天山山脈。

 私が天山山脈を気にするようになったのは現役時代にスウェーデン生まれの探検家 スヴェン・ヘディンの「彷徨える湖」を読んでからです。中央アジアのロプノール、タクラマカン、楼蘭、敦煌 ‥‥ ズーッと憧れでした。しかしロプノールが中国の核実験場となり一般の外国人が現地に立ち入ることは困難になってしまいました。

 私が実際に中央アジアの地に入って天山山脈などを見たのは今から12年前、敦煌からゴビ(荒地)の悪路を西に向かってロプノールの方に入った雅丹地質公園(ヤルダン地質公園)の魔鬼城を訪れた時です。

 それから6年たって、タクラマカン砂漠の南側を通る玄奘三蔵がインドからの帰路に法典を携えて通った西域南路の米蘭遺跡を訪れ、ホータンから新砂漠公路で砂漠を横断しクチャに出て塩水渓谷などを訪れて天山山脈の南側の麓を覗いてきました。

 玄奘三蔵の往路はクチャ、塩水渓谷を通って現在の中国側の天山南路からペデル峠で天山山脈を越え現在のキルギス(旧ソ連邦の一部)のイシククル湖の南岸に出て、アクベシ(砕葉城)を通過してサマルカンドの方に行ってから南下してインドに向かった。

 今回、私はキルギスの首都ビシュケクからアクベシを通ってイシククル湖の北岸へ。イシククル湖は周囲約700km琵琶湖の約9倍の広さを持ち一番深いところで水深約670m、海抜1606mの高地にある、塩分0.6%の湖です。旧ソ連邦時代、湖の北岸は政府/共産党の要人の保養地、南岸には軍の秘密訓練地があったので外国人の立ち入りは厳しく禁止されていたそうです。現在はリゾート地としての開発が行なわれ、多くの外国人観光客(私もその一員)の姿も見られるが自然環境の維持については厳しくコントロールされている。湖水には有機物が少ないためか水は澄んでおり、生息する魚類も少なく、藻や水鳥の姿も見かけなかった。水泳は禁止されていなかったので泳いだところ「ここで泳いだ日本人を初めて見た!」と言われてしまった。

 イシククル湖の東端にはロシアの探検家ブリジヴァリスキーの墓と博物館がありました。ブリジヴァリスキーはヘディン、スタイン、大谷探検隊などと同じ時代に中央アジアを探検したが最初は海の方(日本海のシベリア側)の調査をしていたらしい。その後、内陸に入り中央アジアの探検、最後はイシククル湖周辺が気に入って居を構えてしまったらしい。彼の収集品が博物館に展示してあったが、他の中央アジアの探検家と違って人、歴史、文化などの資料はほとんどなく動植物の標本がメインであった。植物の押し葉や色あせた剥製が雑然と展示してあるだけで旧ソ連邦時代のロシア帝国関連に対する保管維持管理ってこんなだったのかなあー!と思ってしまいました。

 天山山脈への入山の拠点となるカラコルから山に向かって道路は谷に入る。バスは入れないので途中で小型のマイクロバスに乗り換えてジュディオグズ渓谷の高原へ。高山植物が花をつけている。しかし家畜が放牧されているので斜面一面に花が咲き乱れているという状態ではないがそこかしこに可憐な花が咲いている。エーデルワイスの咲いている一角を見つけ、周囲に散在している乾燥した家畜の糞を気にしながら這い蹲って写真を撮ったり、寝転んで間近で眺めたりして楽しむ。

 首都ビシュケクに隣接するアラアルチャ自然公園の入口ではユキヒョウ(雪豹)の像が迎えてくれる。ユキヒョウはヒマラヤ、カラコルム、天山山脈あたりの高地に生息していてめったに姿を見ない絶滅危惧種らしい。数年前、NHKTVがユキヒョウの生態を撮影した貴重な記録と称して特別番組で放送したことがあった。ブリジヴァリスキーの博物館にもいかにも時代物の剥製が置いてありました。帰国後甲府の動物園にユキヒョウが飼育されているというので見に行ったら飼育ケージは空っぽ。係りの人に聞いたら一ヶ月前に死亡したと!このユキヒョウは多摩動物園で2003年に生まれた雌で生後多摩、神戸、名古屋の動物園を巡って2017年に甲府の動物園に来たと空になったケージの前に書かれていた。

 アラアルチャ自然公園で谷に沿った道を高山植物の花を観ながら歩いて行くと雪をいただいた天山山脈の山々が近くに見えました。静かな散策の道でした。

エーデルワイス ジュディオグズ渓谷
散策路から見た天山山脈 アラアルチャ自然公園
令和元年OB会報NO50より抜粋