オギャーを送って
8期 (昭和44年卒) 佐藤 拓哉

 今年の3月1日の早朝、オギャーは誰からも看取られることなく、一人で旅立った。病院に駆けつけた時、病室の入口にある心電図がフラットになっているのを目にした。オギャーを失った悲しみとともに、苦しまなくて済むようになった安堵感が交錯した不思議な気持ちであった。葬儀の日、一番好きだったツイードのジャケットを着せ、この16年間、肌身離さなかった大事なネックレスを首にかけて送った。

 16年前の8月31日、オギャーの誕生日に二人で北岳バットレスに向かった。バスの関係で、広河原を出発する時間が遅いので、初日は御池小屋に泊まり、翌日に登る予定であった。時間があるので偵察がてら、取付きまで登ってみたが、これがかなりの急こう配で、明日またここを登り返すのが嫌になった。もう既に昼近くになっていたので、抜けれない場合は岩壁の途中でビバークする覚悟で、登り始めた。

 リードを交代しながら第4尾根を登り終えた時にはすっかり暗くなっていた。おまけに濃いガスに包まれ、ヘッドランプをつけてもハレーションを起こしてしまって先は見えず、足元がかろうじて見えるだけである。頂上からの下りは、小太郎尾根を真直ぐ下っているうちは何とかなったが、小屋の手前で斜面を下るところがどうしても分からなかった。とにかく、大きい岩の先は何も見えず、断崖絶壁のように思えてしまう。これ以上歩くと危ないと思い、岩陰にロープを敷いて座り、ツエルトを被ってビバークすることにした。運悪く小雨も降ってきたが、不思議なほど焦りはなかった。これもオギャーの精神力の強さのお陰である。

 落ち着いたところで、内緒で持ってきた誕生日プレゼントのネックレスを手渡した。目を輝かせて首に掛けた。この時のネックレスが、オギャーにとって永遠のネックレスとなった。これとともに、雨の中のビバークも、忘れ得ぬ一夜となった。翌朝、明るくなってから見たら、小屋のすぐ手前であった。小屋で暖かいものを食べてから、お花畑の中を下山した。

 オギャーとは、夫婦である前に、よきザイルパートナーであった。亡くなる数日前からは、二人で登った山のこと、二人で登った国内外の岩壁のこと、二人で旅したヨーロッパのことだけを話し続けた。

「拓哉さんとの楽しい思い出がたくさんあって嬉しい」
オギャーの最後の言葉であった。

北岳バットレスをリードするオギャー 北岳頂上は濃いガスの中
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秋田県・男鹿半島 入道崎で(2018年8月)
令和2年OB会報NO51より抜粋