50年目の南アルプス
11期 (昭和47年卒) 竹内 俊一

我々11期が3年生として夏合宿を迎えたのは学生運動が終わるころの1970年、入部時に50人を超えた部員が11人になり奈良田集中を目指して南アルプスで夏合宿を行った。

あれから50年という思いもあり南アルプスに行ってみようと計画したものの昨年は新型コロナまん延のため山小屋の休業や交通機関の運休があり断念。一年越しの今年、夜叉神峠から鳳凰三山を縦走しドンドコ沢経由青木鉱泉で温泉に浸かるべく計画した。ところが7月に入って緊急事態宣言を受けて韮崎と青木鉱泉を結ぶバス路線が運休になり急遽予定を変更せざるを得なくなり夜叉神峠からのピストンに変更、その結果地蔵岳と青木鉱泉は断念、観音岳までのピストンとなった。

第1日(7/30) 甲府駅は暑かった。広河原へのバスの乗客は自分一人。金曜日と言うこともあったのだろうが新型コロナの影響もあったようである。夜叉神峠登山口から樹林帯の中を1時間少々で宿泊予定の夜叉神峠小屋に到着、まだ13時過ぎと言うのに待っていたように雨が降り始める。夕刻に雨はあがるが濃いガスの中であった。
ここでも一人きり。

第2日(7/31) 白根三山に朝日が当たり絵にかいたようなモルゲンローテ。歩き始めるとすぐに樹林帯の中に入り展望のない長いダラダラの上り坂が続く。夜叉神峠小屋からひたすら歩くこと5時間、これが南アルプスかとうんざりする頃にガマ石に到着、突然眼前に薬師岳、白根三山の展望を得てアルプスを感じることができた。宿泊を予約しておいた薬師岳直下の小屋に荷物を置き薬師岳、観音岳をピストン。12時前というのにガスがかかり展望はなく不穏な気配が漂う稜線歩きであった。小屋に戻った13時ころから雷と強い雨、上空に居座る寒気のため天候が不安定である。小屋は予約制でこの日は11人の宿泊、宿泊スペースはベニヤ板で細かく仕切られ各区分の壁面をビニールシートで覆い、寝具は敷布団のみで寝袋持参、換気のため窓は部分解放、トイレで使用した紙類は各自持ち帰り、食事は時間制限の入れ替え制で禁酒、などのコロナ対策が行われていた。

砂払岳付近から富士山


 第3日(8/1) 5時過ぎに山小屋を出発して前日の道を引き返す。ガマ石では白根三山、富士山をきれいに見ることができた、今山行一番のご褒美。そこからは再び樹林帯の中をひたすら歩く。南御室小屋の水は冷たくうまい、唯一の水場でのどを潤す。夜叉神峠への樹林帯を歩きながら50年前の三伏峠への道も長かったことを思った。夜叉神登山口にあるヒュッテには9時過ぎに到着。予約しておいたヒュッテの宿泊をキャンセルしてそのまま帰ろうかと思ったが「風呂に入って行け」というヒュッテの主人と話しているうちに泊まっていくことになった。温泉でないのが残念であったが風呂で蝉の鳴き声を聞きながら思い切り手足を伸ばした後風呂上りのビールを飲んで至福の時を過ごした。

朝日の白根三山


 翌朝、夜叉神ヒュッテ前の駐車場に神戸ナンバーの大型ワゴン車を発見、20代中頃の二人の若者がいたので、神戸ナンバーが懐かしくもあり声をかけたところ、彼らは今年3月に仕事を辞めて4月に北海道からスタートして南下、来年5月までかけて日本百名山の連続踏破を目指しているとのこと。50年前の自分には思いつきもしなかったことに挑む彼らに驚きと清々しさを感じると共に自分たちにもこんな頃があったのだと思った。

 50年は随分長い時間であったはずであるが南アルプスに来てみて50年前がつい昨日のことのように思い起こされた。2年間にわたる新型コロナの影響を受け色々な制約を受けたものの50年ぶりの南アルプスを何とか歩くことができた満足感と無事に下山できた安堵の気持ちで帰路についた。

令和3年OB会報NO52より抜粋