訃報


令和3年 3月 12日、5期の 渋川尚武さん がご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


事務局



   仲間の悲しみ 渋川尚武さんを偲んで
5期(昭和41年卒) 櫻 洋一郎

我が同期、昭和41年卒の渋川尚武さんが去る3月12日、急性肺炎で亡くなりました。享年78才。3月17日の葬儀には、松木先輩と櫻が参列させていただきました。ご長男、明弘様によれば、奥様の33回忌を終わった直後、体調を崩されて緊急入院、帰らぬ人となったとのことでした。最愛の奥様に呼ばれたのでしょうか。ご冥福をお祈り申し上げます。葬儀は家族葬となっていましたが、元の職場、今の職場の方々が三、四十人参列されて、賑やかにお送り出来ました。

その後、渋川尚武さんのご子息から葬儀後の近況報告が届きました。浄土真宗には戒名というのはないそうで、” 釋峰尚 ”・・・・・ ” お釈迦様の弟子で、今頃、峰々をゆっくりと歩きまわっている、尚武さん” ということにでもなるのでしょうか。彼らしいお名前ですね。先ごろ故郷、弘前のお墓に納骨されたとのことです。今頃、奥様のそばで久しぶりに、ゆっくりと話をされていることでしょう。

同期の仲間から届いたお悔やみのメールを編集してご遺族にお届けしました。その後、会報への渋川さんの思い出を募ったところ数名の方から届きましたので併せて紹介します。 メールを発信してくれるということは夫々元気な証拠、懐かしい顔を思い出して下さい。

朝倉 肇

連絡ありがとうございます。さびしいことですね。

遠藤 堅衛

連絡有難うございます。何も知らなかったので驚いています。
ご冥福をお祈りします。

大塚 浩司

突然のことで驚きました。時節柄、ここで心からご冥福を祈りするしかないのでしょうか。
太田 光二 昨年のOB会でガンの手術をしたと聞きましたが、まさかこんなに早くなくなるとは残念至極です。彼とは2年間下宿で一緒に過ごし、いつも教えてもらうばかりでした。
まだまだ山へ一緒に行けると心待ちにしていました。ご冥福をお祈りいたします。

大槻 観三

彼とは、パーティは一緒になったことはありませんでしたが、小原さんに連れられて、二口の大東岳の藪漕ぎと山形県側から船形山の沢登りをやったことがあります。
私は体力的に相当につらかったのですが、彼らはへっちゃらといった様子で、今では懐かしい思い出です。ご冥福をお祈りいたします。
門屋 大二 幽明を別っても尚、間の中で万事に 亘って一際スマートであった渋川が浮かぶ。長町で下宿生活を共にしたことがある。徹底した山好き・呆れる程のロマンチスト・博学なナチュラリスト・あくまで純粋な学生振り・・彼に啓発された仲間は多く、愉快な彼との交流は 先輩・後輩を問わず、我らがTUWV仲間の誇らしき共有財産である。
 弥三郎節
 彼は松山市の我が生家をベースに四国を旅したことがあり、毎晩の様に道後温泉を楽しんだものである。音響の良い大浴場で朗々と「弥三郎節」を歌唱指導してくれた記憶は、今尚鮮明である。「S 41年卒 岳温泉集会」で特別に彼に要請した際、その美声で気持ちよく応じてくれたものである。
 
ある時払いの催促無し
 我が妹が共に下宿した長野出身の農学部の友人がいる。その友人の親友が 渋川が卒論指導をした 渋川夫人と聞く。なれそめを聞くにつけ、若き日の渋川夫妻の一途な情熱を思う。当時 渋川から テニスラケットを貰った記憶がある。また聞きすると「ある時払いの催促無し」と言う条件があったとのこと。気掛かりながら未払いである。このラケットのお陰様でテニスに馴染み、78歳の現在、3回/週楽しんでいる。緊迫した試合で nice-shotの都度、渋川の応援を確信している。許せ「未払い」の無礼。
 新橋亭
 多くの仲間がビジネスを卒業してからも、渋川は忙しく全国を指導して飛び回り、松山行きも頻繁だった様である。恒例の「新橋亭 新年会」で松山出身の小生よりも詳しい「松山話」も屡々聞けたものである。在りし日の彼の多岐に亘った「熟慮した邁進」に思いを致し、我々と違って、終生「怠慢」とは無縁であった彼を思う。残された者は、儘ながら彼の応援・守護を願いつつも、ひたすら「安らかに眠れかし」と祈るのみ。合掌

佐藤 豊治

大学卒業後、年賀状の交換だけのつきあいになったが、貴君の訃報を聞いて驚いた。
3年の最終合宿で下した貴君の的確な決断を想い出す。
場所は覚えていないが、一夜明けてテントの外を見たら雪景色。進めないほどではなかったが貴君は引き返しを決断した。あのくらいの慎重さが大切なのだと今でも思う。俱会一処。冥福を祈る。

舘岡 淳

いつもどんなときも顔を見ていた渋川をもう会えなくなるとは、とても残念です。
ご冥福をお祈り
します。

谷 正美

渋川君はシャイだったけど、とにかく明るくて楽しい人だった。彼は農学部で、学生時代確かキノコからコレステロールの抑止に効果のあるものを抽出する研究をしていた記憶がある。川内の部室で逢うと、にこにことして「今日はモルモットを5匹も殺してその心臓を取り出した。もう小っちゃくて扱いに苦労するよ!」とよく話していた笑顔を思い出す。とにかく真面目にそして楽しそうに実験していたようだった。もう50年以上昔の話である。残念ながらTUWV時代一緒に山行をしたことはなかった。また、大学卒業後は小生が倉敷の田舎に配属されたこともあり、社会人時代も新橋の新年会で逢うぐらいしかなく、付き合いはなかった。私が定年を迎えて、静岡に舞い戻り、一年ほどした時に彼から電話があり、「仕事の関係で静岡に行くから酒でも飲まないか?」と連絡があった。学生時代の仲間と会うことの嬉しさは格別だった。それ以来4回ぐらい一緒に盃をかわし、楽しいひと時を過ごさせてもらった。その彼も早々と逝ってしまった。まことに残念である。彼の冥福を祈る!

原田 克介

渋川君とは卒業後も長野の小屋仲間での永い付き合い。
ある時一緒に出掛けた帰りの道端で、マッタケ売りに出くわした時に彼の「このマッタケに付いている土は中国の土ではない(従ってこれは国内産)」に、流石に専門家の言葉はと感心しきり、天国でも薀蓄を傾けているのではと。
ご冥福を祈っています。

藤田 凱己

ご冥福をお祈り申し上げます。伝蔵荘の日々を思い出します。

八木 真介

渋川さんの突然の訃報はショックでした。渋川さんとは、山行での出来事はあまり思い出せませんが、真っ先に思い出すのは、弥三郎節そして時々披露してくれた津軽弁です。私にはどことなく耳に心地よく入ってくる津軽言葉が今も頭に浮かんできます。それが聞けなくなったのは残念です。ご冥福をお祈りします。

櫻 洋一郎

2月28日に電話で話をしたばかりなのに・・・・。
あんなに元気そうだったのに・・・。
風邪をひくなよ、と言ったばかりなのに・・・。
長い付き合いでした。伝蔵荘のお陰で毎年春秋、山を歩き、山菜、キノコを探し、それを肴に酒を飲みながら歌い、騒いだものでした。あなたが専門の各種のチーズを肴に、作ってくれた欧風料理が美味しかった。向こうに行ったら又御馳走してください。
心からお冥福をお祈り申し上げます。合掌
令和3年OB会報NO52より抜粋