コロナ禍と思い出
7期 (昭和43年卒) 原 三郎

 今回のコロナ禍は、我々、後期高齢者にとっては、若い人たち以上に大変な、かなしい状況を提供している。人生の残された短い時間を、行動の自由を、最後の“人生の楽しみ”、“思い出”を作る時間、機会を容赦なく奪った。7期 同期会も毎年開催していたが、これさえも延期を余儀なくされた。

我々の世代になると、人生の目標は“思い出”を作ること、蓄えること、そのために人と会い、話し合い、旅にでる、友達との懇親は最も充実した人生そのものでもある。憎らしいコロナは、これを奪っている。その中でもワンゲルの7期同期会は、私にとっては最高の”思い出つくりの場“である。この同期会もコロナに奪われた。

 開催見送りの期間に、7期の仲間、山口さんと、上田さん、高橋さんが亡くなられた。亡くなられた直後に数々の、思い出が駆け巡り、あらためて、学生時代からの仲間の思い出に浸った。

山口さんとは、学生時代、山形蔵王でのスキーでの私の大失敗で迷惑をかけたことが一番に浮かんできた。同期会のゴルフも奥さん同伴で楽しんだ。会社の運営も最後まで頑張っていた。健康状況が優れなくても同期会には出席していた。
頑張りすぎだよ 山口さん!

 上田さん、一番に思い出すのは、甲州での同期会の帰りに新宿までの特急列車の中で、いろいろな話に花を咲かせている中で、社長を長男に譲り、無事家業を次世代にバトンタッチした、その安どの心情を話された。

オーナー社長にとっての生涯の大事は、“次世代に家業をキッチリとつなぐこと”このことは、鉄鋼会社にいて、多くのオーナー社長との仕事上のお付き合いのなかで数多くみてきた。継投に失敗して、会社をなくしてしまった例も多くあった。
“長男や後継者とは、同じ飛行機、同じ車には乗らない“ を家訓にしている会社も数社あった。その大事を無事に果たし終えた、その安どの気持ちを多少とも理解する中で彼が発した言葉の一つが印象に残っている。

 “手前みそかもしれないが、息子は、自分の若い時とくらべて、才能は、俺より上をいっている” この言葉は家業継続が自信をもって出来た。そして発した言葉であり、私も心より祝福できた。上田商会も末永く継続発展してゆきますよ、上田さん!
上田さんもその点では心置きなく旅立たれたと思います。しかし我々としては仲間としてもっともっと一緒に同期会を楽しみたかった。

 高橋さんとの思い出は、毎年送られてくる、手掘りの版画の年賀状で、味のある構図と多色刷りでの賀状は、正月の楽しみでした。文面ではいつも今年こそお会いしましょうと書き添えていたのですが、かなわずに訃報の便りを受け取ることになってしまいました。
  この賀状と会えなくなるのは大変残念です。にこやかにほほ笑む彼の面影が浮かび上がり、一度同期会で会いたかったなと未練が残ります。

令和3年OB会報NO52より抜粋